ぽかぽか 2 -中編-





 途方に暮れてカカシを待っていると、トラ舎の中からカシャンと音がした。
「カカシ!?どこ行ってたんだよ!」
 走ってトラ舎の中に戻るがカカシの姿は無く、代わりに父ちゃがいた。肉を載せた皿をオリの中に押し込み、俺が食べるのを待っている。晩ご飯の時間だった。
「父ちゃ、父ちゃ! カカシがいないよ?」
 オリに近づいて父ちゃを見上げた。父ちゃならカカシの居場所を知っている。早く教え欲しくて右に左にウロウロした。その時、くんと微かだがカカシの匂いがした。
「カカシ?」
 それはいつも父ちゃが消えていく通路からした。ぐっとオリに頭を付けて通路の奥を見ようとしたけど、壁に遮られて見えなかった。
「父ちゃ、カカシあっちに行ったの?」
 聞いたけど父ちゃは教えてくれない。父ちゃに俺の言葉は通じなかった。
「……カカシ、居るのか?」
 堪えきれずガオと鳴くと、カン!とオリを叩かれた。吃驚して飛び退くと、父ちゃと同じ服を着た人間がもう一度オリを叩いた。
「オリから離れろ!」
(この人キライだ)
 前に俺をぶった人間だった。グルルルと喉の奥を鳴らすと、「コイツ!」と棒を振り上げた。カッと怒りが沸いて姿勢を低くした。
「やめねぇか!」
 父ちゃがきつい口調で人間を叱った。叱られた人間は怯んだ顔をして棒を下ろした。
「イルカ、お前も飯を食え」
「でも父ちゃ、カカシがいないんだよ?」
 姿勢を戻すとつんと鼻の奥が痛くなって、ピスピスと鼻を鳴らしながら訴えた。
 カカシがあっちに行ったなら、俺もあっちに行きたい。
 ――ピスピスピスピス。
「イルカ、飯を食え」
 しゃがんだ父ちゃにじっと見つめられて、仕方なく肉に向かった。
 ハグ、ハグ…。
 肉の塊を頬張るが、いつもは美味しく感じる肉が、今は美味しく感じない。それでもしばらく咀嚼を続けたが、
(…もういい)
 踵を返してトラ舎の外に出た。すっかり暗くなった空の上に、ぽつんと月が浮かんでいた。
(カカシ…)
 ピスピスと鼻が鳴った。
『イルカ、満月になったよ!』
 昨日、カカシはとても嬉しげな顔で俺に飛び掛かって来た。
『イルカ、ダイスキ。ダイスキだーよ』
 そう言って、情熱的に俺を抱いた。
(…戻って来るよな?)
 昼寝をする前、ぺろんと俺の顔を舐めて笑ったカカシを思い浮かべた。
「きっと帰ってくる」
 確信して、俺はトラ舎の中に戻った。


 次の朝、随分日が昇ってから目が覚めた。これでは朝ご飯の前にお勤めを済ませられない。
「カカシ、どうして起こしてくれなかったんだよ」
 思わず頬を膨らませて振り返るが、そこには誰もいなかった。
(そうだ…、どっか行ったんだった…)
 刹那、ずんと胸が重くなった。ノロノロ体を起こして外に向かう。入り口の木に向かって片足を上げたが、むなしくなってそこで全部出し切った。だれもいないのに、縄張りなんて意味ない。
 とぼとぼトラ舎に戻ると、藁に体を横たえた。一緒に使っていたその場所には、カカシの匂いが染み付いていた。
(カカシ…)
 また鼻がピスピスなった。カカシが恋しかった。


「どうした、イルカ。飯を食え」
 オリの向こうで父ちゃが呼んでいた。
「イルカ」
 何度も呼ばれて顔を上げると、父ちゃが俺を見ていた。子供の頃、俺が風邪を引いた時と同じ顔だ。
(父ちゃが心配してる…)
 体を起こすと肉に向かった。だけど本当に食欲が無い。大好きなレバーにだけかぶり付くと、あとは残した。
「イルカ、具合が悪いのか?」
 父ちゃに聞かれたけど、俺は藁に戻って横たわった。何もする気になれない。だけどトラ舎の中にいても人間の視線が煩くて、俺は外に出た。
 太陽の眩しさに目を細め、徐々に慣れて来た光に瞼を開くと、ガランとした縄張りが目に入った。
 そこは寂しくて、何もない場所だった。
(…こんなに広かったかな…)
 ゆっくり出来るところを求めて歩き出す。入り口の木や、砂場に行ってみた。でもしっくり来なくて、縄張りの中をうろうろ歩く。
「ママー、トラさんが歩いてるよ!」
 外は外で見物客が煩い。溜め息を吐いてトラ舎に戻ると、肉の皿が残されたままになっていた。俺はそれを一瞥すると、カカシの匂いの残る藁を咥えて、再び外に出た。入り口の横に藁を落として体を横たえる。
 ここは俺が独りぼっちだった時に使っていた場所だった。ここなら外も見えるし、トラ舎の中にもすぐ戻れる。カカシが帰って来た時、すぐに気付けると思った。
 夜、ご飯の皿はレバーばかりになっていた。すごいご馳走だ。前の俺なら飛び付いただろうが、チラリと見ただけでカカシを探した。
「父ちゃ、カカシはいつ帰ってくるの…?」
 じっと父ちゃを見上げるが答えてくれなかった。
「イルカ、どうしたんだ?腹は空かねぇのか?」
 父ちゃが困った顔で俺を見ていた。
 く、くぉーん…。
 か細い声が鼻から漏れた。初めて出した声に父ちゃがびっくりした顔をしていた。俺もこんな声が出せるなんて知らなかった。
 くぉー、くぉー。
 鳴いてカカシを請うた。
 くぉー、くぉー…。
 長く訴えたけど父ちゃは聞き入れてくれず、俺は外に出てカカシを呼んだ。
「カカシーーーーー、カカシーーーー」
 か細い声が夜の動物園に響いた。
 くぉーーーーーん、くぉーーーーん。
 どれほど呼んでも応える声は返って来ない。
 くぉーーーーーん、くぉーーーーん…。
 朝の光がやって来ても、俺はカカシを呼び続けた。
 




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