包帯の上からくるくるビニールを巻いて濡れないように施した。
その下の傷を思って、残ればいいと願う。
カカシさんの腕にも。
俺の心にも。







いつかあなたに 4





朝から米を炊いて魚を焼き、味噌汁を作って卵も焼いて浅漬けまで作った。
が、普段からひとりを理由に大したものを作ってこなかった俺が出来たのはぐらいで、卓袱台に並んだ貧相な料理に愕然といると、ふわりと石鹸の香りが届いた。
お風呂から上がったカカシさんの気配が近づいてくる。
今すぐ卓袱台の上の料理を片付けてしまいたい衝動に駆られ、かと言って今から作り直す時間もなくておたおたしてる内にカカシさんが来てしまった。
「わー、おいしそーだね」
「そ、それが卵焼きが焦げて、形も崩れて・・」
「いーじゃない、形なんて」
「でも・・・」
振り向いた瞬間心臓が止まりかけた。
頭からタオルを被って髪を拭きながらやってきたカカシさんは上半身裸で拭ききれてない水滴が体の表面を流れている。
無駄な肉の無い締まった体に白い肌。
髪を拭くたびにしなやかな腕が動いて目が離せなくなった。
じっと見ているとタオルと前髪の間から伏せていたカカシさんの視線が持ち上がり、心臓を射抜いた。
「見蕩れてるの?」
「ち、ちが・・っ」
「ふぅーん、別にいいのに」
慌てて視線を反らすとカカシさんは気にした風でもなく言って、タオルを肩にかけると座布団の上に胡坐を掻いた。
「食べよ?」
「はい・・」
カカシさんのこういう言葉にいちいち俺は傷ついた。
「楽しんだらいい」と言った昨日の言葉も、今の見られたってなんとも無いといった態度も、まるで相手にされて無いみたいで哀しくなる。
いや、みたいじゃない。
まるで相手にされて無いのだ。
カカシさんは俺のことなんてなんとも思ってない。
それはこの三年間で思い知ったはずなのに、思わぬ形で傍に寄ったことで心が贅沢になってしまったのかそれを恨めしく思ってしまう。
(少しぐらい優しくしてくれたっていいのに・・)
それとも本来のカカシさんがこういう人なのか。
それでもカカシさんが好きだという気持ちは少しも衰えない。
それどころか新たな一面を知ると、気持ちは膨れ上がるばかりで今まで無かった独占欲まで沸いてくる。
そんな気持ちは手に余るというのに・・。
「食べなーいの?せっかくおいしく出来てるのに冷めちゃうよ?」
物思いにふけって突っ立ったままでいると下からくいっと腕を引かれた。
「え!?おいしいですか?」
「うん、玉子焼きも美味しく出来てるよ」
「良かった・・、あっ」
ほっとして下を向くと、手首を掴んだ腕に包帯が無かった。
「カカシさん!包帯が取れてます!」
「あー・・、うん。痒かったから取っちゃった」
「ダメじゃないですか、バイキンが入ったら・・」
「だいじょーぶだよ。ホラ、もうくっ付いてる」
ホラ、と向けられた傷口に顔を寄せると、確かに傷口はきっちり塞がって、傷を合わせた黒い糸が皮膚を引き攣らせているだけになっていた。
「夜になったら抜糸できるよ。オレ、怪我しても治るの早いんです」
「そうですか。良かった」
心底ほっとして息を吐くと、いつの間にか掴んでしまっていた腕の向こうから、じっとこっちを見るカカシさんと目があった。
「あ、すいません」
厚かましく握った腕を不快に思っただろうかと手を放すと、逆にカカシさんの手が伸びて頬に触れた。
触れられた頬がカッと熱を持ったが、カカシさんの手を振り払うことなんて出来なかった。
「イルカ先生って笑ってる人ってイメージだったのに、実際はそうでも無いんだね」
「そうですか・・?」
「うん、泣いてばーっかり」
「そ、それは・・!」
「オレのせい?」
ぐっと飲み込んだ言葉をカカシさんに継がれて何も言えないでいると、「ゴメンネ」と、カカシさんが首を傾げた。
「オレ、ぜんぜん優しくないデショ?昔っからね、そう言われるんです・・」
その言葉だけで、絡まりかけていた心はするする解けて思いっきり首を横に振った。
「そんなことない、・・そんなことないです!」
カカシさんが本当に冷たい人ならば、俺のことを庇って怪我なんてしなかっただろう。
今、ここにこうしてはいないだろう。
こんな我侭に付き合ってくれる人が優しい人で無い訳が無い。
カカシさんは優しい人だ。
そう切々と訴えると面映そうにカカシさんが笑った。
その笑顔に心が震える。
「カカシさんが好きです・・、好き・・」
「うん、ありがとね・・」
そうっと引き寄せられてカカシさんの肩に顔をうずめれば、よしよしと背中を撫ぜてくれた。
「イルカセンセイはホント泣き虫さんですねー」
「だって、カカシさんが・・」
「ふふっ、オレのせいでいーよ」
楽しげに揺れるカカシさんの肩から石鹸の香りがした。
それはいつも使ってる石鹸の筈なのにもっといい香りがして、花に囚われた虫のようにいつまでもカカシさんから離れられないでいた。








卓袱台を挟んで向かい合って食べた楽しかった朝食の時間は瞬く間に過ぎて、気付けば家を出ないといけない時間が差し迫っていた。
「イルカセンセ、さっきからなにしてるの?」
「は、ハンカチ、・・ハンカチが見つからないんです」
「そんなのどーだっていいじゃない。早く家でないと遅刻するよ」
「どうでもよくありません。教師だから身だしなみに気をつけないといけないんです・・!」
はぁ・・と吐かれた溜息に耳を塞いだ。
なんだってこの人はこんなに意地悪なんだ。
さっきまで優しいと訴えたことなんて遠い彼方に押し遣て知らん振りする。
唇を噛み締めると目がじわりと潤んだ。
行きたくない。
少しでも長く一緒に居たいのに、どうしてそれをわかってくれない。
いじけて俯くと回れ右させられて背中をぐいぐい押される。
向かう先は玄関で、つま先に力を入れて踏ん張ると体ごと運ばれてしまった。
「やっぱり今日は休みま・・」
「ダーメ!教師がズル休みなんてそれこそ示しがつかないデショ」
「でも・・っ」
「ちゃんと行っておいで」

なんでこんなに真面目なんだ。
知ってるんだぞ。遅刻魔だって。
それなのになんだよ、俺ばっかり・・っ。

「ね!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

不満はいっぱいあったが、カカシさんの言葉に逆らえなくてサンダルを履くと俯いたまま後ろを振り返った。
顔を上げたら涙が零れ落ちそうだ。
「絶対の、絶対にいなくならないでくださいよ」
結界を張ってしまおうかと本気で考える。
だけどそんなことをしたら俺もカカシさんの人で無くなる。
それに分身と言えど、俺の術がカカシさんに敵うとは思えない。
「だいじょーぶだって。どうしてそんな今生の別れみたいな顔するの」
「だって・・っ」
「はいはい、急いで」
俺の言うことに耳を貸さずにカカシさんが玄関を開けた。
眩しさに目を細めた瞬間、ぽんと外に出されて扉が閉まる。
瞬く間にカカシさんの居た空間から遮断されて、不安が大きく膨らんだ。

もし、今玄関を開けていなくなってたらどうしよう。
俺のいない間にどっかいったらどうしよう。
帰ってもいなかったらどうしよう。

ひー・・と喉からひしゃげた声が漏れた。目の前が滲んで上手く歩けない。
とぼとぼと歩いていたら、
「さっさと行く!!」
後ろから大きな声で怒鳴られて飛び上がった。
「は、はい!!」
濡れた顔を袖で拭いて慌てて走る。
アパートの階段を駆け下りて曲がったところで、「イルカ先生」と呼ばれた。
見上げると窓辺に座ったカカシさんがひらひらと手を振っている。今にも吹き出しそうな、笑いを堪える顔で。
「晩御飯はサンマにしてください」
「・・っ、はい!」
約束を貰って少し元気になった。
小さく笑うとカカシさんが目を細めた。
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
カカシさんの笑顔に背中を押されて、ぶんぶん手を振り返してアカデミーへと駆けた。



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