「…何…してるんですか?」
全く状況を把握していないイルカに、カカシの中で焦りが沸いた。黙っていても紅は気づく。初めて会った時、カカシが吸血鬼だと気付いたように。
「イルカ、部屋に入ってろ!」
「吸血鬼…? アナタも吸血鬼なの?」
紅が呟き、その目に炎が宿った。
「やめろっ!」
目標をカカシからイルカに変えて、二階へ行こうとした紅の腕を掴んだ。
「邪魔をしないで!」
振り向いた紅の目は赤く燃え、さっきまでの空虚さは消えていた。イルカと言う標的を得て、可能性に輝いていた。
――紅は、イルカの血をアスマに与えるつもりだ。
そう思うと、我を忘れるほど頭に血が上った。
(絶対にさせない!)
イルカの血を、誰かに与えるなんて許せなかった。
――コロシテヤル。
カッと全身の血が滾る。紅を殺す事しか考えられなくなった。
掴んでいた腕に力を入れると、それはあっさり砕けた。痛みに紅が悲鳴を上げたが、カカシには届かない。
「止めて下さい!」
イルカの声は聞こえたが、それは意味を成さずにすり抜けた。
――コロシテヤル、コロシテヤル!
紅を床に引き摺り倒すと、馬乗りになって押さえ込んだ。
「いやあっ!」
「カカシ、やめろ!」
イルカがカカシを止めようと、二階から走って来た。
――ハヤク、コロサナクチャ。
持っていた杭を、紅の心臓に向かって振り下ろす。絶望に沈んだ紅の唇が二、三言何かを呟いた時、
『やめろ!』
抗えない声がカカシの耳に届いた。全身が金縛りにあったみたいに動きを止め、ビクとも動かなくなる。カカシ自身の血が、カカシを拘束して動けなくした。
それはカカシだけでなく、紅も同じだった。カカシに爪を向けたまま、微動さえしない。
イルカだけが動いて二人に近づいて来る。
イルカはカカシの手から杭を取り上げると、カカシの手の届かない所に放り投げた。
「イ、イルカ…?」
有り得ない事態にカカシは混乱した。イルカの目が赤く光っていた。カカシを拘束しているのはイルカなのか。
「もうこの人を襲わないと約束してくれますか?」
イルカに問われて頷いた。頷くしか出来なかった。
「貴女も。カカシに手を出さないで下さい」
イルカを見ていた紅の瞳から涙が溢れ出す。
「始祖…様…?」
(イルカが!?)
ぎょっとしてイルカを見上げるが、イルカはゆっくり首を振って否定した。
「違います。俺は、元々は人間です」
すぅっとイルカの瞳の色が戻り、体の自由が戻って来る。動けるようになっても、気が抜けて紅と争おうとは思わなかった。
立ち上がり、紅の上から退くと、折れていなかった方の腕を引いて紅を起こした。
「帰って。それで、もう二度とココに来ないで」
「待って!」
紅がイルカに向かって声を掛けた。
「大切な人が死に掛けているの。お願い助けて! 他に頼める人がいないの!」
紅の悲痛な声に、収まりかけていた苛立ちがぶり返してきた。
「イルカ、聞く必要ないよ」
立ち尽くすイルカの体に腕を回して奥へ連れて行こうとしたが、イルカは踏み留まって紅を見ていた。
「イルカ」
強引に連れて行きたかったが、もう一度あの力を見せられるのは怖かった。あれはカカシ達の関係を根底から覆す。
(イルカ、お願いだから…)
いや、もうすでに変わってしまった関係に、カカシは泣きそうになった。せめて、これ以上の面倒は避けたい。
「血を少しだけでいいの。お願い…」
ぽろぽろと涙を流す紅に、苛立ちが爆発した。
「やめてよ! 自分のことは自分で始末してよ! アンタが失敗したんデショ。ツケをこっちに回さないで。なり損ないのことなんて知らないよ!」
「そうだけど…、もうどうすることも出来ないのよ。あの人は、人間に戻る事も出来ないの…」
ハラハラと涙を流す紅に憎しみが湧き上がる。女の涙は汚い。同情したイルカを盗られる気がした。
しかし、イルカは辛辣だった。
「愚かな」
侮蔑を含んだ眼差しで紅を見下ろすと言い放った。
「俺は吸血鬼が嫌いです。人間を吸血鬼にしようとする吸血鬼はもっと嫌いです。俺が貴女にしてあげられる事は何もありません。帰って下さい」
背を向けたイルカの冷たさに、カカシは驚いた。イルカなら、助けようとすると思ったのだ。
イルカがそんな気になっても阻止するつもりだったが。きっぱり断ったイルカに、カカシは跳ねたくなるほど嬉しくなった。
(良かった。オレ以外に、イルカの血は誰にも与えられない)
部屋へ戻ろうとするイルカにホッとする。あとは紅が出て行くだけだと振り返ると、紅がイルカの背中に向かって言った。
「…アナタはいいわよね。カカシがいるんですもの。自分はカカシを吸血鬼にしたくせに…。私はこれから先、ずっと一人でいないといけないの? そんな孤独、もう耐えられない。どうして助けたのよっ! あのまま放って置いてくれたら良かったじゃないっ!」
泣き叫ぶ紅の声が屋敷に響く。
カカシは胸の内の弱い所を掻き回されて怯んだ。カカシはイルカに望まれていない。それを紅に知られるのも、イルカの口から聞かされるのもイヤだった。
だけど振り返ったイルカは思いの外冷静で、戻って来ると紅に聞いた。
「生涯、ただ一人だけだと約束できますか?」
(…何言ってるんだろう…?)
キーンと耳鳴りがした。自分の恥ずかしい過去も、イルカに嫌われている事もどうでも良くなる。
「…ダメだよ、イルカ…」
イルカが誰かに血を分け与えるなんて耐えられなかった。
――イルカが自分の意志で血を与える。
それは、イルカにとっての特別を表していた。
今度こそ、カカシはイルカに捨てられる。
「じゃあ、アスマを助けてくれるの?」
「助かるかどうかは分かりませんが……」
絶望に打ち拉がれるカカシとは逆に、紅の表情は希望に満ち溢れていた。
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