スキマ 4




 さわさわと風が吹いていた。
 目を開くと夜空が広がり星が瞬いている。
(・・・こんなところでなにしてんだろ・・・・?)
 ぼうっと星を見上げ、朧げな記憶を手繰り寄せる。辺りに人の気配は無く、右を見ても左を見ても草が揺れるばかりで誰もいない。
「・・・っ!」
 僅かに動かした体が軋んだ。その痛みは次第に激しさを増していく。
「くぅっ・・」
 頭を抱えて体を丸める。歯を食いしばり息を止めて痛みが過ぎ去るのを待つが、それは体よりも心臓を捻り上げた。
 思い出した。
 押さえつける腕や逸らされた瞳、それからその後の行為を――。
 体を探ると服は着せられていた。用が済むと行ってしまったのか。
(置いてかれた・・・)
 きつく閉じた瞼から涙が零れ、こめかみへと流れた。
 解けていた髪を掴むとあらん限りの力で引っ張る。ぶちぶちと髪が抜け、痛みから熱が湧き上がるが、それでもまだ、ずっと――、
 心の方が痛い。痛くて痛くて堪らない。
 胸の痛みから逃れたくて、新たに髪を掴むとその手に指が絡んだ。
「・・・そんな風にしないで」
 居ない、と思っていた人の声がした。じゃり、と頭の上で砂を踏む音がし、抱きかかえるようにゆっくり体を起こされる。
「急に動くと痛みますよ。ゆっくり動いて。…大丈夫――」
 パンッと静かな空間に乾いた音が響いた。じんと痺れた手をもう一度振り上げる。二回目でカカシ先生の唇が切れた。顔を背け、口の端から血を流したまま、カカシ先生は怒ることもせずに何も言わない。もう一度引っ叩けばカカシ先生が崩れて、体を支えることが出来ずともに倒れた。その体に乗り上げて、ぽかぽかと拳を下ろす。
 大丈夫なわけがない。そんなこと聞くぐらいなら最初からしなければいいのに。
「どうして・・?どうしてですかっ、カカシ先生、どうしてこんなこと…っ!」
「・・・どうして?」
 どんと胸を打ちつけた手を掴まれる。下から見上げる瞳がまっすぐ俺を撃ち抜く。激しい怒りを持って。
「オレはそれに答えないといけないんですか?最初に答えなかったのはアナタの方じゃない」
 その激しさに耐え切れず目を逸らすと、起き上がったカカシ先生の手が上がる。
「・・ぁっ、やっ・・」
 咄嗟に腕を上げ身を庇うと、その手も捕られて顔を戻される。
「離さないよ。どんな嫌がったって・・、オレから離れるなんて許さない!!」
 あまりの剣幕に息を飲んだが。
「勝手なこと言うな!」
 掴まれた手でカカシ先生を突き飛ばす。そのまま振り払おうとすると手首にカカシ先生の指が食い込んだ。うーっと唸り声を上げてもがく内に、カカシ先生の腕の中に閉じ込められ身動きできなくなる。離さない、離さないと繰り返す声に、ならどうして?とまた涙が溢れた。
(それほど想ってくれるのなら、どうして俺一人じゃいけない・・?)
「・・・・他にもいるくせに・・・・。お、俺じゃなくたっていいくせに・・!」
 血を吐く思いでずっと言えなかったことを口にした。現実のものと認めたくなくて、なかなか言えなかったことを。
 なのにカカシ先生の反応といえば、
「ナニ言ってるの!?」
 怪訝な顔で覗き込んでくる。
 惚けるなんて許さない。
「他に・・好きな人が・・・」
「いませんよ!そんな人間――」
 思わぬ返事に驚いた。
「体だけなんですか・・?俺には…、そういうのは分かりません。体を繋げるなら心も繋がってないと、嫌です」
 いい年して青臭いと思われたっていい。だけど俺にそんな付き合いは出来ない。
「待って?イルカ先生、何か勘違いしてない?オレ、イルカ先生以外にそんな人いないよ?」
「勘違いじゃありません!」
(誤魔化されるもんか!)
 この期に及んでそんなことを言うカカシ先生に悔しさが沸きあがる。気づかないとでも思っているのか。証拠だってあるというのに。
「なくなってた・・・」
「え?」
「無くなってたじゃないですか!コンドームの続きが!」
「は?なんのこと・・?」
「『R』と『Y』が残ってたのに違うのになってたじゃないですか!」
「『R』と『Y』・・?」
「イチゴの!!」
 どこまでシラを切る気かと怒りを爆発させると、「あっ」とカカシ先生が声を上げた。それから「そんなことで・・?」と呟く。
 そんなこととはなんだ。
 俺にとっては体が千切れそうなほど、一大事な事だってのに。
「もういいです!カカシ先生なんか――」
「ちょっと来て」
 急に立ち上がったカカシ先生が腕を引く。
「嫌です。カカシ先生と一緒になんて――」
「いいから来て!」
 強引に立ち上がらせようとするのに抵抗する。もみ合ってるうちに焦れたカカシ先生が俺を担いだ。
「やめてくださいっ!こんなことばっかり、もう嫌です!」
「お願い。これが最後になってもいいから・・、オレと一緒に来て」
 返事を待たずにカカシ先生が飛んだ。



 すごいスピードで景色が流れていく。
(どこへ行くんだろう・・)
 両腕で俺を抱え、一度痛みに呻いてからは落差の無いところを選んで駆ける。振り落とされないため、と首に腕を回すとカカシ先生の手が頭を抑えた。
「危ないから、顔上げないでね」
 それっきり、カカシ先生は一言もしゃべらない。
 しがみ付く振りで、首筋に頬を寄せる。そこは温かく、どこか懐かしい。当たり前のようにこうしていたことが遠い昔のことのように思える。


 着いた先は一軒の家だった。呼び鈴も鳴らさず門を潜ると玄関を叩き始める。
「ちょっ・・、カカシ先生!」
 こんな夜更けの、家人の迷惑も顧みない行動に慌てて腕の中から降りると袖を引いた。それに誰にも会いたくないってのもある。
 酷い格好をしていた。髪は乱れ、服には泥が付いている。おまけに裸足で、きっと変に思われる。
「あー、うるせぇ。なんだこんな夜中に・・」
 玄関の向こうの、聞き覚えのある声に身が竦む。
(どうして・・?嫌だ・・知られたくない)
 逃げ出そうとしてカカシ先生に腕を掴まれる。玄関が開く前にさっとその背中に逃げ込んだ。
「何の用だ、カカシ。ちったぁ人の迷惑考えろ・・」
「紅は?居るんでしょ、出して」
「出してって、だからなんの用だって・・・、ん?イルカか?」
 カカシ先生の肩越しにアスマさんの視線を感じた。ぎゅっと体を縮めて見られまいとするが、次第にアスマさんの気が険しくなっていく。
「オイ、何があった。カカシ、ちゃんと訳を話せ」
「いいから紅呼んでよ」
「おめぇ何言ってんだ。イルカ、どうした?何があった?」
 心配するアスマさんの声音にふと気が緩んだ。みるみる下瞼に涙が溜まって目の前が滲む。
「・・・アス兄ぃ・・」
 伸ばされるアスマさんの手に子供の頃の感覚が蘇って縋ろうとすると、カカシ先生からものすごい怒気が吹き出た。
「触るな」
 鋭く言ってアスマさんを遮る。
「どいて。紅!居るんでしょ!紅っ!!」
「よさねぇか」
 押すカカシ先生と押し返すアスマさんとの間で殺気に近いチャクラが入り混じる。
「や、やめてください・・」
 その後ろでどうすることも出来ず、おろおろしていると――。
「うるさいわね!アンタたち!!何時だと思ってるの!人の家の玄関で騒がないでっ!」
「ひぃっ」
「いや、おれが騒いでる訳じゃなく・・」
「用が済んだら帰るよ」
 ものすごく怖かった。
 声とともに張りつめた紅先生の気はカカシ先生やアスマさんを遥かに凌いだ。きっと、今のが煩いと思っても文句の言える近所の人はいないだろう。
 立ってるだけで精一杯の俺の手をカカシ先生がぎゅっと掴む。なんで二人は平気なんだ。上忍と中忍の差を思い知る。
「カカシ、何の用?」
「この前あげたやつ、返して」
「・・どの前よ?」
「あげたでしょ!イチゴの絵が描いてあるやつ」
(――え・・?)
「ああ・・」
「オイ、何の話だ?」
 ドキドキと心臓が高鳴った。息を潜めて紅先生の出方を待つ。
「・・・ケチくさい男ね。くれるって言ったくせに」
「事情が変わった。あるの?それとももう使っちゃった?まだだったら返して」
「アンタってホント失礼・・・」
「一体、お前ら何の話を・・・」
「ねぇどっち?あるんだったら返してよ。でないと・・、アレがないと・・」

 イルカ先生に捨てられる・・。

 震えるカカシ先生の声に息を飲んだ。
「おい、カカシ・・」
「ちょっと待ってて」
 すべてを制する声音で紅先生が言って奥へと引っ込んだ。俺はただただカカシ先生の後ろで嗚咽を堪えるのに必死だった。
(俺はどうしたらいいんだろう・・・)
 暫くして紅先生が戻ってきた。
「はい、コレでしょ」
「・・・うん」
 穏やかになったカカシ先生の声にきゅっと心臓が痛くなった。
「イルカセンセ」
 カカシ先生が振り返る。その手にあるものを見て、息も吐けないほどの嗚咽がこみ上げる。
 開いたカカシ先生の手のひらには、どこかに行ってしまったと思っていた『R』と『Y』があった。
「えっ・・えっ・・カカっ・・、ゴメ・・な、さ・・っ、ゴメっ・・」
「うん、いーよ。わかってくれたら、もういーよ」
 ぽんぽんと頭を叩いて優しく抱きしめてくれる。はぁーっと深く息を吐くカカシ先生に安堵と申し訳なさが溢れて、その体にしがみつくとわんわん泣いた。
「おめぇら・・もう帰れ。・・ったくめんどくせぇやつらだな・・」
「ホント。痴話喧嘩は自分達の家の中でやりなさいよね」
「言われなくても帰ーるよ。悪かったね、紅」
「ごめ・・、さいっ、紅せんせっ、アスマさ・・っ」
「イルカちゃんはいいのよ。気にしないで」
「じゃ、またね」
 カカシ先生が持っていたものを俺に渡すとひょいと背負った。
「おう。イルカ、あんま泣くな――」
 頷く間もなくカカシ先生が飛んだ。紅先生の家は瞬く間に闇に紛れて見えなくなった。



「イルカセンセ、もう泣かないで。そんなに泣くと目が溶けちゃいまーすよ」
 おどけたカカシ先生が慰めてくれる。
「は・・、ごめん、・・んっ、さ・・っ」
「怒ってないから・・、ね?」
 頷いて涙を堪えようとするがなかなか収まらない。
 だってそうじゃない。
 俺がカカシ先生を信じることをしなかったばかりに、たくさん酷いことを言って、いっぱい傷つけた。
 俺はなんて馬鹿なんだろう。
 後悔してもしきれなかった。



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