イルカ観察日記 12





 砂の動物園に着いた時のは、ちょうど閉園した後だった。搬入口から入って、カカシのトラ舎の脇にトラックを着けると、砂の飼育員がフォークリフトを動かしてくれた。
 早くカカシを連れ帰って欲しそうだった。
 トラ舎に入ると相変わらずカカシが暴れる音がした。イルカなんてぐったり寝ているのに、なんて体力だ。カカシだって食ってないだろうに。
「カカシ!」
 声を掛けると、俺を見てまた咆哮を上げた。檻に体当たりして周囲を驚かせる。
 だがフォークリフトに乗った檻が運ばれると、様子が違うと思ったのか、少し大人しくなった。
「カカシ、帰るぞ」
 ぐるるるる、ぐるるるる
 警戒音を発しながら、そわそわと歩き回る。今だと思って吹き矢を拭いた。カカシの前足がそれを叩き落とす。
 …イラ。
(これ以上世話掛けさせんな)
 もう一度吹き矢を構えた。
「カカシ、麻酔が効いてないと、ここから出られないぞ」
 ちょっとの痛みぐらいなんだ。イルカをくれてやるんだから、それぐらい我慢しやがれ。
 じっと構えたまま、カカシが動きを止めるのを待った。カカシが俺を見たまま迷っていた。俺を計っているのだろう。言うことを聞いてイルカに会えるかどうか。
 結局カカシは「ふるっ」と不快そうに息を吐くと、動きを止めた。
「いい子だ」
(寝て起きたらイルカの側だ)
 胸の中でそう呟いて、ふっと矢を吐くとカカシの足に刺さった。「おお」と砂の飼育員から感嘆の声が上がった。
 やがてカカシがドサリと倒れた。



 カカシが砂の動物園から戻ってきて目を覚まし、イルカと仲良くする姿にホッとしていると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。
 表示を見るとカカシからだ。名前を見て嫌な予感がしたが、ヤツは海外だ。カカシを他の園に移したことは知らないだろう。
「…なんだ?」
「アスマ、オレに何か言うことなーい?」
 その一言でバレていると悟った。
(ちっ、遠回しな言い方しやがって。なんでだ? なんでバレた? だれかリークしたのか?)
「別に何も無いが」
 それでもシラを切るとカカシが話し出した。
「オレね、ブログやってんだーよ。『カカシ』と『イルカ』の。そこの読者さん達がね、連絡くれたんだよ。勝手にカカシのこと他の動物園にやって! 一人にしたらイルカが可愛そうデショ? そんなことも分かんないの?」
 イルカの名前を持ち出されて、カーッと頭に来た。
「うるせぇ! しょうがなかったんだ! イルカがカカシに犯されたから、こうしたんだ!」
「なに言ってるの? オレは犯してないよ! 同意の上だよ!」
「お前ぇじゃねぇ! トラの方だ!」
「あー…」
 想像しているのかカカシが黙ったが、
「…仕方無いよ。『カカシ』と『イルカ』だもん。二人はいつも一緒なんだーよ」
「うるせぇっ黙れ! お前に俺の気持ちが分かってたまるか!」
「うーん、なんて言うか…。ゴメンね、お父さん?」
 ブチッと電話を切ると、メールが送られてきた。そこにあったアドレスにアクセスすると、確かにカカシの言うブログがあった。そこでカカシは署名と嘆願メールを募っていた。
 その行動力と素早さに驚くばかりだ。手をこまねいていた俺とは違う。
 悔しい思いを噛み締めながらブログを遡っていくと、トラ舎の写真が出てきた。イルカとカカシが一緒に遊んでいた。
 他にもイルカが昼寝している様子や、カカシが泳いでいる姿もある。もっと遡ると、イルカの子供時代の写真が出てきた。
 一般公開の写真でイルカが俺の腕に抱かれていた。
 小さかった。可愛かった。
 ぽた、とキーボードに水滴が落ちた。一体どこから? と思ったが、水滴は次々落ちてくる。そのうち鼻が詰まって、自分が泣いていることに気付いた。
「く…そっ…」
 親父が死んだ時でさえ泣かなかったのに、今は涙が止まらなかった。
 本当はもっと前から気付いていた。カカシが居なくなった時、イルカは俺が呼んでも振り向かなかった。イルカの心はもうカカシへと向いていたのだ。
 寂しいとも哀しいとも思っていないのに、涙が次々溢れた。
(…俺も子離れしねぇとな)
 イルカの時でこれだから、娘が嫁ぐ時を想像すると今から思いやられる。


 



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