ソワソワ 4
「おまえって本当のバカだったんだな」
「うるさい、だまれクマ」
居酒屋の個室から店内を伺う。
閉じた障子に小さな穴を開け、満員の店内、にぎわう人の間を縫って意識を向けるのは、イルカ先生の同僚の座るテーブル、ただ一つ。
イルカ先生に不埒なことをする奴が現われたら瞬殺してやろうと控えていた。
会話も聞き逃さないように、騒ぐ酔っ払いにそれとなく殺気をぶつけて黙らせたというのに、何故コイツは話しかける。
「場を読んでよ。話しかけないで」
「読めてねーのはおまえだろーが。そんなに心配だったらなんで行かせたんだ」
「そんなこと言ったって。イルカ先生が行くって言うんだからしょーがないデショ」
ホントは飲み会なんて行って欲しくなかった。
酔ったイルカ先生なんて誰にも見せたくない。
だけどあんな当たり前の顔して「行く」と言われたら駄目なんて言えない。
楽しみだと書いてある顔に、なんでもない顔で了承した。
「だったらイルカの好きにさせてやれよ」
「させてるよ」
何時までも話続けるのに不機嫌になりながら振り返れば、コタツに入ったアスマが肴の鮭を突付いている。
一人でこんなところにいて見つかったとき言い訳しにくいから、カモフラージュにアスマを連れてきたが、人選を誤ったかもしれない。
「あっ!来た。静かにしてよね」
はぁと吐き出されたアスマの溜息にさえイライラしつつ。
障子の向こうに視線を向けると、走ってきたのか頬を赤くしたイルカ先生が店内を見回していた。
その目が同僚らを見つけて、ぱっと輝く。
それがオレに向けられたものでないことに心底がっかりする。
片手を上げて同僚たちと合流するイルカ先生をただ見守った。
こっちに背を向けて座ったため表情が伺えない。
「おっせーよ、イルカ」
「ごめんっ」
「なんだー?旦那の世話でもしてたのか?」
同僚の言葉にどっきーんと心臓が跳ねた。
(旦那ってオレ!?オレのこと!!?)
だけど歓喜に弾んだ心臓はイルカ先生の一言でぱんと弾けて萎んだ。
「旦那言うな」
短く否定すると近くの店員に声を掛けてビールを頼む。
(うっ、うっ。なにもそんなにきっぱり否定しなくても…)
障子の前で膝を抱えているとアスマが徳利と盃の乗った盆をよこした。
「アリガト・・」
ちびちびと手酌で盃を傾けながら監視を続ける。
楽しそうに酒を飲むイルカ先生が恨めしかった。
「なぁ、イルカ、家でのはたけ上忍ってどんな?」
宴も闌なころ、同僚の一人からオレの名前が挙がった。
(どんなもなにも――)
「普通だよ」
オレの拗ねた心の声とイルカ先生の声が重なる。
「普通なわけねーだろーが。あのはたけカカシだぞ。家でなにか術とか見せてくれたりしないのか?」
「そんなのする訳ないだろ」
(なんでワケないんですか。望めばいつだって見せますよ)
「はたけ上忍の私生活って想像できねー」
「だよなぁ。霞食ってそうなイメージあるもん」
(オレは仙人じゃなーいよ)
「あははっ!なんだよそれっ」
(イルカ先生、笑いすぎ)
「いや、なんつーの?雲の上って言うの?ちょっと手の届かない存在っつーか、伝説の人だったりするじゃん?はたけ上忍って」
「だからさぁ、家ではなにしてるんだよ。教えろよ」
「って言われてもなぁ・・」
オレも含めて期待に満ちた視線がイルカ先生に集まる。
オレも知りたい。
イルカ先生がどんな風にオレのことを話すのか。
「・・普通だって。ゴロゴロしてたり、本よんでたり・・」
「それから?」
「それから・・・・って言われても・・」
うーんと首を傾げて考え込むイルカ先生にがっくり項垂れる。
そりゃあ、家のことはすべてイルカ先生にお任せで何にもしないけど・・。
オレってなにか一個ぐらいイルカ先生の自慢になることってないんですか?
(これからはもっとイルカ先生の手伝いをしよう。仕事の邪魔もしない。)
心に決めて障子から離れようとすると、わっと歓声が上がった。
なになに!と覗き込んだ先、とても嬉しそうなイルカ先生の横顔が見える。
「水臭せぇな!もっと早く言えよ!おめでとう、幸せにな!」
「ありがとう」
「式はいつだよ?」
「まだはっきりとは決まってないけど来年の――」
話の流れからして、イルカ先生の横に座る同僚の結婚が決まったらしい。
自分のことのように喜んで同僚を祝福するイルカ先生。
その瞳の中に羨望を見つけて――。
(それじゃあ、ダメなんだね・・)
今度こそ障子から離れるとコタツに入った。
「どうした?」
「んー…」
アスマがタバコを吹かしながら空いた手で徳利を傾けてくる。
飲めよと促され、なみなみと注がれた盃を一息に飲み干せば辛い酒が喉を焼いた。