すこしだけ 16



 店は路地裏に入った目立たないところにあった。木製のドアに金のプレートが打ち込まれ、スポットライトが店の名前を控えめに浮き上がらせている。一見するとそこは普通のバーのようで、表通りにあればその手の店だと気づかずに入ってしまいそうな洒落た雰囲気があった。
 少し離れた所から様子を窺っていると、中に男が入っていった。赤い糸が外に残っているところを見ると、運命の相手は中にいないのか…。
 しばらく様子を見ていたが、入っていくのはやはりと言うか男ばかりだった。
 どの人も自分の糸をちゃんと持っていて、俺をガッカリさせた。
 もしかしたら男を好きな人なら、赤い糸を持ってない人がいるかもしれないと思ったのだ。
 赤い糸が男と女を繋ぐものなら、糸なんて必要ないから。
 でもそうなら、過去に1人ぐらい糸を持たない人に会っていてもおかしくなかっただろう。
無駄な期待に終止符を打つと店に近づいた。
 周りに誰もいないのを確かめながらドアを引くと、カランコロンと来客を告げる鐘の音が店の中に響いた。
フロアは入り口よりも数段低くなっていて、俺が入ったことによって先にいた人たちの視線がザッと集まった。
(……なんだろう?)
 向けられる視線に入っては不味かったかと怯んだ。
 そう言えば昨日見た漫画に同性愛者の人は見ただけで相手が同性愛者かどうか分かると書いてあった。
 だけど俺は違うから、それなのに店に入って不快に思われているのだろうか?それとも常連さんばかりの店で、一見さんはお断りとか…。
 重苦しい視線にグルグル考えていると、
「いらっしゃいませ、どうぞ」
 と、カウンターの中から声が掛かった。
 見ればマスターと思しき人がにこりと笑みを浮かべている。その柔らかな笑みに勇気づけられて、階段を下りるとカウンター席に座った。
 フロアーに背を向ける形になって失敗したと気づいたが、まずはここの空気に馴染みたい。
「ビールください」
「かしこまりました」
 おしぼりで手を拭きながら、冷えたグラスにビールを注ぐマスターの姿を目で追った。ついでに額に掻いた汗を拭う。
 くすりと笑う声が聞こえて隣を見ると、いつの間にか人が座っていた。
 俺と同い年ぐらいか、一つ二つ下ぐらいの青年だった。
「顔も拭くの?」
「あ、なんか汗掻いたから…」
 おっさん臭かったかと顔を赤らめるとますます笑う。
「緊張してるの?かわいい」
「か、かわ…?」
 『可愛い』と言ったのだろうか?
(むさいとかダサイとかなら言われたことがあるが可愛いなんて…)
 そもそも可愛いは女に言う言葉じゃないか。何かの冗談だったんだろうか?
 真意が掴めなくて曖昧に笑うと青年が体を寄せた。
「誰かと待ち合わせ?」
「いえ、違います」
「そう、僕も一人なんだ。一緒に飲んでいい?」
「え、あ…」
 返事を待たずに青年がカクテルを注文する。その腕から伸びた赤い糸が床に垂れて壁へと消えていくのを見て、内心ため息を吐いた。
 俺が話したいのはカップルだ。できれば何年か付き合っていて、将来のことも考えているような。
 だけど一緒に運ばれてきたビールにカチンとグラスを合わせて、「カンパーイ」と声を上げられると何も言えなくて、ビールを一口飲んだ。 考えてみれば一人でいるより誰かといた方が観察しやすいかもしれない。
 隣で話し続ける青年に相槌を打ちながら、それとなくフロアを見渡してカップルを捜した。誰かと一緒に飲んでいる人はいるが、赤い糸で繋がっている人達はいなかった。
 一人一人の糸を検分していくと、やはり糸の無い人はいなかった。
 ただ一人、短く切れた糸を持つ人がいて、そっと目を伏せた。短い糸は、運命の人を亡くした証しだった。
 錆びた赤色に胸が痛くなった。相手を亡くした寂しい色だ。
「ねぇ、――タチとネコ、どっちが好き?」
 不意に袖を引かれて隣を見ると、思ったより近くに青年の顔があって、仰け反るようにして離れた。
「えっ…と?」
(イタチとネコ?なんだ、その比較?)
 首を捻ったものの、「ネコ」と答えると青年が嬉しそうに笑った。
「良かった。俺、タチなんだ」
「え?」
(何が良かった?タチって?)
 どうも話が噛み合っていない気がして、もう一度聞き直したくなるが、青年にますます身を寄せられて、じりじりと体を後ろに逃がした。
「コレ、飲み終わったら僕とどこか行かない?」
「いや…、来たばっかりだし、もう少し飲みたいから……」
「……そうなんだ。じゃあ、良かったら出るときに声かけてよ。あっちで飲んでるからさ」
 そう言うと、青年はカウンターから離れてフロアの奥に消えた。
 なんだ?と思ったものの、関心はすぐに薄れて、店に入って来た人に目を向ける。階段を下りてくる人が一人で赤い糸を持っていることを確認すると視線を下げた。
 カップルはなかなかやって来ない。


 最初に店に入ったとき疎外感を受けたけど、案外アットホームな店だったらしく一人で飲んでいるといろんな人に声を掛けられた。断ってもお酒や摘みを奢ってくれて、皆いい人ばかりだ。
 ただちょっと、目が悪いのか顔を寄せてくる人が多くて困った。照明が暗いせいもあるかもしれない。食べる口元を凝視されたのは、なんだか恥ずかしかった。
 繋がった糸を見つけられないままグラスを傾け、ほろ酔い気分になっていく。
 時間も遅くなってそろそろ帰ろうと思った。この店の様子なら、また出直してもいいかもしれない。
 グラスに残ったビールを飲み干して、立ち上がろうとして気が付いた。
 カウンターの端に手を繋いだ人達が座っているのを。
(カップルだ!)
 待ちに待った存在が現れて、ぱあっと嬉しくなった。だけど隣の人に隠れて糸の具合がよく見えない。席を立つと二人に近寄ろうとした。
 だけど誰かが腕を引いて前に進めない。
「…離して」
 腕を捻って掴んだ手を離そうとした。
「おい、離してやれよ」
 誰かの咎める声が聞こえる。
 不意に腕に指が食い込んだ。
「いやだ、痛い!」
 食い込む指を引きはがそうと藻掻いた。思いの外酔っていて足元がふらつく。
「痛い!離して!」
「――こんなところで何やってるんですか?」
 冷え切った声に酔いが一遍に吹き飛んだ。顔を上げるとココにいるはずのない人がいる。
「…どうして?」
(任務はどうしたんだろう?)
 不思議に思っていると、カカシ先生は見たこともないような冷たい目で俺を一瞥して、引き摺るようにして階段に向かった。
「あ…、いやだ」
 まだ赤い糸がどうなっているか見ていない。
 抵抗するように踏ん張ると、周りから庇う声が上がった。
「嫌がってるじゃないか、やめてやれよ」
「何だ、お前は。後から来て勝手に連れていくなよ」
「店を出るときは俺とって約束してるんだぞ」
(いや、してないし)
 誰だよ、そんなことを言ってるのは。顔を見ようとしたら、その場が凍り付いた。
 カカシ先生から吹き出る殺気に誰も動けなくなる。それは俺も例外ではなく、ひっと喉を詰まらせると硬直した。
 カカシ先生が凄く怖い。
 じわぁと目の奥から涙が滲んで泣きそうになった。カカシ先生が酷く怒っている。俺に対して。どうしてだか分からないが。
 カカシ先生がポケットを探るとお金をカウンターに置いた。
「帰るよ」
 動けずにいるとカカシ先生が俺の腰を掴んだ。そのままふわっと体が浮いたかと思うと、凄い早さで移動されて、あまりの気持ち悪さに目を回した。


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