"あの時" 1
今日の上忍待機所は10人ばかり上忍がいて、この様子だと指名でも無い限り、任務の順番が回って来そうになかった。
久しぶりに顔をアスマとも話が尽きて、古びたソファに背を預けて空を見上げた。
窓の外は青空が広がり、風が木の葉を揺らしていた。
隣の男がふわぁと欠伸すると立ち上がった。「ヒマっすねぇ‥」
備え付けの自販機に向かい、ボタンを押すと取り出し口にカップが落ちる。
ジイイと音がして、静かになると男が取り出し口を開いた。
カップの上部を持ち、屈めていた腰を上げようとしたところで外から怒鳴り声が聞こえた。「コラー!!!」
まるで突風が通り過ぎたみたいに窓ガラスがビリビリと震えた。
――あ、イルカ先生!
ぱっと窓の外に声の主を探すと、イルカ先生の姿が梢に遮られて見え隠れした。
子供たちを連れて授業をしている。「熱っ!あっちぃー」
コーヒー片手に戻ってきた男が指先を濡らして憮然としていた。
どうやら声に驚いて、中のコーヒーを零してしまったらしい。「ダイジョーブ?」
声を掛けると男が決まり悪そうな顔をした。
近くにあったティッシュを抜いて差し出す。「‥ったく、あんな大声出さなくたって‥」
「ウン、ゴメンネ」ここにはいない恋人の変わりに謝罪すると、男が意外そうな顔をした。
「どうしてはたけ上忍が謝るんっすか‥?」
「お前ぇ知らねぇのか?今怒鳴ったヤツがカカシの情人じゃねぇか」と、ワケ知り顔で嘯いたのはアスマだった。
口の端に咥えたタバコから細い紫煙を燻らせる。
大きくふんぞり返った姿はまるで熊だ。「ちがーうよ、恋人って言ってよ」
「え!はたけ上忍って恋人いたんっすか!?」
「うん、いたの」校庭を指差すと男が窓に齧り付く。
出来たてホヤホヤの恋人の後姿に、ほや〜と惚けた。「へぇ〜、どの人っすか?」
「ホラ、あそこ」
「え?どこ‥?」
「いつも受け付けにいるだろ。髪を一つに縛った奴が。ここに傷のある」
「ああ!‥って、男じゃないっすか!?」
「ウン、そーだよ。可愛いデショ」
「え、あー、‥よく知らないっすけど‥。‥‥オレだったらもっと可愛い女の子を選ぶかなぁ」
「イルカ先生は可愛いよ?」
「‥‥はぁ」
「オメェ、イルカに可愛いは無いだろう」聞き捨てなら無い言葉にヒクっとこめかみが引き攣れた。
「なぁに?イルカ先生が可愛く無いって言うの?」
「いや、別にそうじゃないって言うか‥そうだと言うか‥。はたけ上忍の趣味が良く判らないっす」
「ま、イルカが可愛いなんて思うのはお前だけだ」――ピキーン。
その言葉がオレの闘争心に火を点けた。
オレのイルカ先生がどれほど可愛いいか、思い知らせてやる!!
一足先にイルカ先生の家に帰り着いて、イルカ先生の帰りを今か今かと待ち侘びた。
「ただーいまぁ」
「おかーえり!」ようやく帰ってきたイルカ先生を玄関まで迎えに行くと、オレを見てイルカ先生がぱぁっと笑顔を浮かべた。
付き合う前、受付所でよく見せてくれたオレの好きなイルカ先生の笑顔。「遅くなってごめんなさい。お腹空いてませんか?急いでご飯作りますね」
「あ、それなんだけど今日は外に食べに行かない?仲間と約束してるんだ」
「仲間って‥、上忍の方ですよね?俺が行ってもいいんですか?」
「うん。上忍ってもアスマとかだし。イルカ先生も連れて行くって言ってあるよ」
「そうですか。‥じゃあ行きます。‥あの、シャワー浴びる時間ありますか?汗掻いてて」
「ウン、大丈夫だよ。着替え用意してるから」
「はい、ありがとうございます」通勤カバンを受け取って、イルカ先生を風呂場へと見送った。
照れたように入って行くのが可愛い。
ほら、こんな些細なことでも可愛いのに、どうしてみんなが可愛いと思わないのか不思議でならない。
首を傾げながら寝室に向かう。
箪笥を開けるとイルカ先生が着る服をベッドに並べた。
暫くするとシャワーが止んで、タオルを掛けてパンツ一丁のイルカ先生がやってきた。「はぁ、すっきりしたー」
濡れた髪をがしがし拭きながら、ベッドに腰掛けた。
「カカシ先生、これ着たらいいですか?」
「ウン。あ、‥待って。背中濡れてる」タオルで背中を拭うと髪や体から石鹸のいい香りがして、心臓がドキドキした。
このままぎゅっとして、ベッドに倒れこみたい欲求に駆られる。「‥‥はい、いーよ」
イルカ先生がTシャツに袖を通して、その肌が隠れていくのを切なく見守った。
急に、みんなとした約束が酷くつまらないものに感じられた。
食事の約束なんてしなければ良かった。
朝までイルカ先生とゆっくり出来たのに。‥行って、すぐに帰って来よう。
白のTシャツの上に黄緑色の半そでのTシャツを着せて整える。
黄緑色の明るい色はイルカ先生をいっそう可愛く見せた。「ここに座って」
ベッドに座らせるとドライヤーを掛ける。
ブォーと額から熱風を当てると、イルカ先生が心地よさ気に瞳を閉じた。‥なんて無防備なんだろう。
さっきからオレはイルカ先生の肌を流れる雫に舌を這わせたいだとか、あーんなことやこーんなことを想像しているのに、その対象の本人はお構いなしだ。
その無邪気さが恨めしくも有り、でもそれが信頼されている証だと思えば手出しも出来なくて、胸の奥をちりちりと焦がした。
傍にいてもイルカ先生に焦がれる。「イルカセンセ、髪結ってもいい?」
「えっ?ええ、はい」乾いた髪の上部だけ集めて集めると紐で結えて、出来た毛束をお団子にしてピンで留めると毛先を散らした。
前髪は下ろすと色っぽく見えるから残しておく。「出来たよ」
イルカ先生はいつもと違う様子にそろっと手を上げると髪に触れた。
「あの、俺あまり髪を下ろしたこと無くて‥、へんじゃないですか?」
「うん、可愛いよ」ふわっと頬を染めたイルカ先生は暫く髪を弄っていたが、納得したように手を下ろした。
改めてイルカ先生の全身を見下ろす。「‥‥」
すごく可愛い。
忍服じゃなく普段着のイルカ先生はいつもの固い雰囲気が取れてあどけない。「‥見せるのが勿体無い」
「へ?何ですか‥?」
「ううん、なんでもない。あ、そだ」引き出しから皮のブレスレットを出すとイルカ先生の手首に巻いた。
「これ、カカシさんの‥」
「イヤ?」ぶんぶんと首を横に振るイルカ先生に満足する。
Tシャツの袖口から覗く皮の茶色は今日のコーディネイトのアクセントだ。
あるのとないのとでは随分違ってくる。
気に入ったのか嬉しそうな顔でイルカ先生がブレスレットに触れている。
イルカ先生はあまりアクセサリー類を身に付けないから興味ないのかと思っていたけど、そうでないのなら今度イルカ先生にも買ってこよう。「さ、行こっか」
「はい」手を差し出すとイルカ先生が握った。
ぐいっと引っ張り上げるとイルカ先生が楽しそうに笑う。
これからデートに行くみたいにわくわくした。
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