世界は二人の為に 2





 朝、ぐりぐりと頬を捏ねられて目が醒めた。瞼を開けば、カカシさんが太陽より眩しい笑顔で頬擦りしていた。
「イルカ先生おはよー。お誕生日おめでと〜」
 俺としては昨夜のもやもやを引き摺っていたが、カカシさんの笑顔を前におくびにも出さなかった。
 カカシさんが俺の誕生日を祝ってくれる気持ちが賑やかに伝わって来るし、「おめでとう」と言って貰えるのは嬉しい。
「ありがとうございます」
 照れながらお礼を言うと、ちゅっちゅとキスが降って来た。手が体をまさぐるが、これはクセみたいなもんだ。一頻り素肌を撫でて手が離れた。
「今日はオレが朝御飯作るネ」
 カカシさんが甘い笑顔を残してベッドを抜け出した。俺も体を起こし、もさもさになった頭を掻きながら洗面台に向かった。
(なんだかなぁ…)
 カカシさんの触れた感触がやけに肌に残った。うにゅりと歯磨き粉を搾って歯を磨く。
「イルカ先生ー、卵は目玉焼きと玉子焼き、どっちがいーい?」
「はまごはき!」
 バシャバシャと顔を洗い気にしないことにした。朝っぱらからこんな事を考えるなんて不健全すぎる。
 せっかくの誕生日だ。楽しく過ごしたい。夜にはカカシさんがご馳走してくれるんだし、いつまでも昨日のことを引き摺るのは悪い気がした。
 着替えて居間に行くと朝食の用意が出来ていた。玉子焼きには刻んだ葱が入っていて美味しそうだった。
「いただきます!」
「どうぞ〜、召し上がれ」
 卵は俺の好きな味でほんのり甘くしてあった。味噌汁には厚揚げとわかめが入っていた。鮭は脂が乗って塩加減も丁度良く、こんがり焼けた皮まで旨かった。
「美味し?」
「はい、とっても」
「そう。良かった」
 食が進んでご飯をおかわりした。
「イルカ先生、今日は残業ない?」
「はい。アカデミーの後で受付に入りますが、残業は出来ないと伝えてあります」
「そう。じゃあいつもの所で待ってるね」
「はい」
 どんな料理が食べられるのか聞こうとして我慢した。夜の楽しみに取っておく。その料亭はカカシさんの馴染みの店で、とても旨い料理を食べさせてくれる。想像するとワクワクした。


 連れだって出勤して、アカデミーの前で別れた。その頃になるとモヤモヤしていたのをすっかり忘れて、夜が楽しみで堪らなくなっていた。一緒に暮らしていると傍にいるのが当たり前になってしまうが、外で食事をするのはデートみたいだ。
 俄然やる気が出て張り切って過ごした。
 あっと言う間に昼になり、誘われて食堂に行こうとしたら職員室のドアが開いた。岡持ちを持った割烹着姿の女性が入ってくる。アヤメさんだった。
(わあ、いいなぁ。一楽の出前頼んだ人がいるんだ)
 俺もラーメンが食べたくなってくる。せめて食堂ではラーメンを食べようと考えてくると、アヤメさんの視線が俺に留まった。顔なじみのせいかと会釈をするが、満面の笑みを向けられた。そのままこっちへやって来る。
「イルカ先生、お待たせしました!」
「えっ!?俺、頼んでな…」
「カカシ先生からです」
 嵌め込み式の蓋が開いてラップのかかったラーメン丼が机に置かれた。
「カカシさんから…!」
 じわじわと喜びが湧き上がり、腹の虫がぐぅと鳴いた。ラップを取ると、辺りに良い匂いが漂う。
「うおぉぉぉすげぇぇぇぇ」
「一楽特製、スペシャル叉焼麺です。普段のメニューにはないんですけど、カカシ先生の依頼で特別に作ったんですよ」
 思わず感嘆の声を上げると、アヤメさんが言った。まさにスペシャルだった。麺がすっかり隠れるほど叉焼が引き詰められている。こんなにたくさん叉焼が乗ったラーメンを食べたことがなかった。黄身の蕩けそうな煮卵も旨そうだ。
 真ん中の載せられた海苔に『イルカ先生、お誕生日おめでとう』と書いてあった。
(カカシさん…)
 胸がじーんとなった。すごく、すごく嬉しい。
「あれ、今日誕生日なんだ?」
 食堂に誘ってくれた同僚が海苔を見て言った。
「あ、うん」
「へ〜、おめでとう」
「ありがとう」
 職員室に残っていた先生から次々声が掛かって照れ臭くなる。
 食堂に向かう同僚に手を振って、割り箸を割った。叉焼を掻き分けてスープを啜れば俺の好きな味噌味だった。
(うんめぇ!)
 もりもり叉焼を食べた。給料日でもこんなにたくさんの叉焼を食べたことがない。誕生日に一楽を食べられるなんて幸せなんだろう。
 早くカカシさんに会ってお礼を言いたくなり、ますます夜が楽しみになった。


 アカデミーが終わって受付所に向かった。ポケットから懐中時計を出して時間を確認する。約束の五時まであと三時間。イスに座っていてもソワソワした。受付所の壁に掛けてある時計の秒針を追った。だがそれをすると時間が長くなる。無理矢理仕事に集中した。
 ようやく時間が来て、秒針が定時を過ぎた瞬間さっと立ち上がった。間、残業を求められたが拒否した。珍しいなと言われたが、俺にだって何を置いてもカカシさんに会いたい日がある。それが今日だ。荷物を纏めて受付所を出た。
 きっともう待ち合わせの場所にいるだろうから校庭を突っ走った。アカデミーの門の向こうに人影が見える。
「カカシさん!」
 声を掛けると、本を読んでいたカカシさんが顔を上げた。
「イルカ先生、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
 ここが外でなければ胸に飛び込みたかった。
「カカシさん!お昼にラーメンをありがとうございます!」
「美味しかった?」
「はい!」
 料亭に向かいながら、スペシャル叉焼麺がどれほど凄かったかをカカシさんに語った。カカシさんは俺の話を笑って聞いている。
「イルカ先生は本当にラーメンがスキだーね」
「はい」
 でもちょっと違う気がした。ラーメンは好きだけど、カカシさんからじゃないとここまで美味しく感じなかったかもしれない。幸せな気持ちにだってならない。
 料亭に着くまでの道のりの間、人気が無くなったのを見計らってカカシさんの手を握った。
 突然の行動にカカシさんは驚いた様でビクッとなって俺を見たけど、へへっと笑って誤魔化した。握った手をそっと握り返され、ますます幸せになる。誕生日ってなんて良い日なんだろう。
 料亭では離れに通された。静かな和室から見える庭にホッと息を吐いたが、衣擦れの音が聞こえるほど静かな部屋に緊張が芽生えた。
「芍薬の花が咲いてるネ」
 背後に立ったカカシ先生にドキッとした。カカシさんの視線の先を追えば、大輪の白い花が夕闇に染まっていた。
 懐かしい光景が蘇る。
「カカシさん、覚えてますか?この店って、初めてデーとした時に連れてきてくれたんですよ」
 あの時も同じ場所で芍薬の花が咲いていた。
 カカシさんの腕がするりと腰に回った。ぎゅっと強く抱き締められて、カカシさんに凭れ掛かった。
「覚えてーるよ。とっても緊張したもん」
「緊張してたんですか!?」
 そんな風には見えなかった。あの時のカカシさんは飄々として余裕たっぷりで、色恋に慣れているのだと思った。
「するよ。絶対に失敗は出来ないし。これで嫌われたらどうしようって、そんな事ばかり考えてた。…イルカ先生はリラックスしてたよね。美味しそうに料理を食べて」
「お、俺だって最初は緊張してたんですよ!」
 カカシさんの言いようじゃ、まるで俺の食い意地が張ってるみたいじゃないか。
「でもあんまり美味しかったから…、いつの間にか緊張してたの忘れただけです」
「だったらこの店に連れて来たのは正解だったネ」
  クスクス笑われたが、一緒に笑ってしまった。それは間違い無かった。部屋もお店の人も雰囲気が良いし、カカシさんがお店の人と打ち解けているのをみて、テリトリーに入れて貰えたような気がして嬉しかった。
 頬がくっついてキスかなぁと振り返るが、カカシさんはすっと口布を上げた。廊下を見ると料理が運ばれて来るところだった。
 ちょっと残念な気がしたが、促されて席に着いた。部屋の障子が開いてテーブルに料理が並べられる。向かいに座ったカカシさんはやっぱり飄々として余裕があった。
 料理は一度に全部運ばれて来た。でないとカカシさんが落ち着いて食べられない。
 店の人が外に出てからカカシさんと向き合った。カカシさんが口布を下ろしてニコッと笑った。
「イルカ先生、改めてお誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
「これ、誕生日プレゼント」
 そう言って机の下から取り出したのは白い徳利だった。表面に名前が書いてあるが、達筆すぎて読めない。
「ありがとうございます!…なんて書いてあるんですか?」
「酒井源十郎」
「…人の名前?旨いんですか?」
「まあ飲んでみて」
 とく、とくと澄んだ音を立てて盃に酒が注がれる。透明な液体はふわりと花の香りがした。
「良い匂い。あれ…?お酒ですよね?」
 カカシさんは笑みを浮かべただけで答えず、「乾杯」と言って盃を合わせた。まあ飲んでみろと言うことなのだろう。俺が盃を口許に持って行くのをじっと見ていた。
 唇に付けた盃を傾ける。すーっと舌の上を酒が滑り、口の中に花の芳香が広がった。
「うわぁ、美味しい!」
 舌に乗った瞬間は甘さを感じたが、喉を滑り落ちる頃にはすっきりした辛口に変わった。めちゃくちゃ旨い酒だった。
 俺の反応を見てからカカシさんも盃を傾けた。
「ウン、おいし」
「これって米から作ったお酒ですよね?どうして花の香りがするんですか?」
「ふふっ、実は製法は秘密で教えて貰えなかったの。任務先で見つけて、美味しかったからイルカ先生スキかなぁと思って」
 そう言って、干した盃に酒を注いでくれた。またふわりと花の香りが広がる。
「今まで飲んだ酒の中で一番旨いです」
「そう。良かった」
 カカシさんはどうしてこんなにも俺の事が分かるのか不思議になった。カカシさんほど俺を掴んでいる人はいない。その上大事にされて、俺は世界一の果報者だった。
「さ、冷めないうちに食べよ」
「はい」
 料理はどれも美味かった。
「あ、これ!前に食べて美味かったやつだ」
 思わずカカシさんを見ると微笑んでいた。もしかして、俺がそう言ったのを覚えていて頼んでくれたのだろうか?
(カカシさん…!)
 ぶわっとカカシさんを好きな気持ちが膨らんだ。ここが家なら抱き付きたいぐらいに。(早く家に帰りたいな)
 唐突に思った。家でカカシさんと抱き合いたい。
 不埒な想像にかあっと頬が火照る。
「イルカ先生、酔っちゃった?」
「少し…」
 カカシさんは今日、抱いてくれるだろうか?
 昨日がああだったんだし、きっと今日もするだろう。
(してくれなきゃ困る!)
 昨日のモヤモヤに上乗せして、強烈な欲求を感じた。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
 頷いて立ち上がる。本当に酔っていた様で足下がふらついたが、自分で歩けない程ではなかった。
 店を出るとき小さな箱を渡された。中はケーキが入っていた。カカシさんがケーキは家で食べようと言っていたのを思い出す。ケーキはカカシさんが持ってくれた。
 お酒も残っていたから持って帰った。ちゃぷちゃぷと酒が揺れる音を聞きながら夜道を歩いた。
「カカシさん、今日はありがとうございました」
「お礼を言うのはまだ早ーいよ。日付が変わるまでにまだ時間があるデショ」
 日付が変わるまでが誕生日だと笑う。まだ何かあるのかと期待するが、その『何か』は想像して頬が火照った。


←1 3→
text top
top