もしやり直せるなら、何度だって俺はこの日を選ぶ。

例えその先に辛い別れが待っていたとしても。





いつかあなたに 9





急いで家に帰り着くと、しんと静まり返った部屋の奥にそうっと炎が灯るように僅かなカカシさんの気配があった。
朝と変わらずベッドの中にいる。
カーテン越しの淡い光を浴びたカカシさんは産まれたての赤子のように穏やかな顔で眠っていた。
声を掛けるのが勿体無くて、跪くとその寝顔を覗きこんだ。
網膜に焼き付けるようにしっかりとその風景を見る。
額に掛かる銀色の髪を。
下瞼に影を落とす長い睫を。
色素の薄い唇を。
(あと何回カカシさんの寝顔を見ることが出来るだろう。)
油断すると、すぐそんな考えが浮かぶ。
そうして、どんなに嫌だと抗ってみても、カカシさんが消え行く現実を受け入れようと準備し始める自分に気付いた。
俺は馬鹿で残酷で身勝手だ。
どうしようもない。
分かっていても目の前にある幸福に縋りつくしか術を知らない。
カカシさんだけが俺のすべてだ。

「ん・・」
暫くするとカカシさんが目を開けた。
俺を見つけてにこーっと目を細める。
そんなことで馬鹿みたいに幸せになれた。
幸せすぎて涙が出そうになる。
「おかーえり。帰ってたの・・」
「・・はい、さっき」
それっきり言葉は無く、ぽふっとベッドに頭を乗せると布団の中からカカシさんの腕が出てきて頭を撫ぜた。
額宛を外して、纏めてあるにも拘らずくしゃくしゃと髪をかき回す。
その腕に浮かぶ白い傷跡。
俺を庇って出来た傷跡に、カカシさんの腕を取ると唇で触れた。
カカシさんは何も言わず、ただ俺のすることを見ている。
ひんやりした腕を撫ぜ、最後に指先に口吻けてから腕を放すとそのままカカシさんの指が唇を辿り頬を撫ぜた。
カカシさんの穏やかな眼差しに、なんでもない顔をしながらも胸の中で嵐が吹き荒れる。
(嫌だ、失いたくない。)
カカシさんが俺のそばから居なくなるなんて耐えられない。
「カカシさん・・、あの・・これ・・」
握っていた丸薬の袋と薬草を差し出した。
「これ飲んで、元気になってください」
持ち帰った薬草に、カカシさんはあまりいい顔をしなかった。
ベッドからだるそうに体を起こすと困った顔で俺を見る。
どこか迷惑そうだ。
だけどカカシ先生から貰った丸薬の袋を見ると一瞬固まって、それは大爆笑に変わった。
「イルカ先生、これどうしたの!?」
「えと、貰いました。本物のカカシ先生から・・」
「嘘デショ、任務中でもないのに・・。しかもオレの為って・・」
涙まで浮かべて笑うカカシさんをぽかんと見返す。
なにがそこまで可笑しかったのか。
だけど心底楽しげなカカシさんに、なにやら得意げな気持ちになってへへっと笑い返した。
「・・・すごい、時間って進んでるんだね」
「え?」
カカシさんが何を考えているのか分からない。
置いてけぼりにされて俯くと、
「・・イルカ」
初めての呼びかけに、その声が楔のように心臓に突き刺さった。
どくんと心臓が高鳴って顔を上げるとカカシさんがすぐ目の前に居る。
「ん!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
押されるまま床に倒れこんで、体の上にカカシさんが落っこちてきた。
ガツッと唇に硬いものが当たり、じんと熱を持つ。
ぬるりと口の中に滑り込んでくるものに、初めて。
カカシさんにキスされているのだと気付いた。
強い力が頭を固定し、口の中を貪られる。
激しく奪い取られるような口吻けに、ちゅ、と音を立ててカカシさんの唇が離れた時には酸欠状態になってはあはあ喘いだ。
「・・・これぐらい、いいよね・・」
鼻先がくっつきそうな距離でカカシさんが誰にとも無く言う。
「あ、血が出てる」
ぺろっと舌を出して唇や歯を舐めるのに、ようやく自失していた意識が戻ってきた。
(俺・・、カカシさんとキスした。)
それも、とびきり激しいのを。
カカシさんから。
唇の上を這うカカシさんの舌と覆いかぶさる体の重さにかあっと全身が熱くなる。
「このキズ、残るかな・・」
唇を離して指先で傷に触れるのに、残ればいいと聞こえた気がして、
「・・・・付けてください」
「え?」
「・・・傷」
こんなんじゃなくて、もっと大きな傷を。
消えない傷を残して欲しい。
そう言うと、カカシさんがなんともいえない顔をして俺の首筋に顔をうずめた。
「アナタって人は・・」
掠れた声が聞こえる。
腹の上にはカカシさんの昂ぶりを感じてドキドキした。
それはカカシさんだけじゃなく、俺も同じように昂ぶっている。
「・・カカシさん」
「しぃー、黙って・・」
大人しく口を噤むと首筋に柔らかく啄ばみ、カカシさんが体を起こした。
「それはまた今度ね」
今度なんてあるんだろうか?
そう思いながらも、宥めるように頭を撫ぜられると頷くしかない。
ご飯にしよっかと明るく言われて、手を引かれるまま体を起こした。


それから二人でご飯を作った。
丸薬は一粒だけ口にして俺を安心させた。
キスしたからなのか、カカシさんがすごく優しくなった。
ずっと俺のどこかにくっ付いてぴたりと寄り添ってくれた。
カカシさんから流れて来る空気が甘い。
その甘い空気に包まれて、ふわふわ夢見心地でご飯を食べた。



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