覚えてない夜 4





 翌日、依頼を受けた任務を日が暮れる前に終えて受付所に向う。
 普段と変わらぬ殺伐とした日常を過ごせば、朝出かけるまで胸を締めていた昨日の出来事もなりを潜めた。
(やっぱりあれは一時の気の迷いだったんだ)
 男を好きになるはずなんて無いのに。
 らしくない昨日の行動を思い出して頭を掻いた。

『どうせすぐに忘れてしまうくせに』
 寂しげに笑った顔に掛ける言葉が見つからず、その後「帰れ」と突き放された。その言葉に従う事も出来ず、いつまでも部屋に居ると次第に彼のいらいらする気配が伝わってくる。その気が大きくなるにつれ、これ以上ここに居れても話も聞いてくれない事が伺えて、
「また来てもいい?」
 気が付けば口が勝手に。
 無言の彼に部屋から押し出され玄関先に立ち尽くした。

(なにやってるんだ。)
 気の無い相手に追いすがるなんて。
 このオレが。
 一刻も早く忘れてしまいたい出来事NO1だ。
(――いや。すぐに忘れる。)
 今までの相手がそうだったように。

 苦々しい想いを抱えて受付所の入り口をくぐれば、夕方のそこは依頼を終えた忍で溢れ返っていた。
 めんどくさい。
 今までなら直接火影の元に行けばすぐ済んでいたのに。
 毎回こんなことしなくてはいけないのなら、上忍師なんて断ってしまおうかと思う。
(ま、実際受け持つことはないけど、――)
 はっと溜息を吐いて適当な列に並ぶ。
(さっさとしてくれ)
 苛立ちを込めた視線をカウンターに向けて、心臓が破裂しそうな勢いで大きく鼓動を打った。気付かれぬよう外に出る。
 あの人がいた。カウンターの向こう側に。
(どうして・・・?)
 誰かに聞くまでも無い疑問が過ぎる。
(受付嬢だったのか)
 どーりで会わなかったはずだ。
 部屋の外の掲示板の横にあったシフト表で彼の名前を探す。掛かっている札は4つ。一つずつ心の中で読み上げてみるが、この中のどれかだろうと思うのに引っ掛かるものがない。
 イライラする。
 こうまで綺麗に忘れてるというのはどういうことか。
 忘れていても、大抵は何かをきっかけに思い出したりするものなのに。
「あぁ?カカシか?」
 呼ばれて視線だけ向ければ髭。火のついてないタバコを口に咥え、それを上下に揺らしながらすぐ横まで来た。
「ドーモ」
「戻ったのか」
「そ、三日前からただの上忍。よろしーくね」
 三代目に呼び戻されたとかおざなりに経緯を話してシフト表に視線を戻して―――。
(あ、そーだ)
「ね、あの人名前なんていうの?」
 向き直って愛想良く聞けば、
「なんだ、里に戻ってもう目ぇつけたヤツがいるのか?」
 一瞬怪訝な顔をしたものの、にやにやしながら「どれ」と中を覗いた。
(相変わらず好きだねー。この手の話題。)
 アスマとは以前から任務が重なる事が多く、大した娯楽の無い外の任務でよく張り合ったりした。同じ相手に二人で声を掛けてどちらの方に来るかだとか面の下の顔を見れるかどーかだとか。
「でぇ、どれだ?」
「右から2番目」
「・・・・カウンターの向こうか?こっちか?」
「ん、向こう」
 あの人と指差せば、ぽろっとアスマの口からタバコが落ちた。
「・・・・あいつぁ男だぞ」
「見ればわかるよ。そんなこといいから早く名前言えよ」
 せっつくと振り返ったアスマがめんどくさそうに口の端を歪めた。
「あー、アイツは止めとけ」
「なんで」
「お前ぇが遊んでいいような相手じゃねぇ」
 知ったような口を利くのにむっとする。
 だが、今まで誰に手を出そうが「ほどほどにな」としか言わなかったアスマがわざわざ制止を掛けてくるとは。
「そんなんじゃなーいよ」
「ま、お前が言い寄っても相手するようなヤツじゃねぇがな。アイツはアカデミーの教師だ。いい加減な付き合いが出来るような奴じぇねぇ」
 言いたい事だけ言うとオレの質問には答えずアスマは中に入っていった。
 いつの間にか受付所は閑散として列に並ぶことなくアスマはご丁寧にも彼に報告書を出す。
(ちっ。『手を出すな』ってことか。)
 「よぉ」と声を掛けたアスマにあの人は書き物をしていた手を止め、はっと顔を上げた。親しげな笑みが顔中に広がっていくのに、湿気った薪に火がつくようにじりじりと胃の底が燻る。
(あんな顔知らない)
 何を話しているのか。
 アスマと話しながら変わる表情の一つ一つが気に障る。
 「じゃあな」とアスマの手がぽんぽんと彼の頭を撫ぜるのに、擽ったそうに首を竦めて目を細めるのを見るに至っては、燻っていた薪にボンッと火がついた。
 外に出てきたアスマがオレを見て、「おっ」と片眉を上げ可笑しそうに笑う。
「なんだ、おっかねぇ顔して。そう怒んなって」
 ひらひらと手を振って通り過ぎようとするのを呼び止めた。
「あの人と付き合ってんの?」
「あぁ?」
 肩越しに振り返ったアスマがマジマジと人の顔を見る。
「どうなの」
 いつまで経っても返事をしないことに苛立って再び聞けば、向き直ったアスマの手が伸びてぽんと頭の上に乗っかった。
「付き合ってねぇよ。だからそんな殺気立つな。」
 妙に優しげに笑ってポンポン頭を叩いてくるのを手で払った。
 オレに触ってイイのはあの人だけだ。
 ふいにそんな確信めいた想いが湧き上がる。今まで自分以外の人間を、他人を、そんな風に認めたことなんて無かったのに。
 そのことに戸惑い一瞬考えの中に沈み込めば、ふっとアスマが笑った。やけに穏やかな顔で。
「なんだよ、気持ち悪い」
 言ってやれば、笑いながら払われた手をひらひら振って去っていった。

「コレお願い」
 彼の前に立って報告書を差し出す。妙に緊張して、内心の動揺を悟られぬよう片手をポケットに突っ込んで自然に見えるように差し出した。
 再び机に向って書き物をしていた彼がさっきと同じようにぱっと顔を上げた。
「すいません、気付かなくて。お疲れ・・・様です」
 浮かべようとした笑顔が人には気付かれないくらいに強張って、それでも彼は笑って言った。
 作り物の笑顔。
 そうなる事は予想していたが、小さな氷のようなものが胸の中を滑り落ちる。
 受け取った書類に彼が目を通す。
 きっちり結わえられた髪に乱れなく着こなされた忍服には汚れ一つなく。纏う清廉な空気に彼が教師だというのが頷けた。
(だったらなんでオレなんか相手にした?)
 醜聞なんて避けたいだろうに。
 それとも。
 例えそうなってもいいと思わせるものがあの日のオレにはあったのだろうか。彼が、そういった世間体やらを飛び越えてもいいと思わせるようなものが。
「すいません。ここに署名お願いします」
 ペンとこちら側に向けた書類を差し出され、思考にふけってたオレは慌てて受け取る。
「えっと、どこ?」
「ここです」
 彼指が欄を指す。そのまあるく切られた爪を見た瞬間、
 ――昨日、あの指を、舐めた。
 脳裏をさっと掠めた光景に、熱く溶けた鉄が流れるように血が滾り出す。
(なに、これ。)
 ペン先に彼の視線が注がれて指先が震える。彼の手が引いた後も意識がそちらに向かい、ヘタな字がさらに歪みそうになった。
「これで、イイ?」
 一文字一文字丁寧に書いて彼に報告書を渡せば、
「はい。結構です」
 と、ぽんと認印を押した。その横に名前を書き込む。
 『うみのイルカ』
 やっと彼の名前を知ることが出来た。
「お疲れ様でした」
 一言告げると用は済んだとばかりに彼――うみのイルカは視線を机に落とした。
「あの・・・」
 何を言おうとした訳でもないが声を掛ける。それでも知らん顔するから。
「あの!」
 更に声を大きくするとゆっくり顔を上げた。最初に会ったときの動揺は消えて、勝気な視線がまっすぐこっちを射抜く。
「あ――・・・」
「・・・名前は本当だったんですね」
 オレが何か言う前にそれだけ言うと、後ろに視線を走らせた。
「次の方、どうぞ」
 そうしてオレの存在は彼の中から流された。




 来ちゃった、って言うのはオレの一番嫌いなパターンだ。疲れて帰って、玄関先に顔も覚えていない女が立ってたりすると瞬殺したくなるが、他に手が思いつかなかったんだなと今なら分かる。
「うみの中忍。・・・イルカ中忍?」
 任務でもないのに固いコンクリートの上に座らされた腰が文句を言い始める。
「うみのさん、イルカさん」
 立ち上がって、うーんと腰を伸ばす。
「うみの先生、イルカ先生」
「――イルカ先生」
 口の中でその名前を転がして。
「うん。イルカ先生」
 これにしようと決めた時、カンカンとアパートの階段を登る音が聞こえてきた。
 次こそは、とそっちを見ると大柄な男が足を止めた。オレを見て眉間に皺を寄せる。
「おかえりなさーい」
 ひらひらと手を振ると、彼は聞こえなかったふりでドアを開けて中に入ろうとする。
「待ってよ」
 閉まりかけのドアを手で押さえたのに、彼が思いっきりドアを引っ張ったから。
「い、ででででででーっ」
 静かな住宅街に叫び声が響いた。



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