いまさら(W.D編) 3





 ――カカシ先生、待って。

 呼びかけることも出来ないまま後を追いかける。
(待って、待って)
 心の中で唱えながら歩いていると、遠い昔の記憶が蘇り、恥ずかしくなって俯いた。
 子供の頃、人ごみの中、親とはぐれて置いていかれそうになったことがある。
(手を引いて貰わないと歩けない子供じゃあるまいし)
 そう思っても、心細さが膨れ上がる。
(――カカシ先生・・・。)
 目の前にある背中は手を伸ばせば届く距離。
 でも、遠い。
 カカシ先生は遠い。
 俺なんかよりもずっと前を歩いている人。
 それは付き合うようになっても変わらない。
 遠くから見ていた頃と何も変わらない。
 この先も――・・ずっと。

 遅れないようにカカシ先生の背中を見て歩いてたら、目の前に迫ってきて、ぶつかった。
「おっと・・・」
「・・・すいません」
 硬いベストの襟に鼻をぶつけて、すりすり撫ぜながら聞くとカカシ先生が困ったように眉を顰めて振り向いた。
(俺、忍なのに)
 ボーっとするにも程がある。呆れられただろうかと体を小さくして、もう一度謝ろうとしたら、
「イルカ先生、ごめん」
 先に誤られてしまった。
「えっ?」
「呼び出し」
 カカシ先生が視線を落とすからつられて見れば、カカシ先生の手のひらにハムスターが一匹。誰かの式だ。
(誰だよ!こんな時間に!しかもそこ!)
 俺の場所なのに。
 悔しくて口がへの字に曲がりそうになるのをなんとか耐える。
 カカシ先生の手の上ではハムスターがクリクリ頬袋を捏ねている。その愛らしい仕草にカカシ先生が口許を緩めた。
(だめだ。・・・勝てない。)
 ここで俺が引きとめたところでカカシ先生は行ってしまう。
「ちょっと行って来るね」
 案の定、カカシ先生がそう告げて、役目を終えた式がぽふんと乾いた音を立てて消えた。
(やだ!!!)
 頭の中では大音響で否定の言葉が響いたが、頷いた。でもせめて。
「はやく・・・」
 上手く笑えてるのかどうか――。
「早く帰って来て下さいね」
(よし、ちゃんと言えた。)
 ほっとしたのも束の間、「えっ!?」と驚いた声を上げるのに、はっとした。
「あっ!いえ、・・その・・」
 そうだった。
 カカシ先生にはカカシ先生の生活が。
 いつも傍にいてくれたから、一緒に帰るのが当たり前みたいに思ってたけど、カカシ先生だって用事があれば行ってしまうわけで・・・だから・・・だから・・・。
今日はもうここでお別れ?
(それは、やだ)
 まだマシュマロだって渡してない。それに今日はずっと一緒に居てくれると思ってたから。独りになると思ってなかったから――・・・。
 涙が競りあがりそうになって俯いた。
(さみしい・・・)
 でもそれは仕方ないことだ。
 カカシ先生のつま先を見つめ、それが視界から消えていくのを待った。すると思いがけず、一歩、カカシ先生がこっちに踏み出した。
「――イルカ先生」
 やんわり腕を引かれ胸に寄りかかると背中に廻った腕がぎゅっと抱きしめられた。その力強さにぼぉっとなる。こうされるとすごく安心する。
 カカシ先生をすごく好きだと思う瞬間。この瞬間だけはカカシ先生をとても近くに感じる。
「カカシセンセ・・・」
 肩に顎を乗せて隙間を無くすと更に強く抱きしめてくれた。
 首筋に当たるカカシ先生の暖かい息がくすぐったい。ちゅっちゅと頬やこめかみに軽く触れてくる唇がくすぐったい。
 そうされてるうちに幸せな気分になってきて、今日はもう帰っても良いかと思えた。
(我侭を言ってカカシ先生を困らせたらだめだ。)
 一人でも大丈夫。
 自分にしっかり言い聞かせて顔を上げれば、優しく微笑むカカシ先生と目があった。それがまたすごく男前で見蕩れてたらカカシ先生がちゅっと上唇を啄ばんだ。
 恥ずかしい。口が開いてた。
 口元を押さえて俯くと耳元に吐息が触れた。
「まっ・・・」
「えっ?」
 くすぐったさに首を竦めるのとカカシ先生が何かを言ったのが同時でうまく聞き取れなかった・・・・のは嘘で、もう一度聞きたかったから聞こえなかったフリをした。
(だって、ホントに?)
「待ってて。用件聞いたらすぐに帰るから」
(聞き間違いじゃないよ!)
 嬉しくて思いっきり笑ってしまったらカカシ先生がもう一度キスしてくれた。


 「いってらっしゃい」と見送って、一人で家に向かう。
(まず部屋を暖めて、それからマシュマロを冷蔵庫から出して――。)
 段取りを決めながら浮かれ気味に歩く。どんな顔するだろうと思いを馳せると自然と顔がニヤついて困った。

 部屋に帰って準備を済ませると、ちゃぶ台の前に座ってカカシ先生が帰ってくるのを待った。
 ぼんやりと待つ時間は長い。さっきから何度も時間を確かめるが時計は5分も進んでいない。大体さっき別れたばかりだからそんなに早く帰ってくるわけもない。
 コッチコッチと静かな部屋に秒針の音が響く。
(早く帰ってこないかなー・・)
 膝を抱えて体を揺らしながら、ちゃぶ台の真ん中に視線をやった。タイミングなんか図ってたら、いつまで経っても渡せないことが目に見えているので、でんと皿に入れたマシュマロが鎮座している。作ることに必死で包装することまで頭が廻らなかった。色気もへったくれもない渡し方だが。
(いいんだ。帰ってきたらすぐ渡す。)
 バレンタインの時はちゃんと渡せなかったから今日こそは。

(上手く出来てるのかな)
 あんまり数が出来なかったから味見してなかったが、待ってる間に気になりだして一個手にとった。見た目はちゃんとマシュマロだ。感触を確かめるように、ふにっと押して・・・。
「あれ?」
 柔らかくない。皿に盛ったときは潰れない様にスプーンで掬ったから気づかなかったが。
 口に入れて――噛みしめる。
「・・・・・・硬い」
 固まりきっていない飴みたいに。
 たまたまかな?ともう一個食べてみるが、これも。
(失敗した。)
 こんなのとても渡せない。
(どうしよう・・・。)
 作り直したくても材料も時間もない。こんな時間では開いてる店もない。
 初めて作って上手くいくとは限らないのに、なんで予備のマシュマロを買っておかなかったのか。
(またカカシ先生に何にもしてあげられない)
 じわっと涙が滲んで、慌てて拭った。泣いたって仕方がない。顔がきたなくなるだけだ。
(カカシ先生には明日まで待ってもらおう。明日、ちゃんとしたのを買ってきてそれを渡そう。)
 どうして自分で作ろうなんて思ったのか。
 慣れない事なんてするもんじゃない。それもここ一番って時は。
 後悔が後から後から沸いてくる。

 もひとつ手に取った。口に運びながら苦々しく思い出すのは、一ヶ月前のこと。あの時も今みたいに自分で食べた。渡す勇気がなくてカカシ先生がくれたチャンスを自分で駄目にしていた。
 あの時ちゃんと渡せてたらカカシ先生に喜んでもらえてたのに。
 教室から出て行くとき、すごく悲しそうな顔をしてた。忘れられない。
 だから――びっくりさせたかった。今日のことは何も言われてなかったけど、きっと喜んでもらえると思ったから――・・・。
 でも。
 何時だって俺はカカシ先生に何もしてあげられない。
「・・・っ」
 うっかり目から水が垂れた。ぐっと目を瞑ると今度は鼻が垂れる。
 息を大きく吸って気持ちを静めた。
(でもあれだよ・・・)
 今回は期待されてなかったのがせめてもの救いだ。前みたいにカカシ先生を傷つけることはない。
 もくもくと口に運び、最後の一個を手に取ると、いびつな形をしたのが出てきた。
 ハート型。
 つい浮かれて一個だけ作ってしまった。
(アホだ、俺)
 アホすぎる。
 カカシ先生はこんなののどこが良かったんだか。
 この一ヶ月、幾度も考えたがさっぱり解らない。解らない俺はカカシ先生から優しさや抱擁を与えられるばかりで、彼が俺に望んでいるものを差し出せているのか解らない。
 解らないのは不安だ。
 そのことが原因でいつか俺から離れていくんじゃないかと――・・・。
「なーに食べてるの?」
 いきなり声を掛けられて飛び上がった。
「カ、カカシセンセっ」
 背中にぐっと圧し掛かられて慌てて振り向くと、カカシ先生が不思議そうに俺の手を見ている。正確には出来損ないのマシュマロを。
 何時帰ってきたんだ?とか、お帰りなさいを言ってないだとか、空の皿をどーするだとかめまぐるしく頭の中を駆け巡ったが、それより何より。
(この状況をどう誤魔化せばいいんだ!?)
 見られた。今一番見られたくなかったものを。
「えーっと・・・」
「オレにもちょーだい」
「えっ」
 カカシ先生が俺の手首を掴んで口元に運ぶのに、
「だめ!」
 思わず大きな声が出て、カカシ先生の動きが止まった隙に手の中に握りこんだ。
 カカシ先生が「ちぇー」と不満げに呟いて笑った。
(ちがう)
 不満げなのはワザとだ。冗談みたいに言ってるけど本当は。
(傷つけた)
「違うんです。ごめんなさい。ホワイトデーだからマシュマロ作ったんですけど失敗して。これは食べれないものなんです」
 一息に言ってから、あ、と思った。
 バラしてしまった。
(穴があったら入りたい・・・)
 情けなくてカカシ先生の腕の中から逃げようとしたら、更に深く抱き込まれてしまった。
「・・・オレに作ってくれたの?」
「・・・はい」
「失敗したの?」
「・・・はい」
 もう聞かないで欲しい。
「でも、おいしーよ?」
「え?あっ」
 ない!確かに握ったのに!
 カカシ先生を見れば、もぐもぐ口が動いている。
(一体どうやって?!)
 呆気にとられているうちにカカシ先生の喉がごくんと動いた。
「うん。おいしかったよ。もうないの?」
 にこっと笑ってこっちを見るのに目を逸らした。
(・・・うそばっかり)
 俺だって食べたんだから分ってる。
 おいしくなんかない。
「ムリ・・しないで・・・。お水持ってきます」
 なんかもう、泣きそうだ。
 俺はこんな風にカカシ先生に無理させることしか出来ない。
 なんにも出来ない。
 なんの役にも立たない。
 どうしていいかもわからない。

「カカシ先生・・離してください」
 立ち上がろうとして腰に回されたカカシ先生の手に阻まれる。
「お水なんていいから。ここにいて」
「あ・・はい、・・でも・・・」
 上手い言い訳が思いつかないうちに耐え切れず、ぼろっと涙が落ちた。
 いやだ、見られたくない。
「カカ、・・せんせ、は・・・して」
 呼吸も儘ならなくなってうまくしゃべれない。
 逃げ出したくて堪らないのに離してくれないから、カカシ先生の足の間で背中に温もりを感じながら、抱えた膝で顔を隠して出来るだけ静かに泣いた。


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