すこしだけ 26



 机の下に隠した本のページをひらと捲った。現れた写真と文字を読んで口元を緩ませる。こっそり見てたのに、目敏く見つけたタツミが顔を寄せた。
「おっ、イルカ何見てんだ?オレにも見せろ」
「わーっ、なんでもないっ!見るなっ!見なくていいんだよっ」
「いいから、いいから」
 本を膝の間に押しつけて見られまいと死守するが、強引に入り込んだ手にさっと本を取り上げられた。
「あっ!返せ!」
「どれどれ〜」
 手の届かない位置まで本を遠ざけたタツミが、表紙を見た途端ニヤニヤを引っ込めた。
「なんだ、コレ?」
「いいだろ!」
 本を奪い返すと机の奥に押し込んだ。恥ずかしさで顔に火が集まる。
「…『初めてでも安心!家庭の味』?」
 何コレ?と不思議そうな顔を向けられて、ふいっと目を逸らした。
「そろそろ午後の受付の時間だろ?休憩中の札外して来いよ」
「馬鹿言え、まだ10分も残ってるぜ。それよりイルカ、自炊でも始めるのか?外食ばっかだったのに」
「う、うん。まあ…。もともと少しは作れるし……」
(あ、そっか。自炊ってことにすればいいんだ。カカシ先生の為ではなく…)
「なんだぁ?もしかして、同棲も始めてたりして?」
「ち、ち、ち、違う!!断じて違う!同棲なんかしてない!」
 カカシ先生は夜になると家に帰っていくし、一緒に住んでだってない。そのことを考えると胸がズキッとするから意識から遠ざけた。
「へ、へんなこと言うなよ。今日の晩ご飯はどうしようかなーって見てただけじゃないか」
「ふぅん。……ま、上手くいってるんだな」
「え?」
「いいや」
 ぼそぼそと呟いたタツミに顔をしかめるが、それっきり興味を失ったのかタツミは読みかけの巻物に視線を戻した。
 俺もタツミの視線を気にしながら、机の中から本を引き出す。これなら作れそうと思ったページを端を折って印を付けていった。
(カカシ先生、何食べたいって言うかな……)
 はっきり言ってレパートリーは少ない。焼きナスとか焼き魚とか、素材そのものを焼くだけなら得意だが、煮物とか炒め物とか凝った味付けが必要な料理は自信が無かった。
 折ったページの材料と作り方の手順を暗記する。
(俺が作れそうなの食べたいって言ってくれたらいいな)


 交代の時間が来ると交代の忍びに席を譲った。料理の本を鞄の底にしまって校門へと急いだ。受付所からアカデミーの門へは少し遠い。待たせてるんじゃないかと気が急いて、建物の裏を通って近道をした。
(早く、早く、早く…)
 雑草の茂みを抜けて中庭に出る。門の所にカカシ先生が見えて、声を掛けようとしてから一人じゃないことに気づいた。女の人と一緒にいる。
 とっさに糸を確認すると繋がっていなくてホッとしたが、急に待ち遠しかった気持ちがしぼんで歩みを止めた。近寄って良いのか分からない。額当てに隠れたカカシ先生の表情は見えないが、女の人は楽しそうに話していた。
(…俺が行ったら邪魔になる……)
 とても綺麗な人だった。悲しい気持ちでいっぱいになっていると、カカシ先生が俺に気づいた。またね、といった風に女の人に手を振るとこっちを向いた。カカシ先生が笑顔を浮かべるのを見て全力で駆け寄りたくなったが、女の人がいる手前小走りに留めた。
「お待たせしてすみません」
「いーよ。待ってないし」
(…そっか)
 女の人と話してたんだから、俺のことを待ってたんじゃない。
 あっさりした答えにズキズキしていると、 「じゃあね、カカシ」
 と、女の人が手を振った。気を悪くしたんじゃないかと様子を窺うが一度もこっちを見ない。――と思ったら、去り際に、カカシ先生に隠れる間際にちらりと俺を見た。品定めするような視線に居心地が悪くなる。 「イルカ先生、行こ」
「あ、はい」
 笑った顔がぎこちなくならない様に気を付けた。
「イルカ先生、今晩何食べるか考えた?オレねぇ……」
(…カカシ先生は俺が話の途中に来たこと怒ってないのかな……?)
 ニコニコしているカカシ先生の表情の中に怒りのかけらを探す。
「……ていーい?……イルカ先生?」
「は、はいっ?」
「どうかした?」
「な、なんでもないです……」
 俺の顔を覗き込んだカカシ先生から視線を逸らした。悲しいのと不安で胸の中がぐちゃぐちゃになる。
「……なんか悲しいことあった?悩みがあるの?」
 ドキッとして顔を上げると、真剣な顔をしたカカシ先生がいた。心配そうでいて、どこか怖い感じもする。
「そんなんじゃないです」
「そう?ならいいけど…。イルカ先生、これだけは覚えておいてね。何かあったらオレに言って。絶対にオレが守るから」
 絶対に、と繰り返したカカシ先生に圧倒された。俺を見つめる眼差しから、混じりけのない真摯な想いが伝わって、かあっと頬が火照るが、
「な、な、なんですか、それ。俺だって男だから自分の事ぐらい何とかします!」
 意地を張って口を尖らせると、カカシ先生がふんと鼻息を荒くした。
「そうだけど!でも、オレの方がイルカ先生よりイルカ先生のこと大事に思ってるから。イルカ先生が悩んでもういいって諦める様な事でも、オレがなんとかします。オレがイルカ先生の望みを叶えます」
 カカシ先生の方が上忍だからとか、力が強いとか言われたら、俺は素直に話が聞けなかっただろう。だけどカカシ先生が言ったことは俺の想像を遙かに上回っていた。切実な告白がじんと胸を振るわせる。
 嬉しかった。
 そんな風に言ってくれたのは、カカシ先生が初めてだ。両親を失い身内と呼べる者が居ない俺にとって、それはもう二度と聞けない言葉であり、現れることのない存在だった。
 カカシ先生の俺を大事だと言った声が木霊する。それは胸の奥にふわりと落ちて、深く、深く根を伸ばした。
 カカシ先生を、信じてみようと思う。
 ふと、赤い糸のことを話したらどうなるだろうと思った。何とかしてくれるだろうか?
 だけど頭がおかしいと思われるかもしれない。その可能性を考えると怖くなって、口に出せなかった。

「イルカ先生、カレーにしよ?」
 木の葉スーパーに着くとカカシ先生が言った。それなら簡単だし、前にも作ったことがある。料理の本でもお復習いしたばかりだ。
「いいですね!そうしましょう」
 一も二もなく返事して、スーパーのかごを腕に引っかけて野菜コーナーに向かうと、カカシ先生がひょいとかごを取り上げた。
「オレが持つから、イルカ先生は選んで」
「は、はいっ」
 何故だか照れくさくなった。ただ買い物してるだけなのに嬉しくなってくる。袋に入ったジャガイモを手に振り返ると、カカシ先生がかごを差し出した。そうっと入れてカカシ先生を見ると、にこっと笑う。
「次は何買うの?」
「ニンジンとタマネギとお肉とルーです」
「茄子も入れていーい?」
「はい………」
 心臓がドキドキして、止まらなかった。


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