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 空腹とセックスの周期を五回ほど繰り返して、カカシは疑問に思い始めた。
 イルカに出て行く素振りが見られない。部屋を探している様子すら無いのだ。
 もちろん、イルカをコントロールして出て行けなくしているのはカカシだから、イルカが部屋を探せなくても仕方ない。
 だけど、うっかりイルカが満足するまで抱いたしまった翌日でさえ、イルカは街に行ってバラを買ったものの、不動産屋に立ち寄らなかった。
 ナルト達と楽しそうに喋って、勉強を教え、手を振って帰って来た。カカシはその一部始終を、コウモリになって見ていたから間違い無い。
 以後、気を付けて抱いたからイルカは外出出来なくなったが、セックスをしに部屋に入っても、荷物が纏められている様子はなかった。
(……イルカは本当に出て行くのかな?)
 責めてるんじゃない。出て行かないなら、出て行かないに越した事無い。ただ、このジリジリした不安から解放されたかった。
(……どうしたいんだろ?)
 どうしたいかなんて、本人に聞くのが一番だ。
 リビングから出ると、イルカの部屋に向かった。
「イルカ、入るよ」
 声を掛けて入ると、イルカがビクーッと振り返った。カカシが昼間にイルカの部屋に入る事はない。そのせいかと思ったが、イルカはその手にジャムの瓶を持っていた。
「あーっ! そんなもん食べてたんだ! どうりであんまりお腹空かせてないと思った」
 ジャムなら生花より保存が利く。花が無くなった後に、秘かに食べていたのかと思うと可笑しくなった。イルカが可愛い。
 だが、イルカは責められたと思ったのか、決まり悪げな顔をして、ビンを後ろ手に隠した。
「べ、別に食べたっていいじゃないですか! それより何ですかっ。勝手に入ってこないで下さい!」
 またそれか。
 カカシは内心思ったけど、顔には出さなかった。
「用が済んだら出て行くよ。アンタ、家はどうなってるの? 他に借りるって言ってたよね?」
 端的に聞いたら言葉が素っ気なくなった。イルカが何故か傷付いた顔をして、カカシはアレ?と思った。
「言われなくても出て行きます! ちゃんと先の事だって考えてます。ちゃんと…、ちゃんと…」
 言葉の続かないイルカに、カカシの中で疑念が膨らんでいった。
(そもそもイルカはどうやって家を借りるつもりなのだ。家の借り方だって知ってるのか?)
 出会った時は、路地裏でボロボロになって転がっていた。いっしょに住んでからだって、百年間ほとんど家に籠もりきりで、イルカに常識的な生活能力があると思えなかった。
(……なんで気付かなかったんだろ)
 カカシは頭を押さえて、はぁっと溜め息を吐いた。イルカが絡むと冷静な判断力を無くす。イルカが出て行くかも、なんて取り越し苦労だった。それに、
「なにその言い方。オレが追い出すみたいじゃない。居たいなら、居ればいいじゃない」
「嘘だっ! 俺のことが邪魔なんでしょう。意地悪ばっかりするじゃないですかっ」
「意地悪なのはアンタの方でしょう!」
 イルカの言いぐさにカッとして大声を出すと、ひくっと震えたイルカの目から大粒の涙が零れた。
「え、ウソ…。泣かないでよ。なんで泣くの」
 カカシはおろおろと手を彷徨わした。夜、ベッドの上でならイルカを慰められるが、イルカが正気な今は手を差し伸べる事も出来ない。
「ちょっと、泣かないでよ」
「ひっく…、ひぃ〜っ、…っく…」
 イルカは泣き止まない。そもそも何故泣くのだ。カカシが嫌いなら、何を言われたって知らん顔していればいいのだ。今までのように……。
(ずっと、そうだったじゃないか……)
 カカシの中で、ふと一つの可能性が閃いた。それは眩い光に包まれて胸を熱くする。
「………ねぇ、もしかして、オレのことスキになったの?」
 口に出すと、とてもおこがましく響いた。瞬時にカカシは後悔したが、イルカの反応を見て気持ちが揺らいだ。
(もしかして、本当にそうなの?)
 イルカは耐えるように泣いていた。カカシに罵られるのを予測したように。
「ねぇ、いつから? いつからオレのことスキになったの?」
 ちゃんとイルカの口から言って欲しかった。そうかも、と思っても、とても信じられる事じゃなかったから。天からバラが降ってきたとしても、そっちの方がまだ信じられる。
「ねぇ、イルカ…」
「うるさい! さっさと馬鹿にしたらいいじゃないですか! 身の程知らずだって…、男のくせに気持ち悪いって…」
「はぁ?」
 カカシが素っ頓狂な声を上げると、イルカはぎゅっと閉じた目から、また涙を零した。
 いや、違う。今のは馬鹿にしたんじゃない。イルカがあまりにも頓珍漢なことを言うから吃驚したのだ。
「ちょ、待って。待ってよ、イルカ…。ウソ…、どうしよう…」
 カカシの頬がかぁっと火照った。両手で熱くなる頬を押さえたが、とても収まりそうになかった。喜びが体の内から湧き上がる。
(ウソだ。いつからだ? 全然気付かなかった)
 セックスの時にしか会わなかったのがいけなかった。あれの時は行為に夢中で、イルカの感情なんて見ていなかった。
(やっと、想いを伝えられる)
 カカシはガバッと両手を広げると、その腕の中にイルカを包み込んで、思いっきり抱き締めた。
「イルカ、スキだ。愛してる」
 たったこれだけの言葉を言うのに百年かかった。閉じた瞼の間から涙が零れて、イルカの髪に落ちた。
「嘘だっ、嘘…っ、はなせ…っ」
 イルカが腕の中で暴れる。それでもカカシは、ますます抱き締めて離さなかった。やがて疲れたのか、カカシの背中を叩き、腕の中から逃れようとしていたイルカが大人しくなった。
 カカシの様子に気付いて顔を上げようとするのを、イルカの頭に頬を擦りつけて阻止した。
 泣いてるなんて、カッコ悪い。イルカに見られたくなかった。
「…………泣いてるんですか?」
「……ウン」
 それでもバレてしまい、肯定すると、しばらくじっとしていたイルカが、カカシの背中に腕を回して抱き締めてきた。
 やっと想いが通じ合った。
 愛しくて、イルカの髪を何度も撫でて頬擦りした。
「ねぇ、教えて。いつからオレのことスキになったの?」
 どうしても聞きたかった。イルカの口から聞いて、安心したかった。
 カカシが聞くと、イルカがぽつぽつと答えてくれた。
「カカシは意地悪だから、素直に言えなかった…。カカシは俺を守ってくれた。紅さんが襲ってきた時、必死に俺を守ってくれた。あの時気が付いたんです。ずっと、カカシが俺を守ってくれてたって。カカシは言葉や態度では俺に冷たいけど、こうして俺が人を襲わずにいられるのも、野垂れずに済むのもカカシのお陰だって…。
 それに気付いたら、カカシに優しくして欲しくなった。でも、カカシは冷たいままだったから、俺の事嫌いなんだって。カカシは俺が飢えると自分も飢えるって言ってたから、仕方なく傍にいてくれるんだって…。そう思ったら、カカシの傍を離れた方がいいんじゃないかって思えて…。他の吸血鬼の間で、そんな話し聞いた事無かったから、きっと俺が傍に居るからそうなるんだと思って…。でも俺…、カカシの傍を離れるの寂しい。…傍に居たい」
 イルカの瞳から涙が溢れて頬を濡らした。
 あぁ、とカカシは胸の中で溜め息を漏らした。これからはイルカと幸せに暮らしていける。
「イルカ、オレの傍にいて。ずっとオレがイルカを守るから。どんなことがあっても離れない。愛してる」
 瞳を見て告げると、濡れた瞳をまあるく開いてオレを見ていたイルカが、コクンと頷いた。
 バラ色の人生の始まりだった。


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