はなつ光 2
「カカシさん、眠いんなら布団敷いて寝てください」
「んー・・へーき」
畳の上に寝転がる。目を閉じてイルカ先生が鉛筆を動かすたびにコツコツと鳴る机の音に耳を澄ませながら。
ごろんと寝返りを打って、体一つ分イルカ先生に近づいた。そのまま体を丸めると、とろとろと眠りの波が押し寄せる。それが心地よくて身を任せているとイルカ先生が肩に手を置いた。服を通して温かな手のぬくもりが伝わる。
「カカシさん・・?」
ゆさゆさと肩を揺する手に眠りの波が大きくなる。眠るつもりは無かったがイルカ先生の仕事はまだ終わりそうに無い。少しだけ、と飲み込まれるまま、眠りに落ちていった。
「起きて、カカシさん。もう電気消しますよ」
強めに揺すられて意識を浮上させた。少し強めの口調は何度か起こしたからだろう。それでも眠ったフリをしていると、イルカ先生が溜息を吐いて寝室に向かった。足音はすぐに戻って、もふっと体の上に布団を掛けられる。オレを起こすのを諦めたのか、明かりを消すとイルカ先生はベッドに入ってしまった。
しんと静まり返った部屋に、むくりと起き上がった。
前から思い浮かべていた作戦、『眠たくて布団を敷くのが面倒なのでベッドに入れてください作戦』を開始する為に。稚拙な策だが何も行動しないよりいい。
掛け布団をずるずる引っ張って寝室に向かえば、ベッドで眠るイルカ先生とその足元に敷かれたオレ用の布団。
(いつもは敷いてくれないくせに!)
それはきっと疲れて見せたオレを思ってのイルカ先生の優しさだったんだろうけど。
オレは布団を踏み越えた。
「イルカ先生・・ベッドに入ってもいいですか?」
「・・・・・・・」
布団を握り締め、ベッドの傍らに佇む。
「一緒に寝てもいいですか!」
起きてるくせに。
背を向けたまま何も言わないイルカ先生に唇を尖らせ、持っていた布団を捨てるとイルカ先生の布団を捲った。
「あ」
小さい声を上げてびくんと震えたイルカ先生に構わず体を滑り込ませる。出て行けとも言わないが場所も空けてくれないイルカ先生に、ベッドから落っこちそうになりながら無理無理体を押し込んだ。
イルカ先生の体に腕を回すと首筋に顔をうずめ、くんと息を吸う。胸の中にイルカ先生の匂いが満ちると心が和らいでますます甘えたくなった。
「イルカ先生、好きです。・・好き――」
囁けば腕の中の体が強張った。
「イルカせんせぇ・・」
どうして何も言ってくれないのだろう。
切なくなって髪に頬擦りする。
ぎゅうと物言わぬ体を抱きしめ思い出すのは、『カカシさん』と呼んだ掠れた声と柔らかな微笑み。
『どっか行っちゃったのかと思いました』
あの時、――イルカ先生が寝ぼけてオレを呼んだ時、甘えた声で手を掴んでくれた。イルカ先生から抱きしめてくれた。
そんな風になれるのだと思っていた。恋人になればイルカ先生に甘えて甘やかされる、そんな甘い関係に。
だけど現実はかなり味気ない。むしろオレに対するイルカ先生はそっけない。優しくしてくれることもあるけど、それは親が子供の面倒を見るような、そんな優しさ。
だったらあの時見せたイルカ先生の甘えはなんだ。
そう考えて行き着くのは、――あれはオレを見てたんじゃないから。
あれはイルカ先生の夢の中の『オレ』。つまりオレじゃない『オレ』。オレが忘れてしまった、イルカ先生の記憶の中に残る『オレ』。
付き合ってからもこんな思いするなんて思わなかった。元はと言えば忘れてしまったオレのせいだけど・・。
(初めて出会ったときなにがあったんだろう。)
これほど失くした記憶を欲したことはない。だけどイルカ先生に好かれるためにはその記憶が必要だ。オレじゃない『オレ』の記憶が。
だってイルカ先生が好きなのはそっちの『オレ』だから――。きっとオレの方じゃないから。
悔しくて歯を噛み締めた。
オレもあんな風にされたい。あんな風に愛して欲しい。オレだってイルカ先生を抱きたいのに――。
「・・・イルカ先生、抱いてもいいですか?」
聞けば、イルカ先生が背を丸めた。体を守るように腕を引き寄せ小さくなる。
哀しみが胸を満たした。
「イヤだったら言って下さい」
イルカ先生は嫌なことをされれば怒る人だ。ほんとに嫌なら抵抗するだろう。
だから構うもんか。
(だって、イルカ先生はオレのデショ!)
そんな子供じみた衝動に突き動かされて服の下に手を滑り込ませた。大袈裟なほどイルカ先生の体が跳ねるが、構わずお腹を撫で回す。
(・・硬い・・・)
当たり前のことだが改めてイルカ先生が男なのを意識した。そこには柔らかく指を受け止める肌は無く、撫ぜれば筋肉が手を押し返した。緊張しているのか硬く張り詰め、指で探れば筋肉の一つ一つの形が分かる。
(全然違うなー・・。)
大丈夫だろうか?
ふと不安が過ぎる。
勉強はした。男同士の経験が無かったので(厳密には一回あるが)、恥を掻いたり、戸惑ったりしないように。
正直、想像を超える世界だ。最後まで出来るか自信が無い。
一体、一番最初の時はどうやったのか。
聞きたいけど、それは絶対聞いてはいけないと思うから聞かないけど。
(とにかく、ま!お互いが気持ちよくなれればいいよ――)
「んっ!」
突然、ひくっと鋭く跳ねたイルカ先生に思考が停止した。
(え、なに・・!?)
お腹を撫で回していた手の在り所に意識を向ければ、指が窪みに嵌っている。
(おへそだ・・)
ココが弱いの?
くりくりと軽く抉るように擦るとびくびくっとイルカ先生が跳ねて、逃げるように身を捩った。
ずっきゅーん。
今のはキた。イルカ先生がカンジている。心臓がバクバクして興奮に息が荒くなる。唾液を飲み込む音が耳にまで届いた。
きっとイルカ先生の耳にも。
(うわ・・、カッコ悪・・。「ごきゅっ」て鳴ったよ・・)
そんな音聞いたこと無い。
かなり恥ずかしくなったが、止めることは出来ない。
「イルカセンセ・・」
顔が見たくて覗き込むが、伏せてて耳しか見えない。
その耳の赤いこと!
暗闇の中でも光って見えそうなほど赤く熟れている。
(・・・・あれ?)
何かおかしい。違和感を感じた。オレの思っていることとイルカ先生の態度の差に。
その違いに意味合いを求める。
嫌なことをされれば手が出るイルカ先生がじっとしている意味を。
赤く染まった耳の意味を。
(もしかしてイヤがられてない?)
「センセイ」
向き合いたくて肩を引っ張れば、強い抵抗に合うかもという予感は見事に外れて、あっけないほど簡単にイルカ先生が転がった。
胸に手を引き寄せ丸まった状態のままで。
(おわっ!)
例えが悪いが、まるで死後硬直の始まった人みたいだった。
「せんせ、イルカセンセ!」
肩を揺すると、今度は油の切れた機械みたいに動き出す。ぎこちなく手を伸ばすと布団を掴んで潜ろうとするのに、
「させなーいよ」
布団を持つ手を握り込んで押さえつけると、額に掛かった髪を掻きあげてイルカ先生の顔を覗きこんだ。