イルカ観察日記 5
八月四日 イルカ生後七十日目
イルカが目に見えて大きくなった。体重は五キロを超えた。人間の赤ん坊ほどの大きさがあり、抱き上げると腕にずっしり重みが掛かった。
四肢の力も強くなって、しっかり歩くようになった。そしてイルカは顔もでかくなった。完全な三頭身だ。
顔立ちはまだまだ子供だが前足は女の腕ほどある。トラに限らず動物の成長は早い。
離乳食は大好きになってばくばく食べた。
皿が空になっても必死に舐める。皿を片付けようとすると咥えて離さなかった。
イルカは少々食いしん坊だ。
カカシの寄付金は無事に振り込まれて、園はお祭り騒ぎになった。
「今年はボーナス出るかなぁ!」
寄付金だからそれは難しいんじゃないかと思ったが、夢を見るのは自由だ。黙っておいた。
八月十四日 イルカ生後八十日目
離乳食に細かく切った肉を混ぜてやるようになった。初めての固形物にどう反応するかと思ったが、イルカは喜んで食べた。
体重は六キロを超えた。伸び上がると前足が俺の腰まで届く。口を開くと立派な犬歯が見えた。
うっかり日記を床に置いたまま掃除をしたら、イルカにノートを踏みつけられてしまった。
足の裏が汚れていたのか、べったりイルカの足跡が付いた。
それを見ていると、ふと思いついて、イルカの足跡のグッズを作らないかと園長に提案してみた。
考える素振りを見せたが、園長が考えるグッズよりずっと良い筈だ。今使っているこのノートだって園長が考えたものだが大分売れ残っている。本人はゾウをモチーフにしたと言っているが、見ようによっては鼻のデカイ変な生き物が影から出てきているように見えなくもない。
「よし、お前に任せる。やってみろ」
鷹揚に頷く園長に頷き返した。
まずは定番の饅頭を作った。大きさはイルカの足跡の実物大にした。パッケージにはイルカの写真を使った。
バカ売れだった。(十月三十一日追記)
八月二十四日 イルカ生後九十日目
イルカの二度目の一般公開を行った。時間は二十分間。夏休みという事もあって長蛇の列が出来た。
久しぶりに外に出たイルカはトコトコ歩いて、集まった沢山の人を物珍しそうに眺めた。そして踵を返すと俺の所に戻って来た。
靴に噛み付いて、遊んでくれの合図だ。俺は遊んでやる代わりに持っていたボールを転がした。あまり人に慣れた姿を見せるのは良くないと判断してのことだ。
トラは猛獣だ。飼われているトラが安全だと思われるのは拙い。
幸いイルカはボールに夢中になって遊びだした。
イルカの遊ぶ様子に客は満足して帰って行った。
三回目は明後日だ。こうしてイルカを徐々に人に慣れさせるつもりだ。
九月三日 イルカ生後百日目
イルカが生まれて百日経った。体重は十キロを超え、顔つきが大人のトラらしくなってきた。
走るのが速くなって、しっかりとした足取りで地面を蹴る。
餌はミルクと離乳食も与えるが半分は肉になった。スライスした牛肉と鶏肉をぺろりと平らげる。
立派な成長を嬉しく思う。
最近は、イルカに触れる時は厚手の皮手袋をするように義務づけられた。だがイルカは人を襲うなんて考えもしていないだろう。
九月二十三日 イルカ生後百二十日目
今まで使っていた部屋が狭くなってきたので。イルカを母親が使っていたトラ舎に移した。
まずは環境に慣れさせるために室外運動場と室内運動場の間にある空間を利用した。ここはイルカの母が寝室に使っていた場所だ。そしてイルカが産まれた場所でもある。
なにか感じるかと思ったが覚えていないようで、イルカは初めての場所を怖がって移動用のケージから出ようとしなかった。ここは外と違って四方の壁をコンクリートで囲まれているから余計怖く感じるのかもしれない。
イルカがケージにいる間に砂を平し、部屋の隅に敷いた藁の上にイルカが使っていた毛布を置いた。
ピスピス、ピスピス鼻を鳴らす音が聞こえる。
「ほら、イルカ。こっちに来い」
砂を放って興味を引くと、イルカがケージから顔を出した。それでもすぐに引っ込めるから、砂の上に寝転んでここが安全なことを見せると、ようやくイルカはケージから出た。恐る恐る傍にやって来て、俺の鼻先をペロリと舐めた。
「良い子だ」
言葉が分かるのか、イルカは俺がそう言うといつもコクリと頭を大きく上下させた。頭を撫でてやると、コロンと寝そべって腹を見せる。撫でてくれと言わんばかりの態度に腹の毛を掻き混ぜた。
「今日からここがお前の寝床だぞ」
言い聞かせてみたが、イルカははしゃぐばかりだ。
沢山遊んでからイルカを残して部屋を出た。施錠して、小窓から中を覗くと、イルカが何事かと目をぱちくりと大きく開けてこっちを見ていた。
(また明日)
心の中だけで言って窓から離れると、後からピスピスと声が追い掛けて来た。それでもイルカを部屋に慣れさせなければならない。
しばらく経って、イルカが眠ったか不安でそうっと様子を見に行くと、毛布の上で体を丸めていた。
ホッとして事務所に戻ると、九月から研修に来ていたシカマルが、俺のことを過保護だと言って笑った。
だが断じてそんなことはない。ちゃんと動物との距離は弁えている。
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