いまさら(W.D編) 4
「イルカ先生、ごめん。オレなんか気に障ることした?」
――ちがうんです。カカシ先生は悪くないんです。
戸惑うような声にちゃんと答えなくてはと思いながらも言葉が出ない。目を固く瞑っても息を止めても涙が止まらなくて、せめて声を上げないようにするので精一杯だった。
「イルカセンセ、そんな風に泣かないで」
すぐ耳の横でカカシ先生の困ったような声がする。
――ちがう。全部俺が悪い。俺が不甲斐ないばかりに・・・。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。)
頭の中で繰り返し、ただ息を殺した。
どれくらいそうしていたのか。
吐き出すように溢れ出た涙がなくなった。
顔を押し付けていた膝はぐっしょり濡れ、瞼やこめかみがじんじん痺れた。頭の中は濃い霧がかかったようにぼんやりする。呼吸し辛い鼻は啜ろうにも詰まり過ぎて啜れない。
俯き、口で息をしながら、はっと我に返って――――、耳が燃えるように熱くなった。
(ど、ど、ど、どうしようっ・・・)
何時の間に体勢を変えられたのか。
膝の下にカカシ先生の足がある。救い上げられるようにつま先が浮いて、それでも転げないのはカカシ先生に横向きに抱き抱えられてるからだ。そのカカシ先生が緩やかに体を揺らす。まるで子供をあやすように。
(恥ずっ!)
顔から火を噴いた。体温が上がって体中からどっと汗が吹き出る。
大人になってこんなに恥ずかしい思いをしたことはない。
頭を抱えてわーっと喚きたいのを耐えた。こんな状況でどんな顔してカカシ先生と顔を合わせればいいのか。
(どうしよう。どうしよう・・・)
ゆらゆらと揺れながらこの先の展開に頭を悩ませた。
ゆらり、ゆらり。
どうすることも出来ないまま時間だけが過ぎていく。
相変わらずカカシ先生は揺れ続ける。時折背中を、とん、とんと叩いたりしながら。
(疲れないんだろうか。)
こんなデカイ男に凭れられて、けっして楽じゃないだろうに。
ゆらり、ゆらり。
(迷惑をかけてる。)
分かってるのに、体を離すことが出来ない。揺れるカカシ先生の腕の中は、まるでゆりかごのようでついまどろんでしまう。
カカシ先生から流れ出す穏やかなチャクラにたゆたいながら、心が安らいだ。
それはカカシ先生が傍にいてくれるから。
突然泣いたりしても、気味悪がったり突き放したりしないで、ただ抱きしめてくれたから。
ありのままを受け入れてくれる。
そのことが心の中で灯火となって胸を暖める。明るい光を放って影を照らす。
カカシ先生という火が胸の中で煌々と。
ゆらり、ゆら・・・。
「イルカ先生、落ち着いた?」
体の動きからカカシ先生が覗き込んでいるのが分かった。
(まだです。まだ)
返事の代わりに鼻を啜った。
(もうちょっと――)
カカシ先生とは反対の方向に顔を背けた。涙や鼻水でひどい有様だったから。でも――。
もっと――。
こうしてて。
どうにも子供じみた要求が沸いてきて抑えられない。
甘えたくって仕方がない。
髪の括り目の辺りに柔らかいものが押し付けられた。
湿った暖かい息が髪に当たる。
カカシ先生の唇だ。
濡れた顔をごしごしと袖で拭っていると腕をとられた。
「イルカ先生、そんなにしたら――」
カカシ先生の声が肌を震わせる。
つかまれた腕を解いてカカシ先生の背中に廻した。首筋に顔を埋めてぎゅうと抱きつくとすぐに抱きしめ返してくれる。
嬉しさに口元が緩むと頬が突っ張った。乾いた涙でぱりぱりした顔をカカシ先生の肩口にぐりぐり擦り付ける。
「あー、ほら、イルカ先生」
「んぁ・・・ぃゃ・・・」
止めさせようと肩を押す手に逆らって体を押し付けるとカカシ先生の背中の後ろでしっかり手を組み肩に片頬を付けて頭を凭れさせた。
カカシ先生の手が諦めたように離れて、緩く背中に廻される。
「イルカセンセ――・・・」
後頭にカカシ先生の頬を感じる。カカシ先生の体から力が抜けて、お互いに凭れるように抱き合った。
(・・・気持ちいい)
ほんとはもっと前からこんな風にしたかった。べったり甘えてみたかった。でもカカシ先生が大人だから、こんな風にしたら嫌がるかなと思って、俺みたいなのが甘える仕草を見せたりしたら絶対呆れられると思っていたから、いつだってしたいことは抑えて、大人ぶって、我慢していた。
でも今日は。
カカシ先生が甘やかしてくれるから、いっぱい甘える。
あまりの心地よさにちょっとうとうとしていた。
「イルカ先生、寝ちゃったかな」
くたりとカカシ先生に体を預けてその温もりを甘受していると、カカシ先生が動いた。
寝てないですよ、と背中を掴んだけど、気づかなかったのか膝を掬われ、体を軽々と持ち上げられる。
どこ行くんだろうと思ったのも束の間、寝室に連れて行かれてベッドに下ろされた。ひんやりとした布団の冷たさを背中に感じて、「寒い!」とばかりにしがみ付いたら、離れようとしていたカカシ先生も横に入ってくれた。
「ごめんね。起こしちゃったね」
寝てなかったから、ううんと頭を振ったら背中を撫ぜてくれた。
「疲れたでしょ。ゆっくり休んで」
疲れた?
そうかな?そうなのかな?
確かに今日は慣れない料亭で緊張したけど・・・。
そんなに疲れてないと思ったけど、布団の柔らかさやカカシ先生から伝わってくる熱に瞼が落ちる。
今日はこのまま眠ってしまいたい。
「無理させてごめんね」
後もうちょっとで眠りに落ちる。
そんなところで聞こえてきた声に瞼を無理やり押し上げた。
「無理なんてしてませんよ」
ぼんやりした視線の先でカカシ先生が困ったように笑う。
(あれ?どうして・・・?)
不意に胸がざわつき始める。
「カカシ先生、俺は無理なんて――」
「ん。分かったから。今日はもう寝よ」
どうやら触れられたくない話題らしい。
カカシ先生が深く布団を被ぶって寝ようとするのに対して、逆に俺は目が冴えた。
「カカシ先生、どういうことですか?どうしてそう思うんですか?」
体を起こして肩を揺すると、ぎゅうっとカカシ先生の眉間に皺がよった。
(え、え?どうして?)
どうしてそんな辛そうな顔するんですか?
「カカシ先生・・・」
いつまでも揺すり続けると、諦めたのか薄く目を開いた。
「そんなのオレに聞かないでよ・・・。ひどいな。自覚ないの?」
抑揚の無い声にひどくうろたえた。視線も合わせて貰えなくて急に一人ぼっちになったみたいに心細い。
「ごめんなさい・・・」
カカシ先生が怒ってる。
胸がきりきり痛んで声が震えた。
なにがいけなかったんだろう。
やっぱり甘えたりしてはいけなかった?
ずっとカカシ先生に嫌な思いさせてた?
「ご、ごめんな・・・さい」
「あやまらないで。ごめん。酷いこと言った」
体を支えていた腕を引かれてカカシ先生の腕の中に倒れこんだ。そのまま抱きしめられて、こんなに近くにいるのに。
なぜか遠い。
「カカシ先生、俺、悪いとこあったら直しますから・・・」
嫌いにならないで。
そんな思いが胸を裂いた。
痛い。
それに怖い。
「違う。イルカ先生は何にも悪くない。悪いのはオレの方。オレが無理やりイルカ先生をものにしたから・・・それなのに・・・ごめん」
「無理やりなんかじゃ・・・」
そんなこと全然ないのに。どうしてそんなこと――。
「無理しないで。イルカ先生ほんとはオレのことそんなにスキじゃないでしょ」
がん、と頭の中に氷の塊が落ちてきたような気がした。
びっくりしすぎて声が出ない。
そんな風に思ってたなんて。
「最初はね、それでもいいかって思ってたんです。いつか好きになってくれたらって。でも一緒にいるとどうしても贅沢になってしまって・・・」
・・・どうしてそう思えるんだ?
俺、結構態度に出まくりだったと思うんだけど。
だからバレンタインの時カカシ先生から告ってくれたんだと思ってたんだけど。
「あの・・・。俺、カカシ先生のことずっと前から好きでしたけど」
「・・・・・・・・・・・え?」
随分な間があってからカカシ先生が聞き返した。
そんな驚くことか?
今更なに言ってんだ。
「ですから、俺はずっと前・・・、カカシ先生が告白してくれる前から――」
「嘘。バレンタインの時、チョコくれなかったじゃないですか」
もしかして根に持っていたんだろうか。
「あの時はちゃんと用意してたけど、カカシ先生からかってると思ったから、どうしても渡せなくて・・。自分で食べて・・・」
「・・・・そうだったの?」
抱きしめていた腕が緩んで瞳を覗き込んでくる。疑い深く。
「でもでも!イルカ先生オレが抱きしめたりすると逃げるでしょ?」
「逃げてません」
「逃げたよ。昨日の朝だって――」
「あ、」
心当たりがある。でもあれは――。
「あれは逃げたんじゃなくて・・・。俺・・・汚かったから・・・。汗臭かったし・・・」
そんな時ではないのは分かっていたが、昨日の朝のことを思い出して顔が火照った。恥ずかしさに目を合わせていられなくて俯くと頬に手を添えられ、ついっと上を向かされた。
「そうやってすぐ目を逸らすし」
「だって、はずかし・・・」
じわっと涙が滲んだ。目を逸らしたい。でも今ここで目を逸らすとまた疑われる。
「ほんとに?ほんとにオレのことスキ?」
何でそんなに自信無げに聞いてくるんだ。
「好きです。大好きです」
くしゃっとカカシ先生の顔が泣きそうに歪んだ。
「ああ、イルカせんせ」
抱きしめられてカカシ先生の溜息が首筋に当たった。擦り付けるようにしてうずめてくる頭をかき抱いた。
俺の自分本位な態度がカカシ先生をこんなにも不安にさせてたなんて。
「好きです・・・好き」
「うれしい。もっと言って。もっと・・・」
「好きです」
甘くねだられて何度も繰り返した。
その度に強く抱きしめられて、やっと。
カカシ先生の傍に来れたような気がする。
こんな風に甘えてくるカカシ先生なんて知らない。
俺はカカシ先生のことをなんにもわかってあげられてなかった。
「自分のことしか考えてなくてご・・――」
「もう言わないで」
謝罪はカカシ先生の口吻けで封じ込められた。