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「私さぁ、アンタみたいな男前の相手するの初めてだよ。ねぇ、安くしとくからさぁ、朝まで買っておくれよぅ」
 腕にしな垂れかかる女の重さに内心辟易しながら、カカシは愛想の良い笑みを浮かべて女を見た。
「いーよ。じゃあ、朝までどんなコトする? エッチなコト、いっぱいしちゃうよ〜」
「きゃははっ、やだぁ〜」
 腕を外して肩を抱くと、女は甘える様に凭れ掛かってきた。安っぽい香水と酒の匂いが鼻腔を掠めて嫌になる。どうせなら、もっといい女を抱きたいが、この女はエサだから仕方なかった。
 万一の時を考えて、相手は身寄りが無く、後腐れ無い女が良い。例えばこの娼婦のように。
「ねぇ、アンタの家どこ? まだ着かないの?」
 そろそろ歩き疲れた女が千鳥足でも進んでいた足を止めた。両側を林に挟まれた道の途中で不安そうに辺りを見渡す。
「もうすぐだーよ。ホラ、あそこに屋敷が見えるデショ?」
「嘘、あそこはお化け屋敷だって…」
「失礼しちゃうなー。今はオレが買い取って住んでるんだーよ。中だって、ちゃんと改装したんだから」
 女の目に不安と好奇が過ぎる。
 不安はお化け屋敷と噂の屋敷へ踏み込む恐怖だろう。好奇は改装した屋敷への興味か。
 人には本能的に危機を察知する能力が備わっているのだから、もっとそれを信じた方がいいと常々カカシは思う。だけど人が流されるのは甘い誘惑だ。
 ――お陰で食事には事欠かない。
「こーんな大きなシャンデリアを取り寄せたんだよ。ベッドも天蓋付きにして、中世のインテリアを目指したんだ」
 カカシの話に女の目が輝く。歩調も少し早くなった。天蓋付きのベッドで寝るところでも想像しているのだろうか。
 ふっと鼻で笑いそうになるのを堪えると、カカシは女に合わせて歩調を早めた。


 リビングに入るとカカシは女から体を離した。
「ネェ、何か飲む?」
 部屋の明かりを点けながら聞くが返事は無い。振り返ると、女は調度品に見とれていた。屋敷に着いて、暗い廊下見せた時の恐怖は微塵も残ってない。
「すごい…、これってダイヤ…?」
 恐る恐る壺にはめ込まれた透明な石に指を伸ばす。
「そうだーよ。骨董商で見つけたんだ。他にこんなのもあるよ」
 棚に無造作に置いてあったネックレスを指に引っかけると、女に見せた。赤い大粒のルビーを囲むように小さな宝石が散りばめてある。
「付けてみる?」
「いいの…?」
 もちろん、と女の後ろに回るとネックレスを前に回した。
「髪を上げてくれないと、留め金が出来ないよ」
「えっ、あぁ」
 舞い上がった調子で、慌てた女が髪を掻き上げた。ほっそりした首筋が露わになる。肩に滑らせるようにしてネックレスを回すと留め金を止めた。
「似合ってる」
「本当?」
「ウン、でも髪は上げた方が良いね」
「そうかしら」
「だって、首筋がとっても綺麗なんだもん」
 誉めると、女はすっかりその気になって頬を紅潮させた。カカシを見つめる目にますます熱が籠もる。
「ねぇ、上にいく?」
 囁くと、女は目を蕩けさせて頷いた。なんてたやすい。
 暗い廊下に出ても、女はもう怖がったりしなかった。カカシに体を預けて、導くまま付いてくる。
 二階への階段を上がり、いつもは右へ行くところを左へ曲がる。突き当たりの部屋を指差すと、女は待ちきれないように駆けだした。あはは、と笑い声上げて部屋になだれ込む。
 約束の天涯付きのベッドに女はきゅっとカカシの腕を掴んだが、そこに人影が動くのを見て悲鳴を上げた。
「誰かいるわ!」
「あー、ゴメン。同居人居るの忘れてた」
「同居人?」
「ウン、イルカって言うの。今日はコッチで寝てたんだ」
 いつもは違うんだよ、とばかりに女を見ると、女はホッとカカシを掴んでいた手から力を抜いた。眠っていたイルカが寝返りを打ってこっちを見た。カカシをぎっと睨み付ける目にほくそ笑む。
 イルカの視線に構わず、カカシは女の腰を掴むと強く引き寄せた。カカシが首筋に顔を埋めると、女は恥じるようにカカシの肩を押したが、大した力は籠もってなかった。
「ちょっと、やだ…。見てるじゃない」
「見られるのヤダ? 興奮しない? なんだったら、三人でスル?」
 好色を目に浮かべると、女もまんざらでないようにくすくす笑った。その目がイルカを捉えて値踏みする。
「…でも、なんだか具合悪そうじゃない」
 遠回しに遠慮した女に笑いを噛み殺した。
「そんなことなーいよ。あの人ねぇ、大人しそうに見えてすっごいイヤらしいんだよ?」
 もっさいイルカに女が下した妥当な判断を覆す、残酷な遊びに気付いた女が乗った。
「やだぁ、ほんとぉ…?」
「ウン。ちょっと突っ込んで揺すってやれば、ひいひい泣いて自分から腰を振るぐらい」
「え?」
 カカシを振り返る女の目に怪訝そうな色が滲んだ。
「なに…言ってるの…?」
 二人の関係を想像して、まさかと誤魔化すような笑いを浮かべた。その笑みに笑い返して、「冗談だよ」と、女の首筋に唇を寄せた。隠していた牙が伸びる。
「あっ」
 首筋に歯を立てた時、女は僅かな声を上げたが、すぐに体は弛緩した。吸い上げると、安酒と煙草の味がしてゲンナリしたが、血が胃に落ちると力が漲った。
「あっ…あぅ…あ…」
 恍惚の声を上げる女の首筋から唇を離すと、カカシはペロリと歯の痕を舐めた。
 みるみ傷口が塞がっていく。
 完全に塞がったのを見て女を床に捨てた。貰う血は僅か四百ミリリットル。献血程度の量だ。普段なら二百あれば二週間ほど保つが、――今日はイルカの為に多めに頂いた。このぐらいの量なら失った事に気付きはしない。しかも相手は快楽の中だ。
 床の上で嬌声を上げてのたうつ女を跨いでイルカの方に向かった。女には暗示が掛けてあるから朝まで目覚めない。
「こ、こっちに来るな!」
 これから行われる事に気付いたイルカが声を荒げた。


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