すこしだけ 3
暖簾を潜ると、「いらっしゃい」と威勢のいい声が掛かった。
この店は個室とまではいかないけれど、一席一席が衝立と御簾で隔ててあり、中が簡単に見えないようになっている。
カカシ先生と来るには都合が良くて、一緒の時は何度か来ていた。
お店の人も俺達のことを覚えているのか、前来た時と同じ席に通される。
メニューを開くと料理を注文して、それらすべてが運ばれるのを待った。
料理が運ばれてる間、カカシ先生は顔を隠したままだから食べたり出来ない。
カカシ先生は先に食べていいよと言ってくれるけど、一緒に待つのは苦じゃなかった。「ゴメンネ、イルカ先生。お腹すいたデショ」
お店の人が去ると、カカシ先生が口布を下ろして申し訳なさそうに笑った。
形の良い、薄い唇が現れて、もう何度も見ているのにはっとなった。
カカシ先生はけっこう男前な顔をしている。
あんなに気を使って隠してるのに、俺なんかにあっさり見せたりしていいのかと思うが、口布を下ろさないとご飯が食べれないからしょうがないのだろう。「カカシ先生、乾杯しましょ!」
ビールジョッキを持ち上げてカカシ先生のジョッキと合わせる。
カツンと響いたガラスの音にビールを半分ほど飲み干した。「くーっ!!旨いっ」
喉を刺激する炭酸に声を上げた。
アルコールに食欲を刺激されて割り箸を割った。
焼き魚に箸を入れて解すと口に運ぶ。「うん、旨い!カカシ先生、今日の魚も油が乗ってて旨いですよ」
「そう?」カカシ先生が魚を口に運ぶ。
「ホントだ」
嬉しそうな笑顔を浮かべたカカシ先生に、ますます魚を旨く感じた。
カカシ先生との食事は楽しい。
カカシ先生がふわりと目を細めて笑うと、心が軽くなる。
こんな時、教師をしてて良かったと実感する。
でなければ、カカシ先生と食事する機会なんてなかっただろう。
カカシ先生とは教え子を介して知り合った。
アカデミーを卒業した子供たちを受け持ったのがカカシ先生だった。
最初、子供たちの上忍師がカカシ先生だと聞いたときは心配した。
高名な上忍だし、その経歴も実力も半端じゃない。
名前だけしか知らなかったので、勝手に厳つい大男を想像していたら、全然違っていた。
「はじめまして」と差し出された手は白く繊細で、本当にこの人があの写輪眼のカカシなのかと疑ってしまった。
それから受付所で何度か会ったが、こんな風に夕飯を食いに行くような間柄になるとは思わなかった。
こうなったのは、たまたま。
残業して、家で作るのが億劫になって定食屋に入ったとき、カカシ先生と居合わせた。
満席で座るところが無くて帰ろうとしたら、カカシ先生が呼んでくれた。
それで話をしたら意外と食べ物や酒の好みが似通ってて、以来機会があればこうして一緒に食事に来ていた。
「ね、今日の結婚式どうだったの?」やや腹が膨れ、ビールを酒に変えて、カカシ先生の盃に銚子を傾けていると聞かれた。
「良かったですよ。新郎も新婦も幼馴染だったんですけど、今日は二人とも違って見えて。ユリが・・、あ、新婦なんですけど、とても綺麗でした」
「ふぅん、そう。・・いいなって、思ったりした?イルカ先生も結婚したいなって思う・・?」聞かれたくないことを聞かれて、内心苦々しく思った。
「ええ。いつか可愛いかみさんを貰って、子供も女の子と男の子がいたらいいなって」
嘘だ。
俺は結婚なんてしない。「カカシ先生は?カカシ先生は結婚したいと思いますか?」
これ以上話したくなくて話題を返すと、カカシ先生は言った。
「うーん、オレはあんまり。結婚したいって思わないんですよね。子供も好きじゃないし」
「えっ!」
「・・変かな?」
「いえ・・!全然!」(・・なんだ、言ってもいいんだ・・)
カカシ先生の淡々としたようすにあっけに取られた。
今から結婚しないなんていうと周りに変な顔されるから、ありきたりな理想を作っていたけど、カカシ先生の答えを聞いて楽になった。「それに家庭を持つより、こうしてイルカ先生と居る方が楽しいしね」
ね?と首を傾げるカカシ先生に嬉しくなって、勢い込んで聞いた。
「じゃ、じゃあ、ずっと一緒にご飯食べに行ってくれますか?年を取っても、おじいちゃんになっても・・」
(カカシ先生が結婚するまで)
最後の言葉は胸の奥に仕舞い込んだ。
必死になって聞く俺にカカシ先生はぽかんと目を見開いて、それからくすくす笑って頷いた。「うん、いーよ。ずっと一緒に行こうね」
「はい!」ホッとした。
束の間の安息が欲しくて、それが『ずっと』ではないことに目を閉じた。
遅かれ早かれ、この約束は嘘になる。
いずれ家庭を持つカカシ先生は、俺から離れていくだろう。
それでもしばらくの間カカシ先生は俺といて、孤独を遠ざけてくれる。「さ、イルカ先も生飲んで」
俺から取った銚子をカカシ先生が傾けると、その手首に繋がった赤い糸が揺れた。
それは店の外へ続いていて、まだ見ぬ誰かへと繋がっていた。
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