ぽかぽか 2 -後編-





(俺はカカシに嫌われたんだ)
 三日目の朝、そう結論づけた。
 だからカカシはいくら待っても帰ってこない。いくら呼んでも応えてくれない。
 きっと縄張りを独り占めしたのがいけなかった。カカシは自分の縄張りを求めて出て行ったに違いない。それとも耳を噛んだのを怒ったのだろうか。
(痛がってたのに…)
 俺は自分勝手で嫌なヤツだ。カカシの優しさに、何も応えてなかった。カカシが愛想尽かして出て行っても仕方ない。
(ゴメン、カカシ…)
 とぼとぼトラ舎に戻ってカカシの匂いの残る藁に顔を埋めた。匂いは随分薄くなっていて、深く吸い込まないとカカシの匂いが嗅げなかった。
(カカシが恋しい…)
 その時、カシャン!と音を立てて、外へ繋がる入り口が閉まった。身の危険を感じてさっと立ち上がる。しばらくするとオリをたくさんの人間が囲った。父ちゃもいたけど、ものものしい気配を警戒して近づかなかった。
「イルカ、怖いこと無いから大人しくしてろ」
 シュッと足下に矢が刺さった。父ちゃを見て、心に冷たい亀裂が入った。矢を吹いたのは父ちゃだった。
(どうして!?)
 俺は父ちゃにまで嫌われてしまったのだろうか。
 向かってくる矢を必死で避けるが、とうとうそれが足に刺さって動けなくなった。徐々に力が抜けて立っていられなくなる。ぐったり横たわると、オリが開いた。父ちゃと他の人間がたくさん入ってくる。
 前にそこが開くのを見たのは、まだ子供の頃だった。父ちゃに抱かれて、オリの外を散歩した。たくさんの人が俺の顔を覗き込んで体を撫でた。
(父ちゃ…)
 今はもう、俺の体は父ちゃよりでかくなってしまった。
(…もういらない子になったの?)
 最近の俺はトラ舎の前で座っているだけだった。言うことも聞かなくて良い子じゃなかった。
「お願いします」
 父ちゃが言うと、白い服を着た人間達が俺の体を仰向けに返した。そして口を開けたり、胸に触れたりする。針も刺されたけど痛みは感じなかった。体は動かせないが意識はいつまでもあった。
「異常はありませんね。後は血液検査の結果を待って――」
「そうですか。ありがとうございました」
 人間達がぞろぞろ出て行く。最後に残った父ちゃが頭を撫でた。
「イルカ…、一体どうした?飯を食わねぇと死んじまうんだぞ」
 父ちゃが心配そうに俺を見つめていた。あんなに恋しかった父ちゃの手だけれど、あまり嬉しくなかった。それより顔を舐めたカカシの舌が恋しい。
(父ちゃ…ゴメン…)
 自分でも何に対しているのか謝っているのか分からなかった。意識がどんどん薄れていく。目が覚めた時、俺は一人になっていた。


 次の日も、次の日もトラ舎の外でぼんやり過ごした。カカシのことは考えないようにした。考えると全身が痛くなる。きゅうと捩れて息が出来なくなった。
 考えてみれば、以前の生活に戻っただけだ。カカシがこっちに来る前まで、俺はここでずっとこうしてた。毎日毎日寝そべっていた。
(なのに、どうして違うんだろう…)
 なんの気力も湧かなかった。胸にぽっかりと大きな穴が開いて、ぴゅうぴゅう冷たい風が吹き抜けた。ご飯も父ちゃがいっぱいレバーを用意してくれたけど食べられなかった。
(カカシ…)
 胸の奥に押し込んだはずの名前が浮かんで、きゅっと胸が痛くなった。
(カカシ…カカシ…)
 一度浮かんだ名前は俺の中を占めて体中を苦しくした。
(痛い…痛い…)
 その時、ガシャン!とトラ舎の入り口が閉じた。ハッとするが今は外にいる。こちら側から人間は来れる所は無かった。
(どうしたんだろう…?)
 のそりと起き上がって、トラ舎の入り口を見に行った。カリ、とドアを引っ掻いてみる。そのうちどうでも良くなって、戻ろうとすると入り口が開いた。そこから懐かしい匂いがする。
「カカシ!」
 急いで中に入ると、カカシの大きな体が横たわっていた。カカシは傷付き、割れたつま先に血をこびり付かせていた。
「カカシ!カカシ!」
 呼んでも目を開けない。顔に近づくと鼻を押し付けた。
「カカシ!起きてくれよ。カカシ!」
 カカシは起きなかったけど、押し付けた鼻先は温かかった。すぅーっとカカシの寝息が聞こえる。
「…生きてる」
 ぐいぐいとカカシの肩に顔を擦りつけた。
「カカシ…」
 カカシが帰って来てくれた。目覚めないカカシの顔をぺろりと舐めた。それから艶を無くしたカカシの毛を舐めた。所々皮が裂けて毛が赤く染まった所も、白い毛に戻るまで舐めた。割れたつま先も綺麗にした。
「ン…」
 そうしているとカカシが瞼を開いた。
「…イルカ?」
 カカシの口が俺の名前を呼んだ。
「うん。カカシ、そばにいるよ」
 顔を近づけると、ハッと目を見開いたカカシが飛び起きた。
「どうしたの!?イルカ、そんなに痩せて!!!」
 オロオロと俺の顔を覗き込む。
(いつものカカシだ…)
 そう思うと、感情が爆発した。
「カカシのせいだろ!!!」
 突然怒鳴った俺に、カカシが驚いた顔をしたけど止まらなかった。
「どこ行ってたんだよ!どれだけ探したと思ってんだ!バカヤロー!!」
 うわーんと大声を上げると涙がボロボロ出た。
「バカやロー!バカヤロー…」
「ゴメン、イルカ…!泣かないで…」
 カカシが俺の涙をペロペロ舐めた。久しぶりに感じるカカシの舌に、また涙が溢れた。
「嬉しい…。イルカが泣いてくれるなんて…!」
「バ、バカッ!」
「ウン、ゴメンね」
 ニコニコ笑ってカカシが俺の顔を舐める。そんな俺達を、父ちゃがオリの外からホッとした顔で見ていた。


「あのね、大変だったんだよ」
 いなかった間のことをカカシに聞くと、こうだった。あの日お昼を食べた後に眠くなって、俺の隣で昼寝をしていたのに目が覚めたら別の場所にいたらしい。そこには雌のトラがいて、無理矢理番いにされそうになった。
「オレ、必死でイルカの元に帰ろうとしたんだよ」
 それはボロボロになったカカシを見れば分かった。
「雌とは何もなかったよ!」
 聞いてもないのに、カカシは必死で身の潔白を訴えた。それからたくさん俺の体を舐めた。
「んもぉーっ、イルカからアスマの匂いがする。オレ以外のヤツに体触らせないで」
 ねろーん、ねろーんと舐られて、くすぐったい心地になった。前みたいにうっとうしくない。それどころか嬉しかった。
 せっせと俺の体を舐めるカカシに、体を曲げてその頬を舐めた。
「イ、イルカ!?」
 カカシの鼻がピンク色に染まった。他にも耳の内側や白い毛に覆われてない所が可愛いピンク色になった。
「イルカが舐めてくれた!」
「さっき、いっぱい舐めたよ」
「えっ!」
 くんくんと慌てて自分の体の匂いを嗅いだカカシが、うっとりした顔つきになった。
「イルカの匂いがする…。イイ匂いー…」
 それからデレデレと体をくねらせたカカシが上目遣いで聞いてきた。
「…イルカ、オレのことスキ?」
「ま、まあな!」
 照れ臭かったから勢いで答えた。
「イルカ、ダイスキ!」
「バカ、やめろよ」
 ガバッとのし掛かられて、じゃれながらカカシの重みを受け止めた。


 翌朝。
 俺はカカシに顔を舐られる前に起きていた。って言うより、緊張して眠れなかった。一晩考えて決めたことがある。
 すくっと立ち上がって外に出るとカカシも付いてきた。それを確認して、トラ舎の木の前で振り返った。
 一晩掛けて決めたこと。それはカカシと縄張りを守ることだ。一緒に守れば分ける必要は無い。我ながら名案だ。――カカシが気に入るか分からないけど。
「き、今日からカカシもおしっこ掛けていいぞ」
 緊張して噛みながら言うと、カカシが吃驚した顔をした。
「えっ!いいの!?」
「でも俺が一番だからな!」
 勢い込んだカカシに慌てて言った。しまった、と思ったが、性格なんて一晩で変わらない。それに喉元過ぎれば熱さ忘れるで、カカシがいない間あれだけ独り占めを反省したのに、縄張りを惜しむ気持ちがまだあった。
 だから、俺の最大の譲歩を示した。
「俺が一番で、カカシはそのあと。いいな?」
「後から掛けていいんだ…」
 感動して呟いたカカシに鷹揚に頷いた。
「嬉しい。イルカのこと大事にするね!」
「バ、バカ!カカシは俺が大事にするから、そんなこと言わなくていいんだよ」
 それが男の努めだ。照れながらごにょごにょ言うと、笑ったカカシがねろーんと顔を舐めた。ねろーん、ねろーんと舐められて目を閉じる。
 カカシの舌が離れた隙を狙ってねろーんと舐め返せば、カカシの鼻がピンク色に染まった。  



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