輪っか 8





(どうして起こしてくれなかったんだろう…。)
 謝る機会を失って、苦しさが胸を塞いだ。早く仲直りして欲しい。カカシさんが傍にいないと俺は駄目だった。悲しくて苦しくて息も吸えない。
「イルカ、そんな所に突っ立ってたら寒いだろ。早くベッドに入れよ」
「…うん。足、洗ってくる」
「濡れたタオルならあるから、これ使えよ」
「でも二」
「いいから!そんなんでうろちょろすると冷えるだろ」
「……ありがと」
 タオルを借りて足を拭くとベッドに入った。しばらくするとご飯が運ばれて少しつついた。食器が片付けられると洋ナシを掌に包んだ。転がすように撫ぜているとハシゴが言った。
「食べるんだったらナイフ貸してやろうか?」
「ううん、いい。今はお腹いっぱいだから」
 食べたら無くなってしまう。これが唯一カカシさんとの接点のような気がして、食べる気になれなかった。
「なあ、どうしたんだよ、イルカ」
 さっきと同じことをハシゴが控えめに聞いてくる。心配してくれているのは明らかで、黙っているもの気が引けて口を開いた。
「…カカシさんと喧嘩した」
「えっ?そうなの?」
 ハシゴの反応は俺が思ったのとは違って、あっけらかんとしたものだった。意外に思ってるのが滲み出てて、口を尖らせる。
「そうなのって…、カカシさん、怒ってただろ?」
 だから起こしてくれなかったんじゃないか。来てくれたけど、俺を見たら口を利くのが嫌になって、黙って帰った。
 想像すると、鼻の奥がつーんとした。ぎゅっと洋ナシを握ると、ハシゴが言った。
「そんなことなかったけど?イルカが眠ってたからイスに座って…」
 そこで言葉を切ったハシゴが、ふっと顔を赤らめた。
「なあ、イルカって、はたけさんのどこが好きなんだ?」
「な、なんだよ、いきなり…」
 聞きたかったことをはぐらかされて眉間に皺を寄せた。だけどハシゴはお構いなしに答えを求めた。
「いいから。どこだよ?」
「そんなの…どこって言ったって…、優しいとことか。…優しいとことか」
「なんだよ、それ。同じじゃん!」
「だって!すごく優しいんだぞ!」
 カカシさんの傍にいると、いつも腕の中に包んで貰っているような心地になる。温かくて、安心できて、ねぐらに帰った動物のように安らげる。
「じゃあさ、俺が優しくしたら、イルカ俺のこと好きになる?」
「は?」
 ならない。
 考えるまでも無くならなくて、意表を突いた質問にぽかんとした。
(なんでハシゴを好きに鳴るんだ?)
 元々俺は女の子が好きだから、カカシさんじゃないのなら、ハシゴではなく女の子を好きになるだろう。
 と言っても、今ではそれも想像出来ないが。
「ならないよ」
「凄く、凄く優しくするんだぞ?はたけさんよりずーっとだ」
「ならないって」
「それって、はたけさんが優しくなくても良いってことなんじゃないか?」
「そうか…な…?」
「そうだよ。…で、どこが好きなんだ?」
 最初の質問に戻る。ハシゴが何を知りたいのか分からなくて混乱した。それより俺はカカシさんの様子が知りたくて仕方ない。大体カカシさんのどこを好きかなんて、今となっては言葉になんて出来なかった。
「どこを好きかなんて、どこでもいいんだよ!全部だよ!全部!それよりカカシさんの様子を教えてくれよ!カカシさん、本当に怒ってなかったか?」
「ふぅーん、そういうもんか」
 俺の焦燥はどこへやら。枕に頬杖を突くと考え込み始めたハシゴに、じれったくて爆発しそうになった。
「ハシゴ!」
「ああ?うん、怒って無かったよ。イルカの勘違いじゃないのか?よく眠ってるから起こしたくないって、じっと寝顔見てて…。髪撫ぜたりして……」
 そこで何故かハシゴが顔を赤くして、ニヤけた。
「額に触ったり、頬突付いたりして。ずっと寝てるのに全然飽きないって感じでさぁ。はたで見てるこっちが恥ずかしくなるぐらい甘ったるい顔してたぞ。はぁーっ、俺も彼女欲しーっ!、ここを退院したら絶対彼女作る!作るぞー!」
 決意新たに拳を握り締めるハシゴからそっと顔を背けた。耳が熱い。俺の知らない間のカカシさんの様子が嬉しくて口元が緩んだ。カカシさんが怒ってなかったことに心底ホッとする。
でも絶対に謝ろうと心に決めた。早くカカシさんに会いたい。
「……」
 手の中の洋ナシを撫ぜた。鼻先に持っていくと、みずみずしい香りがする。歯を立てると甘い果汁が舌の上に広がった。
「あ、ナイフ貸してやろうか?」
「ううん、いい。ありがと」
 シャリシャリと噛り付いて甘い果実を味わう。カカシさんの想いを食べて、早く元気になりたかった。


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