輪っか 16
硬かった梅の蕾が綻んで、黄色い花弁を薄紅色の花びらの間から覗かせていた。
薄水色の空の下、温かな日差しが降り注ぐ。
皺の寄った洗濯物をぱんっと広げて干すと、音に驚いたメジロが飛んでいった。
部屋が寒くならないように閉じていた窓がカラカラと開いた。
「イルカセンセ、オレも手伝います」
「これで終わりだからいいですよ」
「・・そう」
顔を覗かせたカカシさんがすごすごと部屋へ戻っていった。
落ち着き無く部屋の中を歩き回るのが可笑しい。
・・何を緊張しているのやら。
俺の同僚が主催なので、顔を合わせた事の無い中忍が多く集まるのが不安なのかもしれない。
あれで案外人見知りだからなぁ。
今日は同僚達が俺とカカシさんの結婚祝いをしてくれる日だった。
「イルカセンセ、ちゃんと来てね」
校門で別れ際、カカシさんが言った。
「勿論ですよ。カカシさんも任務で遅れそうなときは式を飛ばしてくださいね。
「オレは遅れたりしません」
「もしも、の時ですよ」
硬い表情をしたカカシさんに内心首を傾げながら髪に手を伸ばした。
額宛を直してやるフリで頭を撫ぜると、ほっと表情が和らぐ。
だけどその瞳がじっともの言いたげに俺を見て、今度は本当に首を傾げた。
「・・どうしたんですか?カカシさん」
カカシさんが無言で首を振る。
そのままとんと塀に上がると行ってしまったので、家に帰ったら問い詰めてやろうと思った。
カカシさんがああいう顔してる時は、何か腹に溜め込んでる時だ。
また何か強請りたいのかもしれない。
コタツ出す前もあんな顔してたなぁと思いながら職員室へ向かった。
放課後、準備があるからと先にお店に向かう同僚達を見送って職員室に残った。
俺も手伝うと言うと、「お前は主役だから来るのは時間のちょっと前でいい」と言われてしまった。
待ち合わせは6時。
それまで時間があるから、俺はアカデミーで仕事することにした。
今度の授業で使う教材を作ってみる。
出来上がった教材を、他のクラスの分までコピーしていると日が傾いて、片付けて店に向かえば丁度いい時間になった。
式が来なかったところをみると、カカシさんの任務も無事終ったらしい。
きっと今頃、カカシさんも店に向かっているだろうと、カバンを肩に掛けた時だった。
廊下を走る音が近づいてくる。
ガラッとドアが開いて飛び込むように中に入ってきた忍びに声を掛けると、焦ったように辺りを見渡した。
「あっ、イルカ!今ここに居るのってお前だけか?」
「ああ。俺が最後だけど・・、どうしたんだ?」
「それがさ、明日の朝、急に会議することが決まったんだ。準備したいんだけど手伝ってくれる人が誰も居なくて・・」
誰も居ない理由に心当たりがある。
今日のお祝い会に結構な人数が集まると聞いていた。
「・・俺、手伝おうか?」
「えっ、いいよ。イルカ、今日お祝い会だろ?俺も後で行くし・・」
「だって一人じゃ大変だろ。まだ時間あるし、二人でやったらすぐだよ」
「・・・すまん、じゃあ頼めるか?時間が来たら行ってくれたらいいから」
「ああ」
資料の準備を引き受けて、同僚には会議室の準備に向かわせた。
人数分の資料をコピーしている間に、資料室へ走って必要な巻物を集める。
刷り上ったコピーを分けてホッチキスで留めていると約束の時間が迫った。
時間通りに着くのは難しい。
「少し遅れる」と手紙を書いて式にすると、店に飛ばした。
「イルカ、すまん!本当にゴメンな・・!」
「いいって、気にするなって言ってるだろ!」
夜の里を二人で駆け抜けながら店に向かう。
結局準備が終ったのは、約束の時を30分過ぎてからだった。
それは俺の判断だったのに、一緒に走る同僚は謝りっぱなしだ。
仕事だから仕方ないってのに。
「いいから。早く行こう」
店が見えていつもの入り口へ向かうと同僚が袖を引いた。
「イルカ、今日はそっちじゃないよ。座敷の方」
「え、そうなのか?」
その店は気軽に飲める居酒屋と宴会なんかに使う料亭が併設してる店だった。
いつもは居酒屋の方を使うから、店の名前を聞いたときはてっきりそっちだと思っていた。
料亭の方は居酒屋より格式ある作りになっている。
心持緊張しながら同僚の後について料亭の門を潜ると店の中に入った。
中は廊下の両脇の部屋から賑やかな声が聞こえるものの、忙しいのか店の者は誰も出てこない。
「俺、ちょっと行って部屋をさがしてくるよ。イルカはここで待ってて」
「えっ」
さっと上がった同僚は廊下の奥に消えていって、広い玄関に残された俺は不安になった。
普段来ることのない店の構えに場違いな気がして心許ない。
お祝い会と言っても、皆で飲み食いするような気軽なものだと思っていた。
そわそわとして同僚が戻ってくるのを待っていると、程なくして名前を呼ばれた。
「イルカ、こっち。もう宴会が始まってて、みんな盛り上がってるよ」
「そうか」
それを聞いてほっと肩から力を抜いた。
ずっと待たせていたらどうしようと思っていたのだ。
同僚達のことだから気を利かせてなんとかしてくれるだろうと思ったが、カカシさんのことだけが不安だった。
朝の緊張していた面持ちを思い出す。
放っておかれたと拗ねてないと良いが――。
「イルカ、イルカ、一発芸も始まってたから、俺たちも入るときなんかして皆を驚かせようぜ」
「おっ、いいね。何する?」
「傘回しでいいんじゃね?アレ、やったら絶対ウケるし」
「うん、やろう」
入り組んだ廊下を右へ左へと曲がり、部屋に入る前に着替えだと衣装室に連れられる。
この芸をやるときは正装と決まっていて、俺も同僚も忍服の上からマントを被った。
それから部屋を出て、また廊下を進む。
「あれ?傘は?傘持ってないよ?」
角を曲がると同僚が立ち止まった。
前を見ると意外な人物と出会う。
「ご、五代目!?どうされたんですか?このようなところで・・」
「なぁに、ちょっと結婚式に呼ばれたものでね」
ほぇーと感心してしまった。
火影様を呼びつけて式を挙げるような人が来てるなんて。
すごいな、誰だろ?と思っていると、同僚が火影様に軽く会釈して行ってしまった。
置いて行かれると慌てるが、五代目の話は続く。
「お前を始めて見たときは、まだこんな小さい子供だったけどね・・。大きくなったもんだ。お前の両親もこの姿を見たかっただろう。この役も、本来なら三代目が引き受けたかっただろうが・・、私で勘弁しておくれ」
「え?」
盛大に頭の中に疑問符を浮かべていたら、障子がすっと開いて頭の中が真っ白になった。
同じく正装のマントに身を包んだ忍び達が列を作り並んでいた。
その中にさっきまで一緒にいた同僚や、アカデミーの同僚の姿を見つける。
奥には金の屏風が立っていた。
その前に銀色の髪をした人が一人、こちらに背を向けて立っている。
――カカシさん?
「行くよ」
五代目に背を押されて、忍び立ちの間を歩いた。
一歩一歩、カカシさんに近づいていく。
・・これって・・、これって・・。
俺の思い違いでなければ、木の葉式の結婚式じゃないだろうか。
信じられない思いで正装したカカシさんの隣に並ぶと、五代目は前に回った。
「これより、結婚の儀を取り行う!――カカシ」
「は!」
短く返事したカカシさんが右手で誓約の印を結んだ。
「はたけカカシの名をもって、うみのイルカを伴侶とし、生涯ともにあることを誓います」
「うむ。イルカ、・・イルカ!お前はどうなんだい?」
「は、はい!うみのイルカの名をもって、左に同じです!」
印を結んで誓う。
「うむ!二人が宣言したことに異議のあるヤツはいるかい?・・いないなら、今より二人を夫婦と認める!」
五代目の声に「わーっ」と歓声が上がった。
おめでとう、おめでとうと声が掛かる。
俄かに信じきれず、ぽかんとしているとカカシさんがそっと俺の手を握った。
俺を見る目が柔らかく撓む。
力強い手に、涙が溢れるのを止められなかった。
ぼろっ、ぼろっと頬に涙が伝う。
「カ・・カカシさん・・、カカシさん・・」
「ん?」
胸が一杯で名前を呼ぶことしか出来ないでいると、カカシさんが優しく目元を拭った。
こんなにも、幸せだと思える瞬間が自分に訪れるとは思ってなかった。
カカシさんとの結婚を里から認められ、皆の祝福を受けている。
そんなことは想像したこともなかった。
泣いている間に席や料理が用意され、俺とカカシさんはまるでお雛様のように並んで金屏風の前に座った。
乾杯!と五代目の声が広間に響き、大宴会が始まった。