いつかあなたに 10
交互にお風呂に入り、先に風呂から上がった俺は髪を乾かしながらテレビを見ていた。
お風呂からはカカシさんの使う水音が聞こえてくる。
その音が俺を幸せにした。
ふんふん鼻歌を歌いながらチャンネルを変えて、ほんの少し、カカシさんが『また今度』と言ったことを期待した。
抱いて、くれるだろうか・・?
想像するとかぁっと体が火照る。
じわりと汗ばんだ手にリモコンを放すとごしごしタオルで拭った。
そわそわと落ち着きをなくし始めた体に、はー、ふーと深呼吸すると気を紛らわせるためにテレビに集中した。
たまたまリモコンを止めたところでやっていたのは夜のニュースで、火の国で起こった出来事をキャスターが読み上げていた。
事故のことや不正取引、若い女の子の監禁事件。
最近多いなぁと眉を顰めかけて、はたと考えた。
(・・俺が今やってることと何が違うんだろう?)
急に冷水を浴びせられたように甘やかな気持ちが霧散する。
影とはいえカカシさんを家の中に閉じ込めて、外にも出さず誰にも会わせないで。
冷えた頭を犯人の動機がさらに追い討ちをかけた。
――相手のことが好きだったから。
かたかたと指先が震え始める。
好きという理由で何をしても許される訳ないのに・・。
俺のやっていることはまともな人間のすることじゃない。
カカシ先生にバレたらどれほど軽蔑されるだろう。
だけどそれも今更で、もう取り返しがつかない。
「うぅ・・・っ」
「バカだなぁ・・、こんなの見なければいいのに」
いつの間に風呂から上がったのか、突然カカシさんに目隠しされて飛び上がりそうになった。
ぷつんとテレビの消える音がして、辺りが静寂に包まれた。
静かな部屋に俺の嗚咽する声だけが響く。
「イルカ先生ってホント、バカ。良識人のくせににこんな大それたことするから苦しくなるんですよ」
バカバカと繰り返す割りにカカシさんの声は優しく、背中から俺の体を温かく包む。
「だからね、もう終わりにしましょう」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
心臓が鼓動するのを止めて、次に激しく流れて耳鳴りがする。
「あーぁ、不安だなー。このまま置いていって大丈夫かな・・」
(カカシさんは、何を言っているのだろう・・?)
「・・カカシさん・・・?」
とぼけようとしても誤魔化せなかった。
ばたばたと両目から涙が零れ落ちる。
「いやだ・・、嫌です、カカシさん・・嫌だ、嫌だ、嫌だ!!」
ついに来た。
恐れていた日が。
目を塞いでいた手を外して振り返ろうとすると、強い力で抱きしめられた。
その力に聞き分けのない子供のように抗う。
ちゃんと捕まえないと。
俺がちゃんと捕まえていないとカカシさんがどこかへ行ってしまう。
そんな思いに駆られてカカシさんの腕の中でじたばたもがくが一向にその腕は外れなかった。
「ネ、イルカ先生、約束して。本物のオレにもちゃんと告白するって。いつも言ってくれたみたいに、本物のオレにも言って?」
「出来ないっ!そんなこと、出来るわけないじゃないですか!!」
なに言ってんだよと怒りが込み上げる。
そんなことが出来るなら、今こんなことになっていない。
それにこんな犯罪者みたいな真似までしたというのに、どんな顔してカカシさんに告白しろと言うのだ。
それよりももっと、どうすればカカシさんが消えなくて済むのか考えた方がよっぽど前向きだ。
それに。
「う、嘘つき!まだ一週間経ってないっ、傍に居てくれるって言った!一週間傍に居てくれるって――」
「言ってなーいよ?オレが言ったのはチャクラが尽きるまで、ってことだけ。一週間はチャクラが持ちそうな期間。・・・そして、今日がオレの限界」
「そんな・・」
丸薬は役に立たなかったのだろうか?
「聞き分けてね」とカカシさんが俺の背中を撫ぜるが、突然の別れを心も頭の受け入れられないでいた。
「イルカ先生、オレは約束を守ったよ?だから今度はイルカ先生の番。約束して?」
ね?と促すのに、力なく頭を横に振った。
「・・出来ません・・っ」
「どうして?」
「そんなことして・・何の意味があるんですか・・?言わなくてもカカシ先生の答えは分かってます。カカシ先生は俺のことなんとも思って無いんですから・・。それよりもカカシさん、お願いだから傍に居てください。カカシさんが傍にいてくれたら、それだけで俺は幸せなんです・・」
きゅっとカカシさんの腕が締まって、肩に顎を乗せた。
横を向くと嬉しそうに目を細めたカカシさんがいる。
だけどその唇が紡ぐ言葉は冷たくて、俺の目の前は涙で見えなくなった。
「ウソツキだなぁ、イルカ先生は。オレといたって、ココが苦しいばかりでぜんぜん楽しくなかったデショ?」
ココと心臓を胸の上から押さえてとんとんと叩いた。
「それが何故だか分かる?」
「分からない!苦しくなんてなかった!」
「ウソ。本当はオレじゃあぜーんぜん満足してないくせに」
「違う・・!そんなことない・・」
どうしてこんなひどいことばかり言うのだろう。
泣きすぎてぜいぜい喉を喘がせながらカカシさんを振り返った。
今度はするりとカカシさんの腕は解けて俺を解放する。
腕を伸ばしてカカシさんに抱きつこうとすると、言ってることとからは思いもよらぬような優しい笑顔に迎えられた。
背中にしっかり腕を回してカカシさんを捕まえる。
「カカシさんが好きです。すごく、すごく、好きです・・」
嗚咽交じりに言うと、「うん」とカカシさんが小さく頷いた。
「ありがとう、イルカ先生」
ちがう、そうじゃない。
俺が欲しいのは感謝の気持ちなんかじゃない。
カカシさんにはぜんぜん俺の気持ちが伝わっていない。
そんな気がしてぎゅうぎゅうカカシさんに抱きつくと、それよりも強い力でカカシさんが抱きしめてくれた。
「カカシ、さん・・っ」
「イルカ先生――」
――大好きだよ。
耳の中に吹き込まれた言葉に、え?と思った瞬間、ぼふんと煙が上がった。
体を包んでいたすべての力が消え去って、前につんのめる。
「カカシさん・・?」
ついさっきまでそこにあった気配がまったくしない。
がたがたと体の底から震えが来た。
うそだ、そんなの信じない。
煙が晴れてもその姿はどこにもなくて、よろりと立ち上がって部屋の中を見渡した。
「・・カカシさん・・どこ・・?カカシさん・・?」
寝室も居間も台所も。
「どこですか・・?どこ・・」
押入れも、トイレも風呂の中もいちいち開けて見て回る。
「カカシさん!カカシさん!!」
だけどその姿は無く、気配もまったくなくて半狂乱で外に飛び出そうとして、玄関にしゃがみ込んだ。
カカシさんはこの先から出たことがない。
(終わったんだ・・)
ようやくそれだけ理解して、玄関で泣き崩れた。