すこしだけ 25



(やっぱり止めておけば良かった。付き合おうと言われても断って、寝るのも一度きりにしておけば良かったんだ…)
 押し寄せる後悔の波に布団の中で蹲った。今更考えてもどうにもならないが、考えずにいられなかった。
 どの時点で止めておけば良かったのか、カカシ先生の告白をどう断ればこんな事にならなかったのか。
(…でも、朝は優しかった……)
 今朝の優しさを、週末の温かさを知りたくなかったのかと問われれば、首を縦に振り難かった。
 でもいっそのこと、何も知らないままの方が良かったかもしれない。
 カカシ先生と付き合うのは、誰かと付き合った時のことを想像していたのよりずっと辛い。
 一度知ったぬくもりを取り上げられるのは、胸が千切られる様だ。
 こんなに苦しいのは嫌だ。不安で哀しくて惨めで、一人の時よりずっと寂しい。
(……もう何も考えたくない)
 苦しさから逃れて眠りの中に逃げ込みたいのに、神経が張り詰めて眠れない。
 そんな時、コトンと玄関先で音がした。
(……カカシ先生!?)
 ばっと飛び起きて息を殺した。ドッドッドッと逸る鼓動を押さえて外の気配を探った。
「………」
 それっきり、気配もなく、何も聞こえなくなったドアに気落ちした。
 でも、気になって布団から抜け出すと玄関に向かった。
(……いくらなんでもこんな時間にいるわけない)
 外は暗く、夜明けも遠い。だけど否定する気持ちを行動が裏切った。
 そっとドアを開けて外を窺う。
(………ほらな)
 自分の馬鹿さ加減に口角がぐっと下がった。
(期待なんかするんじゃなかった……)
 ガッカリしてドアを閉めようとすると、ぬっと現れた指がドアを押さえた。僅かに外へ開いたドアからカカシ先生が顔を出した。
「おは……えっと、こんばんは?」
 小首を傾げて困った様な笑みを浮かべてドアを引く。いるかもと思ったけど、実際いると吃驚して、ぽかんとカカシ先生の顔を見ていると、カカシ先生はくしゃくしゃと頭の後ろを掻いた。
 カカシ先生が帰ってからの時間と朝が来るまでの時間とどちらが長いだろ?
 こんな時間に来たカカシ先生の意図に気づいて黙り込んだ。
(言いたいことがあるに違いない。もう会いたくないとか、別れたいとか、距離を置こうとか…)
 そう考えると、カカシ先生がずっと困った顔をしているのも納得できた。よほど言いにくいことがあるに違いない。
 カカシ先生の言葉を恐れてじりじりと後退った。出来た空間にするりと入り込んで、カカシ先生は後ろ手にドアを閉めた。
「イルカ先生、ゴメンね。こんな時間に来て…」
(…朝が待てないくらい、今すぐにでも俺と別れたいんだろ……)
 ぎゅっと唇を噛み締めて俯くと、カカシ先生が顔を覗き込んだ。
「…怒ってる…よね?ゴメンね、いつも早く起こして…。眠れないよね。もう来ない様にするから…」
「……!!」
(……ほら言った!!)
 もう来ないと言った言葉が頭の中をぐるぐる回る。今にも帰りそうなカカシ先生に為す術無く項垂れた。
「コレ、朝になったら食べてね。今日のは紫蘇屋のお弁当だから、おいしいと思うよ」
(……え?)
 「はい」と差し出された袋を凝視した。中に折り詰めが二つ見える。
(俺と一緒に食べようと思ってくれたんですよね……?)
 差し出された袋ではなく、袖をぎゅっと握った。
「イルカ先生…?」
 カカシ先生が不思議そうに俺を見た。
「…えっと、帰れないよ?」
 ますます袖を掴む手に力を込める。
「……オレもいていーの?」
 不思議そうだった顔が笑顔に変わった。かあっと顔が熱くなって俯くと、カカシ先生が距離を詰めた。背骨が軋むような力で抱きしめられて窒息しそうになったが、腕が締まれば締まるほどホッとした。



「任務だったんですか…?」
 昨夜何もしないで帰った理由が知りたくて、遠回しに聞いてみた。どうして昨日は何もせずに帰ったんだ?とは聞きにくい。
「違うよ。どうして?」
 ベッドの中で髪を梳いていた手が止まって、露わにされた耳に息が吹き掛かった。ぐっと背中に体重が掛かって、顔を覗き込もうとしているに気づいて枕に顔を押しつけた。
「……べつに……、早く帰ったから…、なんとなく…です」
「ふぅん?………寂しかった?」
「そんなことありません!」
 思ったより強い口調になって小さくなった。こんな言い方は良くない。
(こんな言い方をしたら嫌われる…)
「そっか」
 だけどカカシ先生は気にした風もなく、枕に頭を落とすとにじり寄って背中に密着した。片腕で俺のことを抱きしめ、片手で耳の縁をつーっと撫でている。さっきから繰り出される指先の悪戯がくすぐったかった。でも心地よくて止めてくれとは言い出せない。
 指先で弄んでいた耳朶に、ちゅっと唇が触れて首を竦めた。唇は首筋にも触れて、カカシ先生が肩に顔を埋める。
「カカシせんせ…、そんなにしたら眠れないです」
 トクトクと鼓動が早くなる。カカシ先生に触れられて、ぽっと体の奥に火が灯った。
「ん…、ごめん…」
 首筋から顔を上げたカカシ先生が俺の後頭部に顔を押しつける様にして動きを止めた。狭いベッドが広く感じられるほど、ぎっちりくっついていた。
(…一緒にいると好かれてるって思えるのに、一人になると不安になるのはどうしてなんだろう…)
 カカシ先生の体温にウトウト眠くなる。指先が唇に触れたけど、眠りはふくりと体を包んで、瞬く間に引き込まれた。



「今日の晩ご飯はイルカ先生の家で食べませんか」
 お弁当を食べながらカカシ先生が言った。さすが高級料亭紫蘇屋のお弁当。見た目も味もすごく良い。お弁当もやってるなんて知らなかった。
「いいですよ。じゃあ、なんか作ります。カカシ先生、何が食べたいですか?」
 真っ黄色の卵焼きを口に運びながら聞いた。ほんのりとした甘さが口の中に広がり、顔がほころぶ。
「…うーんとねぇ、………今は思いつかないから、帰りに一緒に買い物に行きませんか?」
「そうですね。それがいいですね」
 いつものところで待ち合わせの約束をすると、カカシ先生がぽんと俺のお弁当の上に卵焼きを乗せた。
「カカシ先生、食べないんですか?」
「うん、イルカ先生にあげる」
 ふわふわ笑うカカシ先生に照れくさくなった。
「そ、そうですか。ありがとうございます。じゃ、この手鞠みたいなのあげます」
「どうして?それ最後に食べようって、とってたんデショ?」
「なんで分かったんですか!?」
 吃驚したら摘み掛けていた手鞠が箸の間からぽろんと零れて、カカシ先生がくすくす笑った。
「分かーるよ」
 目を伏せながら言ったカカシ先生の声が心を撫ぜた。その表情は深く温かで慈しみが溢れていて、俺はカカシ先生に大事にされているのを実感出来た。


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