水たまり 6
背中がすーすして目が覚めた。
やけに寒い。
布団の温かい方へと身を寄せて、今が何時か確かめようとして失敗した。
瞼が開かない。
おぼろげに昨夜泣いたことを思い出して、瞼が腫れぼったく感じるのはそのせいかと納得した。
昨日、同僚に襲われて逃げ帰った。
途中で吐いたり泣いたりと、苦々しい記憶が蘇ったが、――不思議と心は軽かった。
ずっと心の中にあったはずの重苦しさが消えている。・・なんでだろ?
泣いてすっきりしたとか・・?考えてもこれといった理由は思いつかなくて、まあいいやと布団に擦り寄った。
あったかい。
気持ちよくて頬を擦り付けると、布団がもぞっと動いた。「!!!」
驚いて仰け反ると布団がきつく締まる。
それが背中に回るカカシの腕だと気づいた時には、パニックで心臓が飛び出そうになった。
髪にカカシの息が掛かる。
重なり合う肌が裸なのはもっと驚いたが、あまつさえ、しがみ付くようにカカシの背に回った自分の腕にはもっともっと驚いた。ひぃーっ!
カカシに気づかれる前に何とかしたい。
こんな風にしたことがバレてカカシにバカにされるのはごめんだった。
カカシが起きる前に手を退かそうと考える。「・・・・」
だけど、何もしないでただ重なり合う肌が心地よくてなかなか動き出せなかった。
・・いつ来たんだろ。
帰ったときにはいなかった。
お互い裸なのは、眠ってる時にカカシが何かしたからなのかと考えて、寂しくなった。
もう、俺の意思も必要なくなってしまったのか。
俺の体を使って気持ち良くなるカカシを思い浮かべて気持ちが沈んだ。
軽くなったと思った心に冷たい雨が降る。・・寂しい。
どうして心は受け取って貰えないのか。温かい肌に顔をうずめて息を潜めていると、カカシが大きく身じろいだ。
カカシが目を覚ます。
外し損ねた腕に酷く焦った。
起きていたことを気づかれるよりはましかと咄嗟に眠ったフリをすると、背中にあったカカシの手が離れた。
すっと頬を撫ぜ、唇に触れる。――え?
唇に触れる感触が、2度3度と戻ってくるのに疑問が沸いた。
まるでキスされてるみたいな感触。
こめかみから入った手が耳を掠めて髪を梳く。うそ・・。
ちゅっと音を立てた後、唇に触れた温かい吐息にトクトクと鼓動が早くなった。
啄ばむ様に何度も唇を吸われる。「いつまで眠ったフリをしてるの?」
「!」くすっと笑ったような空気の塊が唇に触れて顔を歪めた。
からかわれた!
やはりカカシが俺に優しくなんてするはず無いのに。
恋人同士みたいなことするはず無いのに。カカシを突っぱねようと手を伸ばすと、逆に俺の方がベッドから落ちた。
背中と腰を強かに打って息が詰まる。
すぐに体を起こそうとしたのだけど、どういう訳か体が動かない。
関節やあらぬ所が痛くて、仰向けになった蛙の様にひっくり返っていると、上から呆れた顔が覘いた。「あーあー、なにやってるの」
わっと込み上げてくるものに顔を隠すが、その腕を強く引かれた。
「やっ、やめろ!」
「そんな事言っても、そこじゃ寒いデショ?」
「うるさい!さわるな!さわるな!」
「あーもう、はいはい」カカシの手を払おうと振り回した手を掴まれ、よいしょの掛け声とともにベッドの上に上がげられた。
体の上に布団が掛けられ、カカシの方へと抱き寄せられる。「ほら、すっかり冷えちゃったじゃない」
ごしごしと背中や腕を擦られて、じわっと目の前が滲んだ。
「離してください!」
「いーや」どれほど力を入れて突っぱねようとしても背中に回った腕が解けない。
それどころかいっそう強く抱きしめられて、俺の怒りは爆発した。「馬鹿にするな!そうやって俺のことからかって楽しいですか!」
「・・からかってなんかないじゃない」きょとんと不思議そうな顔で見つめ返される。
この人には、何も伝わらない。
今までも、これからも。
どれだけ俺がカカシの言動に傷つけられるか。
どれほど力で制されることが嫌いなのか。
カカシは何にも分かっていない。頭の奥で警報が鳴った。
言ったら後悔すると。
だけど止められなかった。「・・もうたくさんだ。今すぐ服を着て出て行ってください!それで二度と俺の目の前に現れるな!」
「イヤだ」
「うるさい!出て行け!」
「イヤ」
「俺に、さわるな!」
「イーヤーだ。もぉ素直じゃないなぁ、イルか先生は。オレにこうされて嬉しいくせに」
「嬉しくなんかない!」
「はい、ウソ!さっきオレがキスしても止めなかったくせに。うーっとりした顔でオレのキス受け止めてたくせに」
「なっ・・!」そんなことを嬉しそうな顔で告げられて、羞恥で消えたくなった。
なんて酷い人だろう。
涙が止め処なく溢れた。「人の心を弄ぶことがそんなに楽しいですか・・っ」
どうしてこんな人好きになってしまったんだろう。
最初からそうだった。
優しいフリで近づいて無理矢理陵辱して、今だって気まぐれに優しくしては俺の反応を見て楽しんでいる。
それがこの人の遊びだと分かっているのに、どうして俺はこの腕の中を気持ちいいと思ってしまうんだろう。
この人が本気じゃないと分かっているのに、どうして嬉しいと思ってしまうんだろう。
そう思ってしまう自分が情けなくて悲しくなる。「・・もう離してください」
「イヤ」
「俺を自由にしてください」
「イヤだって」
「おねがいします」
「イヤだ。だってこうして良いって言ったじゃない。傍に居て良いって言ったじゃない」
「・・言ってない!」
「昨日の晩、『ずっとこうしてて』ってイルカ言ったよ」何の話をしているのだろう。
酔っ払っていたから寝ぼけてそんなことを言ってしまったのか。
記憶に無くて自分が何を口走ったのか不安になった。「・・言わない。俺、そんなこと・・」
「言ったの。だからこれからはずっとこうするの」頭を抱きかかえるようにしてカカシが耳元で囁く。
その甘く優しい響きに心が揺らいだ。・・本当だろうか?
懲りもせず、すぐにカカシの甘言に流される自分に呆れた。
でも本当ならもっとその声を聞かせて欲しい。
優しくされたい。
だけど、またからかわれてるんじゃないかと気になった。
気を許したら手酷く傷つけられるかもしれない。
もうカカシのことで傷つくのは嫌だった。
カカシのすることは何より俺の心を切り裂くから。「・・・・・・・・」
「イルカ先生、オレのことスキ?」
「・・・・・」好きと言ったら俺のことを好きになってくれるだろうか?
「・・なんで黙ってるの?」
少し不機嫌になった声にびくっと肩が震えた。
やっぱり試されてるだけかもしれない。
好きと言ったら笑われるかもしれない。「何とか言いな」
顎を掴んだ手が顔を上げて、カカシが息を止めた。
困ったように眉を下げると噛み締めた唇にキスをした。「イルカ、もう言っていいんだよ。ちゃんと大事にするから。誰よりも、一番に大切にするから」
どうして・・?
どうしてカカシに俺のことがわかったんだろう。信じられない思いをカカシのキスが溶かしていく。
言ってもいいかもしれない。
いや、言わずにはいられない。
だってもう、ずっと前から言いたかったのだから。「・・っ、あ・・、・・ゅき、カカ・・が・・すき・・」
「ん、わかった。オレもスキ」
「えっ・・うしょ・・っ」
「ウソじゃなーいよ!だからイルカもこれからはそんなに泣かなくていーからね」嘘だそんなこと。
嘘だ・・嘘・・。「・・ひっく・・ぅっ・・うわーんっっ」
泣き出した俺を見てカカシが笑う。
だけどそこに馬鹿にしたような色合いは無く、眩しいほどの笑顔を見てカカシが心底喜んでいるのが分かった。信じられない。
俺の上にいっせいに花が開くような幸運がやって来た!
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