ソワソワ 8
漸く腕の中に収まってくれたイルカ先生に安心する。
ふわふわと鼻先を擽る髪がくすぐったくて、肘を突くと頭を乗せて上からイルカ先生を覗き込んだ。
まだ表情が幾分硬いものの、じっと腕の中にいてくれるのは少しは気が落ち着いたからだろう。
アスマは「怒った」と言っていたが、イルカ先生が拗ねているのは部屋の隅に逃げた時点で気づいた。
もしかしたら本人も怒ってるつもりかもしれないが、怒ったら正面から拳を振り上げて向かってくるのがイルカ先生だ。
それがこっちを見なかったり、背中を向ける時は大抵が拗ねてる時。
あんなに楽しげに同僚と飲んでいたイルカ先生がオレを見て店を飛び出したからには、その原因はオレにあるのだろう。
だったらその原因を知っておきたい。
イルカ先生がオレに持った不満を取り除いて、それからもう一つ。
出来る事ならオレの持つ不安も解消したかった。
二人の体を受け止める絨毯に指を這わせてその柔らかさを堪能すると、布団からはみ出していたイルカ先生の手を引き寄せた。
冷たい手が早く温まるように強く引き寄せる。
「今日買ったの?」
絨毯を指して聞けば、イルカ先生が小さく顎を引く。
「持って帰ってきたの?」
コクン。
「重くなかった?」
コクン。
「すごくキモチイーね」
イルカ先生の頬がやや緩んだ。
嬉しいのを堪えるみたいに横へと伸びかけた唇を噛み締める。
朱の差した頬に心臓の動きが早くなった。
「コタツも出してくれてありがとう」
そこでイルカ先生の唇がへの字に曲がった。眉間に深い皺が寄り、ぎゅっと体が強張る。思い出したように腕の中から抜け出ようとするのを拘束をきつくして阻止した。
「怒ってるの?」
「……だって」
「うん?」
「せっかくコタツ出したのに、カカシさんが他所のコタツで寝てるから・・」
「ゴメン。出てるの知らなかったから・・。知ってたら外で寝たりしなかったよ」
言いながら、イルカ先生の髪に口吻けた。ゴメンネと繰り返し、首筋に鼻を埋める。
「それに・・あんな気持ちよさそーな顔して…」
「ホントに?そんな事ないデショ?だってイルカ先生とこうしてる時が一番キモチイーもん」
「・・・・ほんとに?」
「うん」
すりすりと頬を寄せると腕の中でイルカ先生が少しだけ身じろいだ。
だけど、ぐうっと顎を引くだけで逃げたりしない。
その様子に頬が緩んだ。
楽しい。
実を言うと拗ねてるイルカ先生が大好きだ。
普段なら「恥かしい」とか「うっとおしい」とか言ってあまりさせてくれない事でも、拗ねてる時のイルカ先生はオレのことを構うまいと知らんふりするから、逆にオレがやりたいことをやりたい放題していることにイルカ先生は気づいていない。
それにこの気配。
オレのことは無視しようとするくせに、イルカ先生の俯いた首筋や丸めた背中からは『構ってくれ』と言わんばかりの気配が立ち上る。
さっきも膝を抱えて周りが見えない分、必死になってオレの動向を探ってくるから可笑しくてしかたがなかった。
「ねぇ、まだ怒ってる?もう外でコタツに入ったりしないから許して…?」
「違います、そんなこと言ってるんじゃなくて・・。一番最初だったから・・・」
「最初?」
「あ・・う・・なんでもないです、…もう怒ってませんから・・。外でもコタツに入ってください」
次第に赤味を増すイルカ先生の耳を不思議な面持ちで見ていた。
「どーして?耳、真っ赤…」
ポロリと口から零れた疑問にイルカ先生が身を捩って逃げようとする。
何をそんなに照れているのか、顔が真っ赤だった。
「う〜、うぅー・・っ」
「あー、ゴメン!もう聞かないから逃げないで」
こっちを向かせると両手で引き寄せ、暴れないようにイルカ先生の腕の上から拘束した。
足も絡めて背中を撫ぜると次第に動きが弱くなる。
参った。
こうなったイルカ先生の口を割るのは容易くない。
疑問は残ったが、オレに対して怒ってる事がないのを確認出来ただけでもよしとして話題を変えた。
知りたいことがある。
「今日の飲み会は楽しかった?」
「……はい」
頷いてくれたことに、ほっとするが、
「…カカシさん、何時からいたんですか?」
聞かれたくない事を聞かれて一瞬心臓が止まりかけたが、なんでもない振りで「割と早い時間に」とだけ答えた。
開店と同時に張っていたとはとても言えないし、知られたくもない。
「そうですか・・。俺全然気づかなくって・・」
言いながら眠くなってきたのか胸に顔をごしごし擦り付けてくる。
(まだ寝かせてあげられなーいよ)
背中を撫ぜる手を止めて、イルカ先生の弱いところ(すなわち耳)を撫ぜた。
ぴくっと肩が揺らいで、いやいやと頭を振る。
「オレは気づいてたよ。なんかすごい盛り上がってたでしょ?そのときに声が聞こえて・・」
髪を纏めている紐を解いて髪を撫ぜた。
「あ・・、うるさかったですか?ごめんなさ・・」
「ううん、違うの。何かな?って外見たらイルカ先生が楽しそうに飲んでたから。なにかいいことあったの?」
話が核心へと近づいて、知らず手に汗を掻いた。
(オレはどーしたいんだろーね。・・イルカ先生を誘導して。)
「はい、そうなんです。同僚が結婚するんです」
(かかった)
何も気づかず楽しげに肩を揺らすイルカ先生に後悔が湧き上がり、でも頭のどこかで冷静な自分が「答えを導け」と指図する。
知ってどうなるものでもないのに。
むしろ知らなければ今のままやっていけるのに。
だけど同僚に羨望の眼差しを向けたイルカ先生を見て、なんでもない振りは出来なかった。
話を続けるイルカ先生にうんうんと相槌を打ちながら、頃合をみて疑問を投げかけた。
「イルカ先生も結婚したいと思ってる?」