覚えてない夜 3
「行っちゃった。」
なんともあっけない別れ。
ぽつんと一人残された部屋で座り込んだまま、手にしたカップの中を覗き込んだ。底の方に僅かに残った冷たいコーヒーを飲み干す。
「・・・帰るか」
いつまでもここに居ても仕方が無い。
空のカップを流しに運んで朝食のお礼に2個とも洗っておいた。ついでにお皿も。
(そーいえばベストどこやったっけ。)
フラフラと部屋の中を探せば寝室の隅に脚絆やポーチと一緒に置いてあった。
(巻いてくれたんだ)
綺麗に巻かれた脚絆を手の中で転がして彼を思い出した。
さっきまで一緒にご飯を食べていたのに、今はもう遠い他人。今まで擦れ違う事もなかった。だからきっとこれからも二度と会わない。
(出来ればもっと違う形で会っていればよかったのに。)
きっと友達になれた。
昨夜もきっと最初はそう考えてここに来たんじゃないだろうか。
お互いヤるつもりでここに来たんじゃなくて、どこかで会って、話が合って、それでこの部屋に来たんじゃないだろうか。
ただ飲んで話をするためだけに。
そうでなければテーブルの上に空の酒瓶やつまみなんて残ってる筈が無い。
(なにをはなした?)
(どのぐらい一緒にいた?)
いくら考えても何も思い出せない。
(どうして・・・そうなった?)
きっかけはなんだったのだろう。
(色を感じさせるヒトではなかったのにどうしてオレは・・・?)
はあっと溜息を吐いて脚絆をポケットに入れた。考えても仕方ない。
窓の外を見れば洗濯物が風に揺れている。なんとなく思い立ってベランダに出ると、干してある布団を裏返した。ぱんぱんと叩いて埃を飛ばす。
(・・・・なにやってんだろ、オレ)
「一宿一飯の恩ってやつ?」
言葉にすれば言い訳がましく響いて苛立った。
「くそっ」
部屋の中をうろうろ歩き回る。
自分の行動がおかしいことは判っている。
普段布団なんて干したりしないし洗い物もしない。ましてや相手すらいないのに、いつまでも部屋に居続けるなんて。
それでも―――。
(しょうがないじゃないか。帰りたくないんだもん)
今、帰ったら2度と会えなくなってしまう。家はこうして知ってるけど、あのヒトはきっと会ってくれない。そんな気がする。
「あーー!!もう判ってるのか!?」
がーっと頭を掻き毟った。
(ここに残るということは相手を受け入れるって事だぞ!)
(そっち側に行くってことだぞ!)
出来るわけが無い。俺はオンナが好きだ。断然好きだ。
それなのに。
(オレ・・・・好きになったのかな)
自問すれば違うと返ってくる。
(そういうんじゃない。)
あのヒトを思い浮かべても話で聞くような狂おしい気持ちとか込み上げて来ないし、また抱きたいとも思わない。迫られたら拒絶してしまうだろう。でも―――。
(また話がしたい。)
もっとあのヒトの事を知りたい。笑った顔が見たい。またくしゅって頭を撫ぜて欲しい。ただ、それだけ。
(都合いい・・・・よな。)
そんなの相手にとっては迷惑だろうが。
(どうしたらいいんだろ・・・)
どれくらい時間が過ぎたのか。
外を見れば陽が傾いてきている。
答えの出ぬままベッドに腰掛けていると、外からカタっと音がした。 彼が帰って来たのかと一瞬緊張したが、
(違う、窓からだ)
通りに面したベランダの方ではなくて、隣のアパートに面したベッドの傍の小さい窓の方。
気配を消して様子を伺えば、外の手すりに手が見えた。
「なーに?泥棒?」
手の次は片足を引っ掛けようとしている。
(間抜けなヤツ。オレがいるのに)
捕まえてやろうと窓をそっと開け、
「こら!!」
大声を出してやった。
「わっ、わぁっ」
「えっ!?ちょっと!」
驚いて滑って落下しかけた腕を掴む。
「なにやってんの?」
腕を掴まれ、ぶらーんと宙にぶら下がっているのは、なんと部屋の持ち主だった。
「い、いたたたっ、腕離せ!」
聞いた事は無視された。
(ま、この状況じゃあね)
「離せって!肩が抜けるっ」
「あー・・・」
下をチラッと見て考える。彼も忍だ。ここは2階だし離しても問題ないだろうが、
「引き上げるから手、首に回して」
「いいから離せっ」
「ヤダ」
離せ無かった。彼のチャクラが乱れている。万が一ということもある。睨みつけてくるのをじっと見返せば観念したのか彼が手を伸ばした。腕を回しやすいようにぐっと引っ張り上げる。
「両手で。持った?」
うんうん頷くのに、一旦片手を離すと脇の下から背中に手をやった。そしてもう片方も。それからチャクラで彼の体を包み込む。
「うわっ!」
驚いてぎゅっとしがみ付いてくるのに、背中に回した手に力を入れて一気に引き上げた。
「重っ」
中に引きずり込んで、勢い余ってベッドの上に仰向けに倒れた。
「はあー・・・。もう、なにやってんのよ」
彼を上に乗っけたまま溜息を吐いた。
「具合の悪いときにむやみにチャクラを使わないの」
「誰のせいだと――」
「人のせいにしなーい」
彼に言われたのを真似てみたが・・・。
「ってオレのせい?」
聞けば彼の体がぎくっと強張った。
(オレのせいか)
起きたときに見た彼の肢体が頭を過ぎった。
それに出血もしたようだった。
「まだ居るとは思わなかったんだよ」
すぐ耳の横で弱々しく呟く声に意識を戻す。
「悪かったね。にしても玄関から入ればいーじゃない」
「カギ閉まってると思ったから・・・」
「はぁ?カギ?」
(カギってあれか?一個しかなかったのか?)
「一個しかないならなんでオレに渡すのよ?」
「・・・・の方が帰りやすいかと思って」
「?よくわかんないんだけど・・・?」
「もういいだろ!離せよ、いい加減」
「んーもうちょっと」
「重いんだろ」
「さっきのは掛け声」
「なんだよそれ」
ふて腐れた彼がオレの上から逃れようと手を突っぱねるのに便乗して体勢を入れ替えた。
「ちょっ・・・!」
暴れて振り回される手首を捉えてベッドに押さえつけ、彼の腰の上に馬乗りになって組み敷いた。
「なにするんだよ」
下から射殺しそうな目で彼が睨みつけてる。
「うっわー、かわいくなーい」
「だったらどけよ」
「ちょっと待って・・・」
試してみようと思った。
帰ろうとして帰れなかった。だったら残された道は一つしかない。
(確かめたい)
オレが彼とこの先やっていけるのか。
すっと唇を近づければ彼がふいっと顔を逸らした。そのくせ視線だけはこっち向けて睨みつけてくる。
(なんか萎える)
やっぱり昨日の事は何かの間違いだったのではないだろうか。
せめてもうちょっと怯えてみせるるとか――・・・。
「あれ・・・・?」
何故かそこですんなりと怯えた表情の彼が思い浮かんだ。
見た事無い表情なのに。
不意に、水道の蛇口が緩んだようにぽたぽたと記憶の断片が落ちてくる。
薄暗い部屋と解いて白いシーツの上に広がった黒い髪と戸惑ったように怯えた表情でオレを見上げてくる彼。
押さえつけていた手首から手を離して、彼の手を取った。ゆっくりとその手を引っ張り上げれば躊躇するように彼の指先がびくっと震える。その指先に唇を押し付けた。
たぶん、昨夜した様に。
固い指先が唇に触れる。
(オレはこの感触を知っている。)
目を閉じて落ちてくる記憶に身を委ねた。
キスしながら寝室に移動した。ベッドまで待ちきれなくて一枚ずつ彼の服を剥いで、唇が離れないようにしながら己の服を脱ぎ落とした。遠慮がちに背中に触れてくる手に心臓がばくばくと煩いほど高鳴って、激情を押さえる事が出来ず彼をベッドに押し倒した。
シーツの冷たさに彼の体がびくっと跳ねて。
首筋に口吻けようとして力なく胸を押し返された。
体が冷え、少し酔いが醒めたのか理性の戻った目で見上げてくる。
「あの・・・俺――・・・・」
(そうだ。彼はノーマルだった。)
だからこれから始まることに戸惑って―――。
胸に押し付けられた彼の震える手をとって手のひらに口吻けた。
軽い気持ちじゃないこと。遊びとか気まぐれでこんなことしようとしてる訳じゃないこと。
少しでも伝わられないかと手のひらに深く口吻けた。
何度も。何度も。
―――お願い。わかって。
祈るような気持ちで指先に口吻けたら、彼のもう片方の手が頬を撫ぜた。困ったように眉を寄せて泣きそうに顔を顰めながら、でも優しく笑ってくれた。その笑顔に胸がじんと熱くなる。オレはまだこの気持ちを伝えてなかった事を思い出して、――だから言った。
「アナタが好きです」
(思い出した)
思い出したのはこれだけでその前後の記憶はさっぱりだったが、あの時の締め付けるような胸の痛みは覚えている。
それは今もこの胸の中にある。
閉じていた目を開ければ、彼はまだ睨みつけてくる。それでも、
「アナタが好きです」
昨夜と同じように告げれば、彼の眉間にぎゅっと皺が寄って口吻けていた手を振り解かれた。
「このうそつきっ!」
履き捨てるように叫んで体を起こすとオレを突き飛ばした。転げ落ちはしなかったものの、よろけて離れそうになった彼の体を必死で掴む。
「待ってよ、話聞いて――」
「だまれ!アンタの話なんか信じられるか」
「聞いてよっ!!」
突き放された焦燥から大きな声が出た。彼の体がビクッと震え動きを止める。
「あ、ごめん。ちょっとだけ話を聞いて」
懇願するように見つめれば、ふいっと視線を逸らされた。
「あの・・・オレ、昨日の事よく覚えてなくて―――」
ぎりっと噛み締められた彼の唇に言葉を切った。そんな風にして欲しくなくて手を伸ばせば振り払われる。
彼がここに戻ってきてから拒絶されてばかりだった。それも自業自得だろうからめげる訳にはいかない。
「でもアナタを好きになったことは覚えてるよ」
告げれば彼がぎゅっと目を閉じた。どこか痛みを耐えるように。
「アナタが好きです。だから名前教えて?」
――そこからやり直させて。
そんな望みを込めて言えば、彼が閉じていた目を開けてふっと笑った。
「どうせすぐ忘れてしまうくせに」
それはとても悲しい笑顔だった。