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まったくもって、イルカはカカシに優しくない。ほんの少しの間しか、カカシに安らぎを与える事をしなかった。
おかげでカカシは家に閉じ籠もりっぱなしだ。食事をしようにも、帰ったらイルカが居なくなってそうで、屋敷を空けられなかった。
リビングに居座って、人の出入りを見張る。
数日前、紅がやって来て、アスマが吸血になったと報告した。そのつやつや光った頬を見てむかついた。紅は全く気が利かない。
(有り難いと思うなら、人間の一人でも持って来てよ)
空腹に、イライラとカカシは爪を噛んだ。
(そろそろ出掛けても大丈夫かな…)
カカシも空腹だが、イルカはもっと空腹だろう。カカシの食事が減った分、イルカを抱く間隔が開いた。
それにイルカは燃費が悪かった。食事をした日にイルカを抱いても、ダウンするのはイルカの方が早かった。そこに気付いてカカシはホッとした。
イルカを飢えさせていれば、イルカは出て行けないのだから。
抱く量だって加減した。イルカが気絶するまで抱いたりしない。欲しがる間に、終わりにするのが丁度良かった。
意識を集中して耳を澄ます。
二階のイルカが動かないのを確認して、カカシはコウモリに姿を変えた。本当はコウモリになんてなりたくない。鼻が上を向いて、凄くブサイクなのだ。わざわざ醜く変化しないといけないのが悔しい。
だけど空を飛んだ方が早く街に着くのだから仕方なかった。
イルカに気付かれないように窓を開けて外へ羽ばたく。屋敷を離れる前に、イルカの部屋を覗くと、ちゃんとイルカはベッドで寝ていた。
紅達に出会ったらイヤだから、酒場をいつもと変えた。さっさと女を引っかけるつもりで、安っぽいバーに入った。
なのに何故だ。会いたいないと思ってる相手にほどよく会う。しかも相手はアスマの方だった。あの日、腐りかけていた面影はなく、すっかり元の姿に戻っていた。
「よぉ」
アスマはカカシを見つけて、片手を上げると寄ってきた。
「なに? こっちは用無いよ。どっか行ってよ」
「まぁそう言うな。礼に奢らせてくれ」
「礼なんて言われる事してないし」
憎まれ口を叩くが、アスマは気にした風もなく手を上げて酒の注文をした。
「紅から聞いた。嫌がってたんだってな。イルカが俺のところに来るの。悪かったな」
「別に。それより『イルカ』って馴れ馴れしく呼ばないでくれる? 虫酸が走る」
「そうか、まぁそうだわな」
物知り顔で頷くと、アスマは運ばれた酒を口に運んだ。グラスを傾けて、ダーッと口から酒を零した。
「汚ったないなぁ」
「これもか!」
アスマは濡れた口許を拭うと、しかめっ面をした。
「何を食べても味がしねぇ。酒もだったとは…」
「そーだよ。吸血鬼に人間の食べ物なんて必要ないデショ」
カカシは無様なアスマの様子に溜飲を下げた。
(それに今のは面白かった)
飾り気のないアスマに、カカシは少しだけ好感を持った。ピアノなんて弾いてるから、インテリのイヤなやつかと思っていたのだ。
「だが、お前ら上手そうに飲んでたじゃねぇか」
「フリだよ、フリ! 酒場で酒飲んでないなんて、ヘンでしょーが」
アスマがピアノを弾く店で、紅と飲んでいた時のことを言ってるのだな、と思いながらカカシは答えた。
「……後悔してるの?」
思ってたのと違う、なんてことは良くある事だ。
「いいや」
アスマはニカッと笑うと言った。
「紅が好きで好きで堪らねぇ」
「あっそ」
それが元で吸血鬼になったのだ。なんだ、惚気に来たのかと、カカシは白けた。惚気なら、他でやって欲しい。
「なんて言うか、吸血鬼ってすげぇな」
「……なにが」
「独占欲」
ついつい聞いてしまうのは、他の吸血鬼がどうなのか気になるからだ。カカシの抱える気持ちがカカシだけのものなのか。それとも血の為せるワザなのか。
「人だった時も紅が好きだったが、今はもっとだ。血が繋がってるからって言うか……、理屈じゃねぇ。紅は、俺の絶対の神で、唯一の存在だ」
ああ、とカカシは内心溜め息を吐いた。
やはりそうなのか。マスターの血に縛られるのか、と。カカシがイルカを好きなのは、血のせいもあるだろう。
だけど、そう。理屈じゃない。イルカはもう、カカシにとって絶対無二の存在なのだ。
「紅が大事で大事で堪らねぇ。なぁ、お前はどうなんだ? この気持ちは、ずっと続くのか?」
「知らないよ。百年も一緒にいるんだよ。そんなの考えていられないよ。大体イルカはほっとくと食事しないから、飢えてオレまで喉が渇くんだよ。それで傍にいるだけだ。
くっだらないこと聞かないでよ。そんな話なら他所でやって」
「他所ってお前……」
カカシは立ち上がって自分の分だけ支払うと店を出た。
(くそっ! くそっ! くそっ!)
ずっと胸の底に押し込めてきた気持ちを掘り起こされて、むしゃくしゃした。好きかどうかなんて、今更言って何になる。
(ああ、スキだよ! スキでスキでたまんないよ!)
きっとそれは最初から。ホコリの舞う地下の部屋で、イルカの瞳を見た時に恋に落ちた。
とても綺麗だったのだ。
漆黒の瞳は濡れて深く、吸い込まれるような色合いで、地下の僅かな光を映し込んで光っていた。まるで夜の泉に星を浮かべたように綺麗だった。
その美しさは、あの汚れた部屋のように、泥とホコリに塗れたクソみたいなカカシの人生の中で、とてもキラキラと輝いて見えた。
だから良いと思ったのだ。イルカに血を吸われても。共に人生を一緒に行きたいと思った。万が一死んでしまっても、構わないとすら思えた。
だけど、それをイルカに伝えた事はない。
目を覚ました時からイルカはカカシを嫌った。時間を掛けて気持ちを解そうとしたけど、上手くいかなかった。
プレゼントをあげたくて、吸血鬼だから血が良いだろうと生きた人間を連れ帰ってイルカに怒鳴られ、なら死んでいたらいいのかと、墓場を掘り返して罵られた。
どうしたら喜んでくれるのか分からなくて、最後に花を持って行ったけど、イルカはもうカカシを見なかった。
カカシの気持ちを、イルカが受け入れることはない。
素直に自分の気持ちを伝え、受け入れて貰えるアスマが羨ましかった。
「くそっ!」
こんな時、酒に酔えたらどれほど良かっただろう。ぐだぐだに酔っぱらって、イヤな事を全部忘れたかった。
カカシは荒ぶる気持ちのまま、周囲の物に当たり散らしながら歩いた。道の脇に置かれていた樽をガンと蹴飛ばすと、脇道から出てきた女がカカシに流し目を送った。
「あら、兄さん。随分機嫌が悪いじゃない。私のところで休んでいかない?」
「……いいよ」
豊満な女は、たっぷり血を吸ってもビクともしなさそうだった。カカシは女の肩を抱いて引き寄せた。
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