イルカ観察日記 11





 次の休日、カカシの様子を見に行った。見たからと言って、どうにかなる訳でもないが、俺はそうせずにはいられない気持ちになっていた。
(なにも見なかったふりをすれば良かったのか)
 満月の夜を思い出していた。そんなこと出来ない。イルカは雄だ。可愛い嫁さんを貰って、子供を作って貰いたい。そしてまた、イルカみたいな可愛い仔トラを見たかった。今度は人工保育じゃなくて母トラの手で。その為にはどんな手伝いだってするつもりだ。
 しかし弱っていくイルカの様子を見ていると、俺はどうも自分が間違ったことをした気分になって落ち着かなかった。
(俺は間違ってねぇ…)
 飼育員なら誰もがイルカとカカシを引き離しただろう。
(だが、それで良かったのか…)
 その答えが、カカシにある気がした。
 入り口で貰ってきたパンフレットでトラ舎を探した。パンフレットの表紙にはカカシの写真が載っていた。園のカカシ対する期待が窺えた。
 トラ舎はすぐに見つかった。元からいたトラの舎とカカシの舎は隣り合わせに作られていた。お見合いをさせるつもりなのだろう。だがどちらの舎にもトラはいなかった。どういう訳か二頭とも展示中止の張り紙が出ている。
 俺は迷いながらもカカシの様子が知りたくて、砂の動物園の飼育員に声を掛けた。
 カカシが雌トラと仲良くしてたらいい。そうすれば、イルカへの後ろめたさに折り合いが付けられる。内心そんな腹づもりがあった。
「すみません、木の葉動物園でカカシの担当をしていた者ですが、カカシはこっちに来てから元気にやってますか?」
「あ、あんた…!」
 何故か飼育員の顔が険しくなった。
「あんなトラ寄越してどういうつもりだ? こっちは大人しいトラだと聞いていたから買い取ったのに。カカシの気性が荒くて、元からいたトラが怯えてトラ舎から出てこなくなったじゃないか! 最近じゃ体調まで崩すし。まったく、困ったもんだよ!」
 俺は自分の耳を疑った。
(カカシの気性が荒い?)
 いや。カカシは野生のトラだったにも係わらず、大人しいトラだった。性格も優しく、イルカの我が侭な振る舞いにも怒らなかった。叩かれたって、やり返したりしない。
「そんな筈はないんだが…。カカシは人に慣れなかったが、同じトラには優しかったぞ?」
「嘘だと思うんなら見てみなよ」
 飼育員に連れられて、カカシのトラ舎に向かった。ドアを開けて、すぐに咆哮が響き渡った。それから金属がガンガンと激しく音を立てている。
(これがカカシ…?)
 信じられなかった。奥へ入るとカカシが檻の中で暴れていた。外へ出ようと檻に体当たりし、爪を立てる。あんなに綺麗だった毛並みは血に汚れ、爪は割れていた。
 カカシの目が俺を捉えた。
 がおぉぉぉっ
 怒りを露わにして咆哮を上げた。出せ、と言っていた。イルカの元に戻せと鳴いていた。
「ずっとこの調子で展示場に出すことさえ出来ない。宣伝もして期待が高かったのに、いつまで経っても展示されないから、最近では苦情の電話が掛かって、その応対に追われ大変だよ。こんな予定じゃなかったんだけどなぁ…」
 はぁっと溜め息を吐いた飼育員が言った。
「アンタ、自分の動物園に帰って園長にこの話をしてくれないか? そしてカカシを引き取ってくれ」


 砂の動物園を出た足で木の葉動物園に向かった。園長室に入ると、休みなのに現れた俺に驚いた顔をしたが、カカシの話をすると頭を抱えた。
「そうは言ってもな、それは飼育員同士の話だろう? カカシには億の金が動いている。あちらの園長はしばらく様子を見るつもりだぞ」
「そんな…。このままではカカシもイルカも死んでしまいます。早く手を打たないと」
「分かっている。しばらく考えるから時間をくれ」
 悠長なと思ったが、これ以上言える事は無かった。そもそもカカシを園外へと追い出したのは俺だ。
「ああ、くそっ!」
 悪態づいても仕方が無いが、気持ちが焦った。イルカの様子を見に行けば、生気を無くしてトラ舎の前でぼんやり横たわっていた。ちゃんと餌を食べていないから、弱ってきているのだろう。
(俺はイルカのこんな姿を見たかったんじゃねぇ…)
 イルカの元へ戻ろうと必死だったカカシの様子も思い出して深い溜め息を吐いた。
(…認めたくない)
 どうしてカカシは雄なのだろう。雌であればどれほど良かったか。
 でも、二頭とも生きていてくれるのが一番だ。
 長くは待てないから、明日まで待って直接向こうの園長に頼み込もうと思った。金なら返す。例え私財を擲ってでも。


 しかし事態は思わぬ方向から好転した。
 全国から嘆願メールが届いたのだ。カカシと砂の動物園の雌トラがペアにならなかったのなら、カカシを元の動物園へ戻し、そして砂の動物園の雌トラには新しい雄トラをと。
 それは木の葉だけじゃなく、砂の動物園も同様らしかった。
(一体どうなってんだ?)
 朝から園の電話は鳴りっぱなしで対応に追われた。昼には砂の動物園の園長がやって来て、うちの園長と会議室に籠もった。
(話が良い方向へ進めば良いが…)
 しばらく経って扉が開くと園長達が出てきた。どうなっただろう。早く話が聞きたい。
 砂の園長が背を向けると、園長に駆け寄った。
「どうなりました?」
 俺の質問に、園長は「はぁっ」と溜め息を吐いて眉間に皺を寄せた。
「まったく世話を焼かされるよ。カカシには」
「園長?」
「アスマ」
「はい」
「今からカカシを迎えに行っておいで。向こうの飼育員に牙を剥いて、手に負えないそうだ。お前が行ってなんとかしておいで」
「はい!」
 決して嬉しいなんて思っていない。ただイルカにカカシが必要だからするだけで。ふと、どこかで聞いたフレーズだと頭を過ぎった。
「シカマル! カカシを迎えに行く。お前も一緒に来い」
「はい」
 バタバタと檻と麻酔を用意して砂の動物園に向かった。


 




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