スキマ 5
いつの間にかカカシ先生の背中でうとうとしてしまっていた。カンカン、とアパートの階段を踏み鳴らす音に頭を上げると、カカシ先生が「着いたよ」と声を掛けてくれた。玄関を開け、見慣れた景色に体中に安堵が広がる。
「良かった。一緒に帰って来れて。ま、絶対一緒に帰るって決めてたんですけどね」
同じ想いを抱いていたのか、振り返ったカカシ先生がほっとしたように笑う。その優しい瞳に胸が震えた。
「カカシセンセ・・ありがとうございます。迎えに来てくれて・・」
「どーいたしまして」
カカシ先生が来てくれなければ今も一人で里の中をうろうろしてた。馬鹿な勘違いをしたまま。
言葉では言い尽くせないほどの感謝に、よいしょっ、と俺を背負いなおしたカカシ先生の首にぎゅっとしがみ付いた。
すごく甘えたかった。甘えることでカカシ先生に受け入れられていることを実感したかった。
「それで・・えーっと、イルカ先生、驚かないでね・・ってムリかな・・。急いで消したんですけど・・」
急に歯切れの悪くなったカカシ先生に首を傾げる。
(どうしたんだろ・・・?)
居間の入り口で足を止めるのに、背中越しに部屋を覗いて、驚いた。
「あぁっ!!」
焦げている!畳が!
俺のせいだ。俺の撒いた光玉で――。
「・・火が・・ついたんですか・・?」
「うん、ちょっと量が多かったみたい。でも明日になったら畳屋さん呼んで張り替えてもらうから大丈夫だよ」
カカシ先生はなんでもなく言って、部屋の隅に座布団を蹴りやった。その上にゆっくり俺を下ろす。
床に着いた瞬間、俺はカカシ先生の体に手を伸ばした。
「カカシ先生、やけどは!?」
「そんなヘマしなーいよ。でもこれ消してたら追いかけるの遅くなっちゃった。心細かったでしょう?ゴメンね」
「でもっ、俺がバカなことしたから・・っ!ごめんなさい・・、カカシ先生、ごめんなさい・・」
「あー・・もう泣かないで・・気にしなくていいから。イルカ先生が泣くと胸が痛くなる。すごく痛い・・。イルカ先生・・少しだけ――」
抱きしめさせて、とカカシ先生が囁き、そっとその両腕に抱き寄せられた。頬に髪が触れ、体温が移る。だけどそれはいつもしてくれる抱擁よりずっと柔かく、たまらずカカシ先生の背中に両腕を回すとぎゅっと抱きついた。
もっとカカシ先生を近くに感じたくて力を込める。
――むちゃくちゃにされてもいい。
そんな想いが強く湧き上がる。
だけどカカシ先生は泣いているせいか、あやす様に背中を撫ぜるばかりで抱きしめてくれない。
「カカシせんせ・・・っ」
「もう・・、イルカ先生泣きすぎ」
体を離して、苦笑を浮かべると立ち上がる。
「・・カカシ先生?」
「ちょっと待っててね」
居間から姿を消してしまったカカシ先生に不安を覚える。
なんだろう。いつもとどこか違うような気がする。
「カカシせ・・」
追いかけようとして、体が上手く動かない。筋肉痛になったように体が軋んで立ち上がれない。その原因に思いが至る。さっき、無理やり体を開かされたからだ。
(知られちゃいけない)
何故かそう思った。
別に大したことじゃない。無理やりと言ってもあれは俺が悪かったんだし、俺が酷いこと言ったからカカシ先生が理性を失ってああなった。それにカカシ先生が俺を好きでしたことだから、――俺のことを好きなカカシ先生がしたことだから何の問題も無い。
「イルカセンセ?」
深く考えに没頭してしまっていた。不意に名を呼ばれ、顔を上げればカカシ先生が桶を持って立っていた。
「大丈夫?どこか――」
「何でもありません。カカシ先生先生が居なくなったから不安になっただけ・・」
「どこにも行かなーいよ」
困ったように笑うと正面に座った。湯を張った桶の中からタオルを絞り、「痛かったら言ってね」と一言おいて顔を拭ってくる。
「じ、自分で・・」
「いーの、やらせて。やりたい」
痛かったら、と言ってもその手つきは酷く優しく心地良い。土の上に転がったからか案外汚れていたようでタオルがすぐに黒くなった。
「体、気持ち悪いデショ・・?今お風呂溜めてるから少しの間ガマンしてね」
「はい・・あ、・・いえ・・」
それきり、黙々と手足を拭うカカシ先生に居心地が悪くなる。気のせいか重くなっていく空気に耐え切れず、気になってきたことを口にした。
「カカシ先生・・・?」
「なーに?」
「あの・・他のはどうしたんですか?それも紅先生に・・?」
「他?」
「コ、・・コンドーム」
イチゴの行方は分かった。でも他の72個・・いや、いくつかは使ったから多分あと60個ぐらい残ってる筈だ。きっと同じように誰かに貰われていったのだろうと思うが、はっきりカカシ先生の口から聞いて安心しておきたかった。なのにカカシ先生は「ほか・・?」と呟いたきり首を傾げる。
「えーっと。昨日使ったのは持ってます。後は使い切ってると思うんだけど・・・?」
カカシ先生の答えに、眉間に皺が寄った。
どうして隠すんだろう。瞬く間に不安になる。
「…そんな筈ありません。あと60個ぐらい残ってるのに・・。俺たちまだそんなにシテないのに・・」
「えっ?えっ?60個?なにが??」
「コンドーム!!」
「ちょっと待って、イルカ先生。なにかおかしい・・」
「おかしいことなんてありません!」
俺は覚えていたコンドームの色と薬局で確認したこと、それらから導き出した数をカカシ先生に突きつけた。
「合ってません、合ってない・・」
口を尖らせて訴える俺をカカシ先生が目を見開いて見ている。でもそれから、ゆるーく笑うとおもむろに頭を撫ぜてきた。
子供にするみたいにいい子、いい子と。
「な、なんですかっ!?」
「いえ、かわいいなぁーと思って」
「馬鹿にして――」
「ちがーうよ。ホントにそう思ったの」
憤慨するとそれを閉じ込めるように腕の中に抱き寄せられた。頭をカカシ先生の肩に押し付けられて、ふがふがしているうちに耳打ちされる。
「イルカ先生。コンドームは一個からでも手に入りまーすよ」
ガンと後頭部を殴られたような衝撃が走る。
「嘘!だって俺、見ました。薬局で――」
「うん。でもオレの言ってることもウソじゃなーいよ。きっとイルカ先生が見たのはお徳用とかお買い得品ってやつだと思いますよ。箱、大きかったでしょう?」
「う。・・でも・・」
(確かに大きかった。大きかったけど・・。あれしかなかった・・・)
「きっとね、気づかなかったんだと思いますよ。箱は小さいし、それに外観からはそうと分からないようになってるものも多いから」
穏やかに諭すようなカカシ先生の声音に、自信が揺らいだ。今まで正しいと信じて疑わなかったことが足元から崩れていく。
「ほら・・」
カカシ先生がポーチを探って出したものを、卑怯にも見たくないと思った。
だけどそうもいかない。
肩から顔を上げてカカシ先生の手のひらを見た。そこにはちょうどカカシ先生の手のひらに納まる小さな箱がちょこんと乗っている。箱には数字が書かれてるだけで一見して何の箱か分からない。でも良く見ると小さくskinと書いてある。4個入りとも。
じわっと箱が滲んで見えなくなった。溢れようとする涙を目を閉じて耐える。
消えてなくなりたい。
もう、「ごめんなさい」すら、口に出来なかった。俯いて、ひたすら悔いる。
馬鹿で世間知らずでどうしようもない自分を。
「イルカセンセ――」
柔らかく名前を呼ばれた。
「知らなかったんだよね。だったらしょうがないじゃない」
辛うじて首を振る。責めて欲しい。カカシ先生の気の済むまで。だけど、それは俺の甘えでしかない。
「・・そんな風にしないで・・。言ったデショ?胸が痛くなるって・・」
そうっと唇を啄ばまれる。目を開けると下から顔を覗き込んだカカシ先生が微笑んだ。その笑顔の上に大粒の涙が落ちた。カカシ先生の頬に涙が流れ、それに構わず俺の目元を拭うと唇を重ねてくる。
そんな優しいカカシ先生の仕草にぎゅうっと胸が痛くなった。
堪えきれずしゃくりあげるとそっと引き寄せられた。両腕の中に囲われ、髪に手が触れる。何度も何度も髪を撫ぜられ、その度に目から涙が落ちた。
「後悔してますか?」
頷くととんとんと背中を叩かれた。
「だったら、今度からは疑問に思ったことはオレに相談して。一人で抱え込んだりしないで何でも話して。そしたら・・こんなことにならなかったのに・・」
カカシ先生の言うとおりだった。ひたすらうんうん頷いて顔を拭った。
「こ・・どから、カカ・・せんせいに、・・はなっ・・ます・・っ」
「うん。約束ね。・・じゃあ、そろそろお湯溜まっただろうし、お風呂行こっか。ね!」
カカシ先生が気持ちを切り替えるように明るく言う。顔を上げるとカカシ先生が手のひらの箱を見ていて、そっとそれを床に置いた。
「こんなのいらなかったね」
「え・・」
「だって、イルカ先生そのままのオレの方がスキなんだよね?」
照れながらカカシ先生がこっちを伺う。
「え?」
最初、なんのことだか思い至らず疑問が頭の中で渦巻いたが、徐々に理解してかぁっと顔が火照った。
そうだった。初めてイカされた。しかも生の時に。
あの感覚はなんだったんだろう。強烈な、波に飲まれる様な。あんな感覚が自分の体から湧き上がったということが信じがたい。
「し、知りません・・」
なんてこと聞いて来るんだと顔を背けると、ね?ね?と追いかけてくる。その自信有りげな態度とは裏腹に瞳の奥が不安げに揺れる。
おかしくて、つい笑ってしまった。カカシ先生のそんなアンバランスさが愛しい。
俺が笑うとカカシ先生も笑って、今まであったわだかまりや湿っぽい空気が一掃されて、すっかりいつもの空気に戻った気がした。
だけど、カカシ先生が笑っていてくれたのはそこまでだった。脱衣所で裸になった俺を見て顔色を無くした。
脱いだばかりの服をまた着せようとし、病院へ行こうと繰り返す。俺の体にはカカシ先生が押さえつけた跡や強く掴んだ跡が指の跡まで色濃く残っていた。
こんなの痛くもなんともない。
必要ないと言っても聞き入れて貰えず、ついには泣いて嫌がるとカカシ先生が折れた。
始終無言で体を清めるカカシ先生に居心地が悪くなる。我侭を通した子供みたいにバツが悪い。いたたまれなくなって、「後は自分で・・」と、服を着たままのカカシ先生を追い出そうとすると、「中も・・・」と、すごく困った顔で言う。
「中の、出しておかないとお腹痛くなるから・・」
出すってなんですか?中の?
「すぐ終わらせるから」
戸惑ってる間に膝立ちにされ、両腕をカカシ先生の首に回すように促される。
「カ、カカシせんせい…っ」
双丘に手を当てられ、指が奥に触れる。
正直に言うと、密やかな期待と好奇心があった。あの感覚がなんだったのか見極めたいと。
だけどカカシ先生の指が入ってきた時感じたのは激痛で、塞がりかけた傷を開かれる痛みだった。
声を上げることも出来ず、カカシ先生にしがみ付く。
すべてが終わった時には腕を上げる気力も残ってなくて、カカシ先生のなすがまま湯船に浸かり、体を拭かれ、服を着せられ、布団に寝かしつけられた。
そのまま俺は3日間寝込んだ。