水たまり 2
じじ、と灯心が音を立てるたびに襖に映る影が小さく揺らいだ。
薄暗い部屋の中で女が赤い着物の裾を乱し、甘く忙しく息を荒げている。「それで、山城の大名はそのあとどうするって?」
息も絶え絶えな口から情報を引き出した。
快楽の真っ只中にいる女は自分が何を話しているのかすら意識にない。
幻影の男の背に手を回し、身悶えていた。
オレはただ、その様子を記憶する。
最後に絶頂を向かえて気を遣った花魁に布団を掛けて、夜が明けるのを待った。
朝、目を覚ました女に昨夜の記憶と後遺症が無いのを確かめてから楼閣を後にする。
報告のため薬部へ戻ると、中身の残った小瓶を白衣の男へと放った。「お疲れ様です。どうでした?カカシセンパイ」
「うん、まあまあ。期待通りの成果は出てるよ」
「じゃあ、一般で使っても問題ないですね?」
「ああ」
「・・でも、どうしてまあまあなんですか?」
「導入まで時間が掛かって面倒臭い」
「なんだ。しょうがないですよ。みんなセンパイじゃないんですから」
「そう」対象者の呼吸、脈拍、体温、発汗などを報告する。
こっちの任務は新しく開発した自白剤の効果を調べることだった。
別に受けていた大名の動向を調べる任務と合わせて遂行して一石二鳥。
一通り報告し終えると、サラサラと用紙に書き込んでいた男が顔を上げた。「で、どうでした?遊里一の花魁は」
むしろそっちに興味があると言いたげな視線が向けられた。
「うん、まあまあ」
「まあまあなんてことはないでしょう。仮にも火の国一の花魁ですよ?あーぁ、羨ましいなぁ。俺がセンパイだったら目いっぱい楽しんでくるのに」
「だったら自分で行きなよ」
「やですよ、あんな媚薬慣れした玄人相手に!バレたら大事になるじゃないですか。その点センパイなら記憶消したら仕舞いですし」
「だったら導入も入れて5分で済ませるよ。こんな任務」
「・・ですね。データ収集にご協力頂きありがとうございました」
「うん、じゃあもう一つ報告があるから行くね」
「はい。あ、センパイこれどうぞ」ドアを開けた瞬間、振り向きざまに放ってよこされた小瓶を咄嗟に受け取る。
「残りは差し上げます。使ってください」
「だからいらないって・・・」返そうとした小瓶を笑顔で拒絶されて溜息と共に胸に締まった。
あんまり拒絶すると薬の効能を否定しているみたいだ。
オレだったら、こんなの仕込む間に写輪眼で催眠に掛けてる。
白んだ空の下イルカの家に向かって歩く。
まだ眠っている時間だろうが構いやしない。
何日か掛かるような事を言って出たから、一日置いただけで帰ればきっと驚く。
顔を合わせた瞬間に、その顔に浮かぶ嫌悪が容易に想像できて皮肉に笑った。
イルカのことだからきっとオレが花魁を抱いてきたと思うだろう。
これだけオレの近くにいながらオレのことを知ろうともしない人。
それでもイルカ先生の家へと向かう足を止めることが出来なくて、やがて見えてきたアパートの鉄の階段を登ると玄関を開けた。
廊下に洗面所から出てきたばかりであろうイルカ先生が濡れた顔にタオルを当てながら佇んでいる。「あ、起きてたの」
驚きのあまり動けないイルカの脇を通って居間に踏み込んだ。
「ちょっと、なんでいるんですか?」
「任務が早く終わったーの。疲れたから休ませて」
「ベッドに入るつもりなら風呂に入ってからにしてくださいよ」棘のある言い方にムッとする。
しかし自分の体から香る香の匂いに、それも納得できて素直に従った。
風呂から上がれば、イルカが一人でご飯を食べている。「・・・オレの分は?」
「急に帰ってきたってありませんよ」
「ふぅーん」こっちを見ないでイルカが言い切る。
不機嫌そうに寄った眉間の皺に、ああ、やっぱりこういう顔してるのかと目を逸らして、卓袱台に頬杖を突いた。
むしゃむしゃご飯を食み、ずずっと味噌汁を吸う音を聞いていると眠気が襲う。
うとうと仕掛けていると茶碗を重ねたイルカが立ち上がり、台所に向かった。
もうすぐイルカが仕事に行ってしまう。
ベッドに行って寝ようかと考えていると、こすっと卓袱台が鳴った。
視線を上げるとカップラーメンが置かれている。「お湯ぐらいは自分で沸かしてください」
「はぁーい」返事するとふんと顔を背けて居間を出て行った。
玄関が閉まり、階段を下りる音がして足音が遠ざかった。
完全に静かになってしまった部屋に寝転がると目を閉じた。――たぶんね、オレが悪いんだよ。
イルカは本当は優しい人だった。
初めて彼と知り合ったのは部下を通してだった。
担任だったというその人を紹介され、何度か顔を合わせる内に飲みに行くようになった。
イルカはマメでよく気の付く人だから一緒にいて居心地が良かった。
しばらくすると家にも通されるようになり、次第に打ち解けていった。
あれは知り合ってから3ヶ月経ったころだった。
その日、オレは人肌が欲しくて傍にいたイルカに声を掛けた。
別にイルカじゃなくても良かった。
イルカは男だし、イルカがその気なら後腐れなくていいと思った。
部屋に入って頃合をみて畳の上に押し倒した。
驚くイルカに口吻けて、イケると思って肌に手を這わすと抵抗された。
驚いて押さえつける手に力が入ると、イルカの抵抗も激しくなる。
結局、オレは力でイルカを征服した。
無理やりだったし、後で訴えられても困るから徹底的に善がらせた。
男は初めてだったらしいイルカを陥落するには時間が掛かって朝まで抱いた。
カーテンの隙間から光が差し込むと、イルカが疲れた顔で泣きながら言った。
「もうやめてください」と。
だからその日は終わりにして、どちらの体液ともつかぬほどぐちゃぐちゃに濡れたイルカの性器を掴んで言った。
「続きはまた明日ね」と。
それからずっとこんな関係が続いてる。
イルカのことをイイなと思い始めたのは、それから3週間ほど経ってからだった。
毎日イルカの家に帰り、肌を重ねているうちに情が沸いた。
快楽に咽び泣き、悶えるイルカを可愛いと思うようになった。
実際体の相性は凄く良い。
だけど性格の面では最初がああだっただけにイルカは頑なだった。
イルカはオレを疎んで拒絶する。
飲みに行っていた頃のマメさや優しさは見せなくなった。
いつでも眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔をする。
イルカが可愛いのはオレの下に組み敷かれている時だけ。
優しくしたくとも、イルカがそれを望まなくて、今更恋人らしい関係にはなれそうもなかった。
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