"あの時" 2
待ち合わせの店で、賑やかなテーブル席を抜けて店員に案内されたのは店の奥、喧騒から離れた座敷だった。
障子を開けると昼間の面々が振り返った。
アスマと紅とコーヒーを零した男(任務で一緒になったことがあるが名前が思い出せない)とその連れの女。「カカシ遅ーい。先に始めてるわよ」
「遅くなーいよ。ちゃんとこのぐらいの時間になるって言ったデショ」
「アンタはいーのよ。今日のメインはイルカ先生なんだから。イルカ先生は?」
「あの、こんばんは」呼ばれてオレの後にいたイルカ先生がひょこっと顔を出した。
皆があれ?という顔をしたのにほくそ笑んだ。「‥遅れてすみません」
「イルカセンセ、遅れてないよ」イルカ先生の背に手を添えて部屋に入ると空いた席に促した。
向かいに腰を下ろすと待っていた店員に生を2つ頼む。「イルカ先生今日はいつもと雰囲気が違うのね」
「そうですか‥?」
「普段着だからかしら?今時な感じがしてカワイイ」酒の入った紅に妖艶に微笑まれてイルカ先生が赤面した。
紅の口から可愛いという言葉を引き出せたのは満足だが、イルカ先生の意識が紅に向くのは面白くない。「イルカ先生は忍服の時だってカワイーよ。イルカセンセ、何食べたい?」
「は、はい」目の前にメニューを差し出すと視線が落ちた。
頭を寄せて一緒に覗き込む。「お刺身食べたくない?」
「食べたいです」
「焼き鳥も食べる?」
「おいしそうですね。あ、カカシ先生、焼き魚もありますよ」
「ウン、それも頼も。あとだし巻き卵も。イルカ先生スキでしょ」
「はい。あ‥、皆さんもなにか注文されますか?」じぃっとオレ達を見つめる4人の視線に気付いてイルカ先生が聞いた。
「じゃあ、お酒頼んでくれる〜?」
「はい。アスマさんは?」
「オレはまだいい」
「たつなみ上忍とお連れの方は?」
「あれ、俺のこと知ってるの?」
「もちろんです。たつなみ上忍は任務の遂行が早いって受付でも評判なんですよ」
「へぇ〜。そうなんだ」イルカ先生がにっこり笑うと、たつなみ(そうだ、そういう名前だった!)の空気が柔らかくなった。
イルカ先生との間にあった壁が無くなり、気を許したのが見て取れる。
急に打ち解けた二人に、内心穏やかじゃなくなった。
たつなみの隣にイルカ先生を座らせたのを深く後悔する。
女連れだからと安心したオレがバカだった。
イルカ先生の人柄を知ったたつなみが、イルカ先生を好きになってしまわないか心配になる。
恋のきっかけなんてどこに転がってるか分からない。
オレがそうだった。
何人もの人間と付き合って、人に興味を無くしていたオレの心にイルカ先生はいとも簡単に住み着いた。
翼を広げた鳥が巣に舞い戻ってくるように、気付いた時には当たり前に居座って、胸の奥を温めていた。
初めて知った温かさに、オレはそのぬくもりを手放せなくなった。
放してしまえばもう、二度と温かくなることはないと知っているから。飲み物が運ばれて来ると改めて乾杯となった。
運ばれてきた料理にイルカ先生が目を輝かせて箸を伸ばす。
あんまり旨そうに食べるから、刺身はもう一皿追加した。
ついでにイルカ先生の大好きなお肉も注文する。「うみの中忍、からあげ取ってもらっていいっすか?」
「はい。‥あの、イルカでいいですよ。みんなそう呼ぶんで。あと敬語も――」
「そう?じゃあイルカ――」呼び捨てにしようとしたたつなみに視線を向けた。
「――さんって呼ぶね」
「さん、とかいらないですよ」
「あはははは‥。あの、聞いていいっすか?はたけ上忍とイルカさんってどっちが先に告白したんっすか?」
突飛な質問に不意を突かれてイルカ先生が頬を染めた。
甘酸っぱい思い出が蘇る。
イルカ先生が困ったようにちらちら視線を寄越す。
可愛い仕草で頼られて、思わずでれっと鼻の下が伸びた。「アラ、知らないの?受付所では有名な話なのに」
「俺、最近まで長期出てたんで」
「それね、オレ。オレが告白したんだーよ」
「そうそう。毎日通ってね」
「あん時は口を開けばイルカ、イルカってな。待機所でも煩かったぜ」
「へ〜、意外っすね。はたけ上忍ってクールなイメージだったんっすけど。それでイルカさんはなんてOKしたんっすか?」
「えっと‥それは‥」
「根負けしたのよね〜、カカシのしつこさに」
「違いねぇ」がははっと笑い出したアスマにむっとしたけど、イルカ先生も笑っていたから許してやることにした。
イルカ先生が楽しければなんだっていい。「イルカ先生、もうコレ食べた?おいしかったよ」
「まだです」小皿に取り分けて差し出すと、イルカ先生が嬉しそうに頬張った。
「おいしいです」
「そう」
「あ〜らカカシ、随分世話を焼くのね。アンタがそんなに面倒見が良いなんて知らなかったわ。それともイルカ先生限定かしら」
「そ、そんなこと‥っ」
「当ったり前デショ〜。イルカ先生可愛いんだから、何だってしてあげたくなあっちゃうんだーよ」
「カカシさんっ」
「はいはい、ごちそーさま。‥ねぇイルカ先生、今日の髪型すごく良いカンジだけど、それどうやってるの?」
「あ‥、これはカカシさんがしてくれて‥。自分では判らないんです」
「そうなの?カカシがそこまで世話を焼くなんて、この調子じゃ服まで着せてもらってたりして!」
「‥‥!////」
「当たっちゃった?」紅のからかいの言葉に、イルカ先生が無言のまま首まで赤くした。
照れた様子が可愛くて、ほのぼの見てしまう。「わぁ、カカシ上忍って優しい〜。うみの中忍が羨ましいです〜」
たつなみの連れの女にまできゃあきゃあ囃し立てられて、ふしゅ〜とイルカ先生の頭から湯気が上がり、あまりの照れぐあいを見かねたアスマが助け舟を出した。
「イルカ、悪いが酒を頼んできてくれねぇか。あと軽くつまみになるのも」
「はい‥!」助かったとばかりに腰を上げたイルカ先生が部屋から出て行った。
「お前ら、あんまりイルカをからかうな」
「だって、あまりに判り易くて可愛いんですもの。‥っていうかアンタ達家でなにしてるのよ」
「いーデショ。二人の時ぐらい何したって。紅はしないの?アスマとイ・イ・コ・トv」
「ぐふっ‥ごほっ‥オメェ何言って‥」
「し、しないわよ‥!」遣り返すとアスマと紅二人そろって顔を赤くする。
何故かこの二人、想い合ってるくせに互いへの好意をはっきりさせなかった。
オレにはそれが不思議でならない。
でも、ま、時々デートをしてるのを見かけるから、そうなるもの時間の問題かもしれないが。
暫らくして戻ってきたイルカ先生がそっと障子を開いた。「後で持ってきてくれるそうです」
「そうか。悪かったな」
「いいえ。おしぼり貰って来ましたからどうぞ」
「お、気が利くな」褒められるイルカ先生に、そうだろう、そうだろうとオレの鼻は高くなる。
さっきから空いたお皿を下げたり、溜まった灰皿を交換してるのもイルカ先生だ。
イルカ先生が見せるさりげない気配りに、オレはますますイルカ先生のことが好きになった。
オレの恋人はとても良く出来た人だった。
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