イルカ観察日記 10
翌朝、俺はすぐにこのことを園長に報告した。やはり二人の檻を分けたいところだが、悔しいがそれが不可能なのは経験済みだ。
なら早急に雌トラと番にする必要がある。イルカはまだ未成熟だからカカシを。トラのブリーディングローンを募集しているところを探すとすぐに見つかった。隣県の砂の動物園だ。相手もホワイトタイガーで申し分ない。
申込みをすると話は急転した。相手先の園がカカシを買い取りたいと言ってきた。そして産まれた仔を木の葉動物園にくれると言う。
園長がこの話に乗った。動物園では成獣より仔の方が人気が出る。イルカとカカシの仲の良い様子は評判となり、来園者数がかつてないほど伸びていたが、ホワイトタイガーの仔となれば人気も格別だろう。
そしてイルカが成熟した時に雌トラを迎えれば、また仔が産まれる。そっちの方が園としても、二頭にしても良いに決まっていた。
話はとんとん拍子に纏まり、カカシが移動する日が決まった。受け入れ側の準備もあるから約一ヶ月後。
イルカにはまた一頭になって寂しい思いをさせるが、今度は俺が傍にいてやれる。
問題はどうやってカカシを移動させるかだが、餌を利用することにした。カカシはイルカと並んで餌を食べる時は本当にリラックスしていたから餌の肉に麻酔を染み込ませた。二頭は常に一緒だったから、イルカの皿にも。
カカシが肉を食べるイルカの皿に自分のレバーを運んだ。イルカが嬉しそうに肉を食べるのを見て、カカシがその頬を舐めた。カカシがイルカを大事に想っているのを見て胸が痛んだが、気付かないフリをした。
二頭が眠ったのを見て檻を開けた。カカシだけ連れだし、移動用の檻に入れた。あの時カカシを元の檻に戻していれば、こんなことにならなかったのに。
カカシ(人間)の顔がちらりと思い浮かんだが、幸いヤツは海外に行っていた。帰って来たら文句を言われるだろうが、仕方ない。事情を説明すれば、分かって…くれるかどうか。
カカシの恋人が男なのを思い出して溜め息を吐いた。カカシが誰を好きになろうが関係ないが、イルカは俺の子も同然だ。
(子の幸せを願うのは、親なら当たり前だろう?)
言い訳を始めている自分に気付いたが、さっさと運搬手続きを済ませた。
イルカは何も知らずに檻の中で眠っていた。カカシが傍にいるように、体を丸めて。
カカシが新しい動物園着いた頃、イルカは目を覚ました。辺りを見渡すと、うろうろ歩き出す。すぐにカカシを探しているのだと気付いた。夕方餌の用意をすると、いつもは皿に直進するイルカが俺の方へやって来た。
何かを訴えるように見上げる。それから何か気付いたように廊下の奥に目をやった。
そうだ。その通路からカカシを外に出した。
匂いで分かるのかイルカが檻から離れない。外に出たそうにぎゅうぎゅう額を檻に押し付けた。やがて我慢しきれなくなったのか、通路の奥に向かって咆えた。その瞬間、
「オリから離れろ!」
代番の男が棒でカンカン檻を叩いた。
何故そんなことをする必要がある。この男は動物への愛情が欠落していた。前にイルカを叩いたのもコイツだ。
「やめねぇか!」
イルカに内緒でカカシを連れ出した後ろめたさも手伝って、一気に怒りが爆発した。イルカも男を覚えているのか、怒りを露わにした。姿勢を低くして今にも襲いかかりそうだ。
「出て行け」
これ以上イルカを興奮させない為にも男を追い出した。
「…イルカ、お前も飯を食え」
しゃがんで視線を合わせると、興奮を静めたイルカがピスピス鼻を鳴らした。じっと通路の奥を見ている。
「イルカ、飯を食え」
繰り返し言い聞かせると、イルカは皿に向かった。だが少しだけ肉を口にすると、外に出てしまった。またカカシを探すつもりだろうか。
(イルカ、寂しいのは今だけだ。我慢してくれ)
だが、イルカは元気を無くしていった。餌もほとんど食べなくなり、一日トラ舎の中で体を横たえたままだ。
このままでは体調を崩してしまうと、イルカの大好きなレバーばかりを用意してみたが、とうとう食べなくなった。
「イルカ、どうしたんだ? 腹は空かねぇのか?」
イルカが心配で堪らない。どこか具合が悪いんじゃないかと思ったが、そうではなく、イルカは哀しい声で鳴いた。
夜の園内にイルカの遠吠えが響く。カカシを探している声だった。
くぉーーーーーん、くぉーーーーん
切ない声に耳を塞ぎたくなる。イルカの為にと思ってやったことだが、俺は間違っていたのか?
日に日に痩せていくイルカに健康診断を行うことになった。カカシと違ってイルカは動きが鈍い。吹き矢で狙うとすぐに矢が当たった。
イルカが哀しげな声を上げたが、これもイルカの為だ。ドサリと倒れた体が動かなくなったのを確認して檻を開けた。
「お願いします」
獣医達がイルカの体を仰向けに返して検査していく。一通り検査が終わって異常無しと告げられた。ホッとしたが、心配は残ったままだ。
なら何故食べないんだ。
その答えを獣医に求めても首を傾げるばかりで、俺の求める答えをくれなかった。
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