いまさら(W.D編) 2
「じゃあ、終わる頃に校門で待ってますから」
軽く片手を上げて去っていくカカシ先生の後姿を見送った。
完全に気配が無くなったのを確認して、頭を抱える。
(あちゃー・・)
ご飯に誘われてしまった。
もっと遅くに帰って来ると思っていたカカシ先生が受付任務時間中に報告にやって来て、怪我も無く無事に帰って来てくれた事にほっとした矢先、「今日はどこかに食べに行きましょう」と。
言われた瞬間、昨日準備したあれこれが頭の中を駆け巡ったが、カカシ先生がそうしたいならそれで良いかと頷いた。そしたら唯一見えているカカシ先生の右目が嬉しそうな色合いに染まったから、ますますそうするのが良いことのように思えたけど――ちょっと残念。
(一生懸命用意したのにな・・)
でも、ま、俺が勝手にしたことだ。
ポテトサラダにしようと思ったマッシュポテトはコロッケにして冷凍しとけばいつでも食べれるし、魚は明日焼いてしまおう。
(それにまだマシュマロがあるしな!)
どうやって渡そう。
考えだしたらドキドキして、ちょっと仕事が手に付かなくなった。
暗い夜道を並んで歩く。
今日あった事とか他愛も無い話をしながら、どこに行くんだろうとついて行くと滅多に足を踏み入れないところにやってきた。
高級料亭街。
高い塀が連なり、門の奥に畏まったような明かりの灯った玄関が見える。
苦手な雰囲気。
俺がしり込みしそうな道を道をカカシ先生は家に帰るみたいに歩いていく。こんなところではぐれるのは不安だったから必死について行った。とはいえ、カカシ先生が手を繋いでくれてるからはぐれたりしないんだけどな。でも気持ちはそんなカンジ。
「イルカ先生、こっち」
真っ直ぐ歩いていこうとしたところで手を引かれた。塀と塀に挟まれた細い小道にカカシ先生が入っていく。どこに繋がっているんだろうと覗き込んでも塀の先は暗い。大人二人が並んで歩けば肩が塀に当たりそうな道幅に、カカシ先生の後ろに回ろうとして、――肩を引かれた。カカシ先生に寄り添うように抱き寄せられて、急に夜風が冷たく頬に当たった。
(ああ、違う)
俺の体温が上がったのだ。かぁっとそこかしこが熱くなって耳がじんじんする。
照れくさい。
でも、嬉しい。
歩きにくくならいようにカカシ先生の歩調に合わせて歩く。体の右側からカカシ先生の体温が伝わってくる。
(あったかい)
そう思ったら胸の中まで熱くなって、ぎゅううとカカシ先生に抱きつきたくなったが、外だったので頭の中だけに留めておいた。
カカシ先生が好きでたまらない。
(大好き!)
そんな思いを込めて覆面に隠れたカカシ先生の顔をこっそり見たら、カカシ先生が急にこっちを見てにこっと笑うから慌てて俯いた。
(なんで分かったんだ!?)
頭から湯気が出そうだ。
恥しい。
肩にあったカカシ先生の手が頭を撫ぜたりするからますます恥しくなった。
「どうぞ・・・ごゆるり・・・」
緊張しすぎて上手く聞き取れない。
料理を並べ終えると、着物を着た仲居さん(っていうのか?)はゆっくり襖を閉め、去っていた。
「さ、食べましょう」
「は、はい」
目の前には綺麗に飾りつけられたごちそうが所狭しと並べられている。
(すごい・・・)
こんなの食べるの初めてだ。
口布を下ろしたカカシ先生が小鉢に箸をつけるのを見て俺もそうした。
カカシ先生に連れられて来たのは一軒家のような料亭だった(しかも豪邸)。
裏口を開け入っていくカカシ先生に、そんなところから入っていいのかとおろおろしていると手を引かれた。戸を潜ればそこは庭園になっていて大きな池があった。川のせせらぎのような水音に耳を澄ましていると、こっちです、とカカシ先生はこれまた自分の家のように庭を横切っていく。
明かりのついた部屋の縁側で靴を脱ぐように促され、同じように靴を脱いだカカシ先生が何のためらいも無く部屋の襖を開けるのに冷や汗をかきながら部屋の中を見るとそこには誰も居なくて、ここに座ってと肩を押されて力が抜けたように座布団の上に座った。
(つ・・疲れた)
前に座ったカカシ先生の非常に寛いだ様子が恨めしい。
ここは離れになっているようで他の客の声が遠い。
かすかに甘い香りがして何かと思えば梅の花が活けられていた。改めて部屋を見れば、俺の部屋より断然畳の数が多くて、天井も煤けてなくて綺麗な木目が見える。置かれた屏風には梅の花と鶯が描かれて・・・。
すっと音も無く屏風の向こうの襖が開いたかと思えば女将と思しき女性が入ってきてカカシ先生に(それから俺にも)挨拶した。
(一体どういう仕組みだ?なんで入ってきたの分かったんだ?)
(っていうか、こんなところにこんな風に入っていくカカシ先生って何者?)
俺の知らないカカシ先生とその日常。
女将とカカシ先生がにこやかに会話を交わすのをどこか遠い意識で見ているうちに女将が消え、目の前に料理が並べられていた。
「イルカ先生、これ食べてみて」
カカシ先生が指差すのを箸で摘んで口に入れる。
「わぁ、おいしい。」
くにくにした歯ごたえに何だろうと思っていたら生麩だと教えられた。へーと頷きつつ、カカシ先生が説明してくれる物を次々と口に運んだ。どれもこれも美味しい。漸くカカシ先生と二人きりになれたことやお酒が美味しかったことも相まって、俺も次第に寛いでいき、あっと思った時には俺の料理はほとんど片付いていた。それに対してカカシ先生は大して食べずに口元に猪口を運んでは俺を見ている。
恥しい。がっついてしまった。
(だって、うまいんだもん。)
それからはゆっくり箸を動かすとそれに気付いたカカシ先生が、ん?と首を傾げた。
「どうしたの?なにか嫌いなものでもあった?」
(ちがいます。ちょっと今更ですがお上品ぶってみました)
とも言えず、ぐっと喉が詰まりそうになったのを嚥下しながら首を振った。
「そう?まだ食べれそうだったらオレのも食べていいよ」
(ほんとに!?)
無性に嬉しくなって遠慮も忘れて「生麩」と言うとカカシ先生が俺の皿に入れてくれた。
もちもちした食感を噛み締める。
(やっぱりうまいっ!)
「カカシ先生、ここの料理何を食べてもすごく美味しいです!」
感動を覚えつつ、そう告げるとカカシ先生が嬉しそうに笑って「デショ」と一言。事も無げに。
(・・・アレ?)
急に嬉しかった気持ちが萎んでいく。バケツに張った水に一適の墨が落ちたみたいに一つの疑惑が。
(美味しいって言うのはこういうのを言うんだよな・・・)
比べてみると俺の料理は味付けが濃い。
「・・・カカシ先生はこちらにはよくいらっしゃるんですか?」
「前はちょくちょく。最近は来てなかったです」
「・・・そうですか」
だよな。最近は俺んとこ来てたもんな。
(そうか。カカシ先生はこういう味付けが好みだったのか)
カカシ先生、ホントは――・・・。
これ以上考えると卑屈になってしまいそうだったから打ち消した。それよりも。
(ちゃんと覚えて帰らないと)
そう思うのに。
何を食べても味が良く分からなくなってしまった。
カカシ先生の背中を見ながら歩く。横に並ぼうと思うのに歩調がどうしてもトボトボになって遅れがちだ。
「イルカ先生、酔っちゃった?」
カカシ先生が肩越しに振り向くのに頷いてそういう事にしておいた。
(美味しい物を食べさせて貰って他に何をいう事があるってんだ)
立ち止まったカカシ先生に追いつくとカカシ先生がまた前を歩き出す。
その後姿を見ながら、つーんと鼻の奥が痛くなるのを耐えた。
ほんとはカカシ先生の後ろを歩くのは好きじゃない。だってなんだか心細い。置いて行かれそうで。俺もいい年した大人なんだから一人でも大丈夫な筈なのにカカシ先生と一緒に居るようになってからはどうにもそうでない。一人が嫌だ。せめてさっきみたいにとまでは言わないから、いつもみたいに手を繋いで欲しい。
『カカシ先生、手』
それだけ言えばカカシ先生に伝わるのに、どうしてだかその一言が喉に詰って出てこない。
『イルカ先生、手』
一番最初にカカシ先生に左手を仰向けにして差し出されたとき何の事か判らなくて、俺は両手を仰向けにして差し出した。手相でも見てくれるのかと思ったのだ。そんな俺にカカシ先生はちょっと困ったような顔で笑って――俺の右手に手を乗せた。ぐっと握って歩き始めるのに引き摺られるようにして歩いた。
(手を乗せろってことだったのか)
そう気付いたのは歩き始めてから大分経ってからのことだった。
その日からカカシ先生の左手は俺のになった。カカシ先生の左側が俺の場所になった。だから――・・・。
(カカシ先生・・)
置いてかないで。