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覚えてない夜 2





 借りた服を着てフロから出てみればいい香りがする。
 男が台所で背を向けてコーヒーを飲んでいた。その後姿はポニーテールにパーカーにジーンズ。それを支給服に脳内変換して。
(・・・・後ろからだとオンナに見えなくも無くはないかもしれない・・)
(ん?ってことはドッチだ?)
 考えていると男が振り向いた。
「アンタも飲む?」
「あー・・・」
 出来ればそろそろお暇したい。答えあぐねていると、男はカップを取り出しインスタントコーヒーを作り出した。あれよあれよと言う間にカップを握らされ、
「ハラへってる?」
 やや下の方から覗き見るようにして言われて思わず頷いてしまった。
「そ。じゃあ座ってて」
 にかっと笑って居間のテーブルを指した。その顔を見て何故かほっとする。
 どういう展開なんだ?と戸惑いつつも、男が冷凍庫から食パンを取り出すのを横目に居間に移動した。
 部屋を萌葱に染めていたカーテンは両脇に引かれ、開け放った窓から風が入ってきた。外を覗いて見れば、見た事のある町並みに、割とアカデミーの近くだということが知れた。
 コーヒーを飲みながら待っていると、チンと小気味いい音がしてやけに分厚いトーストが2枚運ばれてきた。
「バターでいい?」
「うん」
 コーヒーを持ってテーブルに着くと、「はい」とバターを縫ったトーストを渡された。どうやら世話好きらしい。男は自分の分にもバターを塗ると、がぶっと大口を開けて齧り付いた。つられてオレも齧りつく。それはただバターが塗ってあるだけなのに。
(おいしい。)
 思ったことが口に出ていたのか、男がこっちを見るとにこっと笑った。つられて笑いかけてしまい、はっとして誤魔化すようにもう一口齧りついた。
 この男はよく笑う。その笑顔はどこか人を和ませる。だからか悪意の欠片もない態度に流されてしまう。
 不思議な気分だった。
 見ず知らずの男と始めてくる部屋で朝食を食べていることが。
 すっかり男のペースに乗せられている気がするが、嫌じゃない。まるで旧知の友達の家にでも遊びに来ているような感覚。会話が弾む訳でもないのに居心地がいい。名前すら知らないのに―――。
「ねぇ、アンタ名前は?」
 口に運ぼうとしていたトーストを止めて男がこっちを見た。
「聞いてどうすんの?」
 口の端を歪めて笑った。さっきとは違う笑い方。睨みつけるような視線に怯む。
「どうって―――」
 その時、ビーっと洗濯機が呼んで、男は「はいはい」と食いかけのトーストを皿に戻すと立ち上がっていった。
(どうって・・・どうもしないけど・・・)
 男が濡れた洗濯物を抱えて目の前を横切った。ベランダに出て手際良く服を広げて干していく。手馴れている。部屋の中にオンナの影はないし、一人暮らしが長いのだろう。
 中に戻り、布団も干してシーツを掻き集めて剥がすと今度はそっちを抱えて目の前を横切った。思わず視線を落とす。
(そうだった。オレ、昨日このヒトと・・・)
 ヤったんだった。
 男があまりに気軽に接してくるから忘れていた。
 行きずりの相手にいちいち名乗るバカはいない。
 向こうにとってもオレは一夜かぎりの相手だったということだ。
 まあ、当たり前のことだが・・・、何故か胸が・・・痛い?
 しくしくし始めた胃を擦っていると、男が何事も無かったように戻ってきてトーストを手に取った。今度は新聞を持ってきて広げると読み始める。
(もう、話しかけるなってことか?帰れってことか?)
 余計な詮索などされたくないのだろう。自分だってそうだった。煩く聞いてきたオンナを邪険に扱ったこともある。判ってはいるがおもしろくない。それにもうちょっとここに居て話がしたい。
 じとっと見ていると視線に気付いた男がこっちを見た。ん?と首を傾げて、
「あ、読む?」
 新聞を1枚分けてくれた。
 ちーがーう!!と思ったが読んでいる間は出て行けと言われなさそうだから大人しく受け取っておいた。
 新聞の影から気付かれない程度にこっそり男を伺った。
 目線が文字を追っているところを見ると、たんに新聞が読みたかったらしい。男が新聞に気を取られているうちに観察する。
 年はきっと同じぐらい。
 純朴そう。
 だが見た目なんて当てにならない。忍びなら尚更。
 なんというか、手馴れてる。男の扱いが。
 起きたときも驚いた様子はなかったし、気軽にフロなんか勧めてくれちゃって。
 きっとこんなことは初めてではないのだろう。
 ―――むか。(・・・・なんだろう。胃が焼ける。飲みすぎ?)
 他にもここに来たヤツがいるんだ。
 で、あんなコト(覚えてないけど)したんだ。
 ―――むかむかむかっ。
「こっちと交換して」
「あ、はい」
 言われて新聞を新しいのと交換した。
「あの」
「ん?」
「胃薬ない?」
「あるよ。ちょっと待って」
 立ち上がると台所へと向った。ビンと水の入ったコップを手に戻ってくる。ビンの側面を見ながら、
「手、出して。えーっと・・・いくつだっけ」
 昨日、そんな話もしたんだ、と「26」と答えれば男がきょとんとして、それから、ぶっーと噴出した。
「え?なに?」
 ヘンな事言ったか?
「そんなに飲んだら胃薬でもどうかと」
 笑って震える手でビンのフタに薬を落としながら。
「あ!」
 こっぱずかしい。てっきり年を聞かれたと思ったのに。カッと耳が熱くなる。
「くくくっ、じゃあ15歳以上だから、4コ」
 コロコロと手の上に錠剤が転がされた。
 意地が悪い。わざわざ15歳以上を強調した。
 むすっとして見上げれば得意げな顔で笑ってる。そんな風に笑うと男っぽい顔つきの中に、子供みたいなあどけなさがあって、なんだかカワイ――・・・・
「ぐ、ゲホッ・・・ッ・・・」
(男相手になに考えて・・・!?)
 激しく噎せた。
 慌てて男が背中を叩いてくれる。喉に引っ掛かった錠剤を無理やり飲み込んではぁっと息を吐いた。
「薬ぐらい上手に飲めよ」
 背中を擦りながらからかってくる。
「アンタがっ」
「人のせいにしなーい」
「・・・・っ!」
 何か言い返してやろうとしたら、また洗濯機がビーッと鳴った。男は立ち上がりそっちに行ってしまうが、何故か去りがけに、くしゅっと頭を撫ぜて行った。不意によくわからない感情が胸の中に落ちてくる。
(なんか、痛い?)
 胃の辺りが、きゅっと悲しいカンジで痛くなる。
 薬の効きが遅いのかな?と胃を撫ぜていると男がシーツを抱えて通り過ぎた。またベランダに出て、バシバシ音を立ててシーツを引っ張って皺を伸ばし、ぶわっと広げて手すりに干した。
(まぶし・・・)
 白いシーツが光を跳ね返し目を細めた。
 男が端を洗濯バサミで止ると部屋の中に戻ってくる。
 あ、と思ってちびちびとコーヒーを飲んだ。
(オレ、いつまでここにいていいんだろ?)
 男は空になった自分のカップを持って流しに運んだ。洗濯も終わったみたいだし、この後の展開が気になった。
(そのうち帰れって言われるかな)
 いつまでもオレがここに居るのはおかしい。
 なにせあの人にとって一夜限りの相手なのだから。
(でもな・・・・)
 男が居間に戻ってきて身構えたが、ちらっとオレを見ただけで何も言わない。まだ居てもいいらしい。
 男は部屋の隅に置いたカバンを開けるとごそごそ中を探った。「あった」とつぶやくとオレのところに来て、「はい」と差し出した。
 なんだろ?と手の平を向けると、ぽとっと銀色のカギが落ちてきた。
 ―――いつでもアナタの都合のいいときに来て。
 いつだったかオンナの言った言葉が蘇る。
 一瞬、嬉しいと思いかけたが、待て待てと理性がストップをかけた。
(わかってるのか?コレを受け取るイミを)
 そうだった。
 彼とは一度寝てるんだ。今更清くお友達なんてありえない。でも、このまま2度と会えないのも残念のような気もする。もっと話をすれば気が合いそうな気がするから。
(どーしたらいいかな)
 ぐるぐる考えていると、
「俺、出かけるから。気分良くなったら帰って。鍵は新聞受けから中に落としてくれたらいいから」
「・・・・・わかった」
 なんだ。そういうことか。さっき胃薬飲んだから気を使ってくれたのか。
(帰ってって。カギ返せって)
 さっきまで受け取るのを戸惑っていたくせに、返せと言われてガッカリした。
「あと、服は袋に入れて外に掛けとくから。近くに来る事があったら持ってって」
「・・・うん。ありがと」
(・・・・もう会う気はないってことか・・・)
「それじゃあ」
 片手を上げて口元だけ笑ってみせると、男は振り向きもせず出て行った。


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