イルカ観察日記 3





六月二十五日 イルカ生後三十日目

 イルカが生まれて一ヶ月経った。随分でかくなって、産まれた時と比べると倍以上ある。
 運動量も増えて、用意した籠では収まらなくなって、小さな部屋を用意した。日中はそこで遊ばせる。
 ボールをやるとイルカは一人でも遊んだが、俺が部屋を出て行こうとすると急いで足下に寄ってきた。どこにいくの? と好奇心いっぱいに見上げてくる時があれば、置いて行かれると思って、ぎゅうぎゅうしがみ付いてくる時もある。無理に置いていくと、ぴすぴすと鼻を鳴らし続けた。その声は何とも切なげで、罪悪感が刺激された。
 思いっきり遊んでイルカを寝かせてしまうのが良いのだろうが、イルカは日に日に体力を付けて、なかなか疲れなくなった。単調な遊びの繰り返しにこっちの方が疲れてしまう。
「…ちょっと散歩に出てみるか」
 今日は天気が良い。軽く日光浴をさせる事に決めた。獣医に聞くと短時間なら良いと言う。園長の許可も貰ってイルカと外に出た。イルカ用の室外運動場はまだ無いから、抱いたまま園内を回った。
 イルカは初めて見る外の世界を怖がって腕にしがみ付いていたが、歩いている内に好奇心の方が上回ったらしく、腕から下りたそうな素振りを見せた。だが、歩けるほど四肢はしっかりはしていない。誤って落とさないようにしっかりイルカを抱いた。
 そうして歩いている内に、何人かイルカに気付いて寄ってきた。沢山の手がイルカを撫でた。まだ小さな女の子に屈んでイルカを見せてやると、互いに好奇心いっぱいの目で見つめ合った。
「触ってもいい?」
「ああ」
 恐る恐る伸ばされる手を、イルカは顎を上げて匂いを嗅ごうとした。甘い匂いがするのかイルカが口許を舐める。小さな手がイルカの腹を撫で、後から子供の両親が頭を撫でた。
 イルカがくすぐったそうに目を細めた。
 家族と別れて歩き出すと、イルカの体にぽかぽかと日が当たった。くわっと欠伸したイルカが眠たそうに目を瞬いた。
「そろそろ帰るか」
 聞いたがイルカは返事をする前に、腕の中に顔を隠して眠ってしまった。


七月十五日 イルカ生後五十日目

 イルカを一般公開した。前に軽く散歩したが、公式では初めての公開に予想を遙かに上回る来園者が集まった。
 柵を用意して人工芝を敷き、その中でイルカを遊ばせた。こんなにたくさんの人を見るのは初めてだから物怖じするかと思ったが、イルカは意に介した風もなく遊び回った。
 イルカは案外大物だ。
 イルカのヨチヨチ歩く姿に見物客から歓声が上がった。
「可愛い」と声が掛かると鼻が高くなる。
 イルカがすぐに疲れてしまい、僅か十分ほどの公開となったが、満足して貰えたようだった。終わった後は次の公開がいつなのか問い合わせが殺到した。
 今日から離乳食を始めた。ベビーフードを柔らかく溶いて作ったが、なかなか口にしようとしない。ミルクばかりを欲しがるが、離乳食はこれからの成長に必要だから少しずつ慣れさせよう。


七月二十二日 イルカ生後五十七日目

 驚いた。園に巨額の寄付を申し出た人物が現れた。しかも園の一年間の売り上げの四分の一に相当する額だ。園長は朝から踊らんばかりに上機嫌だ。
「イルカの一般公開をテレビで観て関心を持ったそうだ。それで今度の日曜、その方が園に視察にみえる。アスマ、イルカを見たいそうだから、お前にその方の接待を任せる。くれぐれも粗相の無いようにな」
「えっ!」
 接待なんて面倒臭せぇ。しかも園長の目は粗相どころか寄付金を逃すなと言っている。
「こういうのは園長がした方が…」
「何を言う。私にはその日園長同士の懇談会がある。園長同士の繋がりも、いざという時大切だ」
(それこそ何言ってやがる。懇談会とは名ばかりで、だべりながら飲み食いしているのを知ってるぞ)
 そうは思っても、一応トップの言う事だ。しぶしぶ頷いておいた。



 




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