ぽかぽか 2 -前編-
俺の朝はカカシに顔を舐られることから始まる。
ねろーん、ねろーん。
「…カカシ、うるさい」
ぐっすり眠っていたのに、カカシの舌の感触で意識がどんどん浮上していった。前足で顔を隠すがカカシはしつこい。
ねろーん、ねろーん。
「イルカ、もう朝だーよ」
しゃぶしゃぶと小さな耳をしゃぶられて、くすぐったくなった。
しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶ。
「んもうっ!」
眠っていられなくて、前足でカカシの顔を押した。
「まだ眠いの!」
だって寝るのが遅かった。昨日は満月だったから、カカシが寝させてくれなかった。
おかげで朝からくたくただ。
それでも瞼の上をカカシの舌が這う。次第に諦めて、俺は瞼を開けた。
カカシが満面の笑みを浮かべて俺を見ている。
「イルカ、おはよう。今日もスキだよ」
「…そうかよ」
無理矢理起こされた腹いせに、俺はぶっきらぼうに言った。四つん這いになって前足を伸ばすと、う〜んと伸びをする。
そうすると頭がすっきりして、俺は朝のお勤めに出た。
縄張りの確認だ。
立ち上がって歩き出すと、カカシも付いてきた。まずはトラ舎の入り口の木に向かう。片足を上げて、しゃーっとおしっこをすると、次に石垣を目指した。
トラ舎をぐるりと囲む石垣に、満遍なくおしっこを掛けていく。カカシは、なにをするでもなく俺の後を付いてきた。
ここは俺の縄張りだから、カカシはおしっこを掛けたりしない。ただじっと俺がマーキングしているのを見ていた。
(…カカシは縄張りいらないかな)
闘って勝ち取ったのでなく、俺が勝手に自分の縄張りにしたから後ろめたい。
「…カカシは自分の縄張りが欲しくないのか」
前に聞いてみたことがある。するとカカシは、
「イルカのおしっこしている姿って可愛い」
と、訳の分からないことを言った。
以来、縄張りの事には触れないようにしている。
一周して戻って来ると、カカシは隅っこにいって足を上げた。
カカシは体が大きい立派なトラだ。縄張りが欲しくないわけ無い。
(今更カカシと闘うのは嫌だ。でも縄張りが小さくなるのも嫌だ)
ジレンマで頭を悩ませていると、戻って来たカカシが俺の顔を舐めた。
「待っててくれたの?」
「え、うん、まあ…」
嬉しそうに笑うカカシに曖昧に答えた。カカシは良いヤツだ。だけど、「縄張りを分けてやる」と、どうしても言えない。
「イルカ、もうすぐご飯だよ」
人の動き出す気配にカカシが言った。
今日も憂鬱な気分のまま一日が始まっていく。
ふがっ!ふがっ!ふがふが!
銀の皿に顔を突っ込んで、肉の塊に牙を立てた。あまりの美味さに、さっきまでの憂いはすっかり忘れていた。
大好物は真っ赤なレバーだ。
カカシと一緒に暮らすようになってから食べられるようになった。仲睦まじい俺達の姿に来園者がまた増えたらしい。おかげでご飯が豪勢だ。
口の周りを汚しながら貪っていると影が差した。
(盗られる!)
焦った俺は前足をババン!と地面に叩きつけて威嚇した。皿に顔を埋めたまま視線を上げると、カカシがレバーを咥えて立っている。
(なんだよ!)
うーっと呻り声を上げると、カカシがレバーを俺の皿に入れた。
「イルカ、スキでしょ?あげる」
「えっ!いいの?」
「ウン」
最後の返事を待たずにかぶり付く。
「コラ、カカシ。自分の餌は自分で食え。イルカがデブになる」
柵の向こうから見ていた父ちゃが言ったけど、食べる勢いは止まらなかった。
(父ちゃ、大丈夫だよ。俺、デブにならないから)
一匹でいたことに比べると、随分体を動かしている。太る要素なんてなかった。
食べ終わると、カカシが綺麗に俺の口の周りを舐めた。
その後二人で外に出た。
「とう!」
ご飯の後は外でカカシと遊んだ。遊ぶ、と言っても一方的に俺が寝そべるカカシに飛び掛かるだけだけど。
体の大きなカカシを兎に見立てて飛び掛かる。
ガブ。
軽く牙を立ててもカカシは怒らなかった。
「カカシ!もっと遊んでくれよ」
「ご飯を食べた後は、腹ごなしをしないと」
そう言って、カカシは寝そべるだけだ。
(ちぇ)
カカシは大人しくてつまらない。
目を閉じたカカシの耳がピクピクと動いたのを見て飛び掛かった。前足で押さえて牙を立てる。甘噛みすると、ぶるっとカカシが震えた。
「イルカ…、もしかしたら痛いかもよ?」
カカシが控えめに言った。
そんなことあるもんか。ちゃんと力を抜いている。
昼寝から目が覚めると、カカシが居なくなっていた。眠る前までは確かに隣にいたのに。
「…カカシ?」
うんと伸びをするとオリの中を歩き回った。
「カカシー?どこにいるんだ?」
滅多に使わなくなったカカシのトラ舎に行ってみたが、そこは入り口が塞がれて入れなくなっていた。
「カカシ?」
カリカリ入り口を引っ掻いてみたが返事は無い。トラの気配も無かった。
(まさか!)
はっと思い当たって池に行ってみた。その大きな池はカカシの故郷を模して作られた。水深は深く、奥へ進むと足が届かなくなる。
夏の間、カカシはよくそこで泳いでいたけど、もしかしたら溺れたのでは無いかと思ったのだ。だって、今はとても寒い。
「カカシー!カカシ!」
池に向かって叫んだが、水面は落ち葉に覆われて底が見えなくなっていた。
「カカシ…、あ!」
一歩踏み出して、足を引っ込めた。つま先が千切れそうなほど水が冷たい。こんな中にカカシが入っていったとは思えない。それに俺は水が怖かった。
「カカシ…どこ行ったんだよ…」
とうとう日が暮れてもカカシは出てこなかった。
檻の中からカカシがいなくなっていた。
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