いつかあなたに 12
自分の身に起こっていることが信じられない。
俺のことを抱きしめるこの人は一体誰なんだろう?
「カカシ先生・・?」
「なんですか」
「・・・・・・・・・・・カカシさん?」
「どっちでもいいデショ」
ばっさり切り捨てられて俺は首を横に振った。
「ちが・・っ、カカシさんは・・っ?カカシさ・・」
「ウルサイ」
べちっと額を叩かれて口を噤んだ。
「アンタ、オレがとれだけ吃驚したと思ってるんですか。いきなり分身が現れて、元に戻せと言い寄られて」
消えたカカシさんのその後を知ることが出来て涙が溢れた。
居なくなったわけじゃなかったんだ。
移動しただけなんだ。
もしかしたら今もまだどこかに居るんじゃないかと、僅かな希望を見出してカカシ先生が話し出すのを待った。
「何かの罠かと思えば確かにオレだし、やたら気の抜けた顔で笑うかと思えばアンタにやったはずの薬袋持ってるし」
あんな気持ち悪い顔で笑う自分を見たことないですよとカカシ先生が悪態づいた。
「なにがなにやらで、面倒だから消してやろうと――」
「やっ!」
悲鳴を上げて新たな涙を盛り上がらせるとカカシさんが眉尻を下げた。
手甲を嵌めた手が頬に触れ、零れ落ちようとしていた涙を掬う。
「――消してやろうとしたら、『後悔するよ』って脅してくるし。『大事なもの見つけた』って、また気持ち悪い顔で笑うし、『もう一度会いたい』って泣くから・・」
コツンと額が合わさった。
目の前に居る人の右目から涙が一筋零れ落ちる。
「・・カカシさん・・・?」
問いかけるとその人はこくんと頷いた。
「・・仕方ないから戻してやりました」
「あ・・あ・・」
本当に?もしかして・・消えてない?
確かめたいのに言葉にならない。
カカシさんがそんなことするなんて思いも寄らなかった。
「『感情』を持ち帰ったヤツなんて初めてですよ。しかもチャクラ切れ寸前で返ってくるし!おかげでこっちはぶっ倒れて半日寝込んじゃいましたよ」
口調は荒っぽいのに嬉しげに目を細める。
手を伸ばして額宛に触れると、口布と額宛を外してその顔を見せてくれた。
よく見知ったその顔に手を伸ばす。
「ほ・・とに・・カカシさ・・・?」
信じたいのに信じられなくて、その瞳の中を覗き込む。
「信じられない?」
ゆるりと撓んだ瞳が悪戯っぽく笑い、目の前に腕を差し出した。
すっと捲くった袖の下から現れたのは白く浮き上がった線。
カカシさんの腕に消えることなく残ったあの傷跡だった。
「あ・・っ」
何度もカカシさんの顔と傷を比べ見る。
だけどそれもすぐに見えなくなって、恐る恐る腕を伸ばすとカカシさんに抱きついた。
ぎゅうぎゅうカカシさんに抱きつくと、それよりも強い力でカカシさんが抱きしめてくれる。
「カカシ、さん・・っ」
懐かしくさえ思える抱擁にわんわん泣くと、「また会えた」とカカシさんが囁いた。
「目が覚めたら世界が違って見えたよ。初めてこの世に生まれて来たみたいにキラキラして見えた。体の中にはチャクラが溢れて、もう消えることを考えなくて良くなったんです。誰にも気兼ねしないでアナタに触れれる」
溢れ出る涙をカカシさんの手が何度も拭う。
目の前には喜びが零れるようなカカシさんの笑顔があって真っ直ぐに俺を見た。
「だから、言って?約束したことを。オレに――、オレにも・・」
切なく見つめられて、頑なだった心が解けた。
出会ってからの三年間と掻っ攫ってきてからの四日間が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
どうしても言えないと思っていたことが、やっと伝えられる。
いつかと思ってもそんな日は来ないと諦めていたことを、本当のカカシさんに。
「あ・・ぅ・・」
泣いて、上手く回らない舌をカカシさんが笑った。
「イルカセンセ、もう泣きやんでよ」
困ったようなカカシさんの顔を前に、ぎゅっと目を閉じて、ずずーっと鼻を啜ると大きく深呼吸を繰り返した。
それでもしゃくり上げようとする喉は勝手に引き連れて簡単には収まってくれない。
カカシさんの手が宥めるように背中を撫ぜながら顔を覗きこむ。
その目に「さあ、言って」と促された気がして口を開いた。
「カカ・・さん・・っ、カカシ、さぁんがっ」
「うん。オレが、なに?」
「しゅ、・・好き・・!ずっと、カカシさぁんが、好きぃ・・っ!」
「オレもだよ。イルカ先生が好きです」
さらりと返された言葉に息を詰めた。
(なんて言った?カカシさんは、なんて・・?)
信じられないと呆ける唇をカカシさんがちゅっと啄ばんだ。
「好きだよ、イルカ先生」
「うしょ・・」
「ウソじゃなーいよ。イルカ先生が好き」
「ふ、ふぇっ・・」
今度は喜びの涙が溢れ出す。
泣きそうに歪んだ唇にカカシさんが口吻けた。
深く、深く口吻けて、これが夢じゃないんだと教えてくれた。
「カカシさん、好き・・っ」
「うん、オレも・・。あー、やっと言える。本体より先に言うのはマズイかと思って我慢してたんです。キスだって、しちゃったけど、影の時にしたら本体に戻った時後悔するんじゃないかって・・。あー、やっぱり来た。くそっ、オレより先に手ぇ出して!悔しい・・。っていってもあれもオレだけど・・!」
喜びも束の間、がーっと一人で悶絶し始めたカカシさんに呆気にとられる。
(なんだよ、それ。)
おかげでどれだけ俺が悩んだと思ってるんだ。
影のカカシさんにまで好かれないのかと流した俺の涙を返せ!
「い、いつから俺のこと、好きだったんですか?」
どうにも気になって聞くとカカシさんは首を傾げた。
「えーっといつだろ。オレは・・、影の方は早かったよ。イルカ先生が朝ぐずってるの見たら可愛くって。オレの面倒はてきぱき見てくれるくせに自分のことにはぐずぐずで。そのギャップが可愛かったっていうか、知ってるイルカ先生のイメージと違ったし、それが新鮮で。本体の方はこの前受付で会った時かな・・。すっごい嬉しそうににこって笑いかけてくれたデショ?それにドキッてなったのに次の瞬間、『間違えた』みたいな顔して。ムカついてそっけなくしたら・・、あんなに泣くとは思わなくて・・、その・・、ゴメンね?」
謝りながらもカカシさんはどこか嬉しそうに見えた。
ぶんぶん首を横に振りながら、それでもどちらのカカシさんの俺を好きになったのは最近なんだなと項垂れると、慌ててカカシさんが言った。
「それはしょーがないんだよ?だってイルカ先生、オレのこと避けるんだもん」
「え!避けてなんかないです!」
「避けてたよ。声掛けてもいっつも足早に過ぎてくし」
「ちがう・・、違います・・」
「うん、今なら分かるよ。緊張してたんだね・・」
そんな風に取られてたのかとがっかりすると、慰めるようにカカシさんが頭を撫ぜた。
「もっと早くにイルカ先生のことを知れたら、きっともっと早くにイルカ先生のこと好きになってたよ。でも今からでも遅くないデショ?これからはずっと傍に居るよ?それこそアナタがもういいって言うぐらい・・」
「言いません!もういいなんて、そんなこと」
放さないつもりでカカシさんの背中に手を回すとくすくす耳元で笑い声が弾けた。
「これからもずっとよろしくね」
耳の中に吹き込まれた声に何度も頷いた。