すこしだけ 19
ふかふかの中にいた。
白くて雲みたいなふかふかが、どこまでも続いている。その中で、何故か俺は素っ裸でいた。だけどそれは普通な事で、ごく当たり前のこととだった。肌に触れる暖かな空気が心地良い。すくっと立ち上がると、ふかふかは腰の高さまであった。
心が軽かった。不安や悲しいが詰まって、胸が泥のように重かったのに、全く無くなっていた。まるで今生まれ落ちたみたいに真っさらで真っ白になった心の中は、楽しいと嬉しいで満ちていた。
軽くなった心は羽が生えたみたいに体まで軽くして、ふわふわと歩き出すと足に何かが触れた。クモの糸みたいに頼りなくて細いものが触れてくる。
(…なんだ?)
手を上げてびっくりした。俺の腕に赤い糸がくっついている。真っ赤で、太陽に熟れた苺みたいな色した糸が、俺の腕から伸びている。
(なんだ!そうだったのか!)
カカシ先生とエッチしたからに違いない。
(カカシ先生と体が繋がって、それで糸も繋がったんだ!!!)
(赤い糸ってこうして出来たんだ!!)
「やったー!!わーいっ!わーいっ!」
嬉しくなって飛び跳ねた。
「やったーっ!やったーっ!」
これで俺も人並みだ。俺だって「好き」って言っても良い。
体中から喜びが溢れ出した。
(……ああ、カカシ先生はどこだろう?)
カカシ先生に会いたかった。カカシ先生の姿を探し求めて、きょろきょろした。
「カカシせんせーっ!」
きっと近くにいる筈だ。カカシ先生はいつだって俺の傍にいてくれる。
「カカシ先生ー、カカシ先生ー!」
ふかふかの中を駆けた。早く会いたい。
「カカシ先生ーっ」
見つけたら真っ先に伝えよう。
俺が、カカシ先生のことを――……。
ぱちっと瞼を開けると辺りは真っ暗だった。
(あ、あれ……?夢……?)
どっちが……?と寝ぼけるが、やがて真っ暗な今この瞬間が現実だと飲み込めた。
ふかふかは羽毛布団で温かいのは背中にくっついたカカシ先生だった。
(……なんだ。そんな都合の良いことあるわけないよな)
夢の中の自分のはしゃぎっぷりに呆れた。大体、赤い糸の現れ方なら良く知っている。体を繋げて赤い糸が繋がるなんて有り得なかった。
(馬鹿馬鹿しい……)
はっとため息を吐き、もう一度寝ようとしてぎょっとした。
目の前の腕に赤い糸が付いている。
俺の腕だ。
「う、うそっっ!!!」
がばっと飛び起きて、暗闇の中、目を懲らした。夢で見た喜びが胸に広がっていく。
だけど、良く見るとそれは糸ではなかった。手首にくっきりと付いた赤はカカシ先生に掴まれた跡だった。
「………………」
(はは……、俺って馬鹿……)
ぽたっと膝の上に大粒の水滴が弾けた。それは一粒で収まらず、ぽたぽたと落ちて膝を濡らす。
分かっていた。そんなことでは糸は繋がらないと。
だけど喜びを得た分、失望は深く胸を抉った。
カカシ先生と糸が繋がっていない事が哀しくて仕方ない。
「…っ、ふっ…っく…、ぅーっ……」
「…………痛いの?」
突然声を掛けられて、びくっと体が跳ねた。カカシ先生が体を起こす。それでも俺は泣き止むことが出来なかった。
「…ぅっ、…ぅっ、…ひっぅ…」
カカシ先生が手首を押さえて泣き続ける俺の腕を取ると撫で摩った。治癒のチャクラを流し込んでいるのか、そこがぽうっと温かくなる。
とっさに腕を引っ込めた。治癒したら跡が消えてしまう。
「……謝らないよ。オレはこうするのが一番だと思ったから……」
強引に引き寄せられて、カカシ先生の肩に顔を埋めた。しゃくり上げると、涙がカカシ先生の背中を転がっていく。
やがて泣き疲れてウトウトすると、カカシ先生が俺を抱いたまま横になった。
「もう少し寝よ。まだ夜は遅いから……」
眠りに落ちるまでの間、ずっとカカシ先生の手が髪を撫でていた。
次に目を覚ますと辺りはすっかり明るくなっていた。どのくらい眠っていたのかカーテン越しの光が眩しかった。目が痛くて瞼を擦ると、包帯が巻かれた手首が目に入って、慌ててずらした。その下にちゃんと赤い痣が残っているのを見てホッとする。
「……起きた?」
声に視線をやるとカカシ先生が部屋に入って来るところだった。体を起こそうとすると、布団の下の体は裸のままで、恥ずかしさから首まで布団を被りなおした。
「寝てていいよ。まだ体がだるいでしょ。それともお風呂に入りたい?」
聞かれてもぞもぞ体を動かすと、思いのほか肌はすっきりしていた。たしか結構ぐちゃぐちゃになった記憶があるが……。
思い出すと、ボッと顔が火を噴く。
(俺……、カカシ先生と凄いことしちゃったよ……)
めくるめく気持ち良かったことが頭の中を過ぎって赤面した。……だが、あんなこと!!!
「あ、あ、あ、あんな……!!……昨日のっ、あんなこと…って、……みんな、あんな風にするんですか?」
「うん、まあ、男同士なら」
憤る俺に冷静なカカシ先生を見て、もしや?と思って聞くと冷静な答えが返ってきた。
(……そうなんだ)
俺って何にも知らなかった。漫画は正しかったのか。
(紛らわしい。合ってるなら白く消すなよ。……それにしても――)
俺はこの状況をどう受け止めたらいいんだろう?
一生誰かと肌を重ねることなんてないと思っていたのに。恋人にはなれない人なのにどうするんだ。
(これが所謂、一夜限りの情事ってやつになるんだろうか……?)
そう考えれば、誰でもやっていることだ。起こってしまったことは、しょうがないと割り切れる。
(…あっ、違う。任務だった、任務)
混乱する思考に、改めて深く考えることをせずにカカシ先生と関係を持ってしまったのを自覚した。
とにかくどうってことない、気にしなくていいんだ。特別なことのように深く心に留めるなと言い聞かせていると、
「……怒ってるんですか?」
カカシ先生が俺を睨みつけていた。
(怒っているのはカカシ先生じゃないか。昨日だって凄く怖い顔して……)
「…あれ?カカシ先生、任務は?……って俺!任務が……!」
「今日は土曜日ですよ。イルカ先生お休みでしょう?」
「あ、そっか……。……カカシ先生は?まだ任務中の筈じゃあ……」
「オレのは無くなりました。向こうに着いたら、大名が急病で外出が無くなったって言われて。護衛の必要が無くなったので、そのまま帰ってきました」
「そうだったんですか……」
納得していると、カカシ先生がじっと俺を見ていた。
「な、なんですか……?」
「…残念でしたね。急にオレが帰ってきて。昨日は楽しかったですか?見つからなければ良いと思った?」
「そんなんじゃありません!カカシ先生を裏切るようなことは何もしてませんから!……でも、どうしてあそこに俺がいるって分かったんですか?」
「帰ってきてイルカ先生の家に行ったら居なかったから、忍犬に探して貰ったんです。追跡するようなことして悪かったけど……。それより、イルカ先生。今日からアナタ、オレの恋人ですから」
「ええっ!?どうしてですか!?」
「だって、昨日オレと寝たじゃないですか。セックスしたでしょう?」
「し、しましたけど、でも……っ」
「だったら、そういうことでしょう?それともイルカ先生は恋人でもない人とセックスするような乱れた人なんですか?」
「そんなことあるわけないでしょう!!」
「ですよね。ならそう言う事で」
「え?」
(あれ……?)
なんか違う気がする。首を捻るとカカシ先生は俺に覆い被さって首筋に顔をうずめた。
「考えないでよ。いいじゃない、それで。オレは優しいよ?イルカ先生を大事にするよ?イルカ先生が望むことなら何でもするから…。だから、いいデショ?オレが恋人で」
言葉は強気なのに、声は縋るようだった。
だけどその言葉が、いつか反故にされることを俺は知っている。伸ばされた手は、掴まない方が良いに決まっていた。
だけど――。
「…………」
「……ま、返事は聞かなくても分かってるけーどね」
顔を上げたカカシ先生がニヤリと笑う。
「だって、イルカ先生オレのことスキでしょ?」
「何言って……、違いますよ!」
「だーってイルカ先生。初めてだったのに、あんなにもぐっちょぐちょのべっちょべちょになって。気持ちヨかったデショ?あーんなにカンジてたもんね!オレのことスキじゃなきゃ、あそこまでカンジないよね」
「ぎゃー!!ぎゃー!!何言い出すんですかー!?そんなことないですから!好きじゃないですから!」
「もぉ!強情っぱり!」
そう言うと、カカシ先生が布団を捲った。裸体を隠すものを失って、慌てて布団を取り返そうと手を伸ばすと、カカシ先生が隣に潜り込んだ。あっという間に腕の中に抱き込まれて離せと暴れるが、強く抱き締めらてしまった。ぎゅうぎゅうされると体から力が抜ける。
諦めて大人しくするとカカシ先生の息が額に掛かった。じゃれつくようにちゅっと額を吸い上げる。
昨日とは違って、肌に当たる感触が服なのが落ち着かなかった。
「……カカシ先生、俺の服は?俺も服が着たいです」
「洗っちゃったから、乾くまでないでーすよ。…今日はこのままでいいじゃない。なんならオレも裸になろうか?」
「そんなことしなくて結構です!」
「ちぇーっ」
と言う割に、それほど残念そうではなくて、くすくす笑う息が額をくすぐった。頬を当てた胸からトクトクと鼓動の音が聞こえる。
一つ気になっていたことを質問した。
「……カカシ先生、カカシ先生って同性愛者なんですか?」
「なに言ってるの。男なんかスキじゃなーいよ。オレはイルカ先生がスキなだけ」
「………そうですか」
(‥‥なんだ)
カカシ先生の答えに、ものすごくがっかりした。
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