春一番 6



「あのー、イルカ先生。お願いがあるんですけど・・」

 放課後、明日の準備をしてから帰ろうとしたら声を掛けられた。振り返れば年長組みの担任、よつば先生がいた。彼女はベテラン教師で俺に頼み事なんて珍しいなと思いながらも気軽に先を促せば、上目遣いに俺を見ながら話を切り出した。

「イルカ先生がよくビールをお飲みになるって聞いて・・。青葉ビールって覚えてますか?春に視察に行かれた麦の里の・・。最近、木の葉の里へも入荷されるようになってテレビCMもやってるんですけど、見たことあります?」
「いいえ、あんまり・・。うちは木の葉テレビしか見ないんで・・」

 どぎまぎしながら答えをはぐらかした。その話題にはあまり触れたくない。あの日から我が家では木の葉テレビしか見なくなった。カカシさんはあまりチャンネルを変えるほうじゃないし、俺も余計な物を見てどきどきしたくない。いや、あの時のどきどきは勘違いだと思うが。

「そうですか・・。でもポスターはご覧になられたでしょう?」
「ああ、青空と麦畑をバックにビールの缶がどんとあるやつですね」

 あれだけ町中に張られている物を知らないと言い張るのは返って不自然かと肯定すると、彼女の勢いが増した。それを見て、彼女もこの前の朝に騒いでいた先生方の中にいたのを思い出した。確か、『ぎゅっとされたい』とか言っていた。

「そう!そのポスターのことなんですけど、今度のキャンペーンで新しいポスターがプレゼントされることになって!私、どうしてもそのポスターが欲しいんです」

 俺を見上げるよつば先生の目は真剣だった。その迫力にたじろいだ時点で俺に逃げ道は残されてなかった。



 彼女の話はこうだった。
 なんでもそのキャンペーンと言うのが、ビールを2箱買うとくじが引けるらしい。それが当たればポスターが貰えて、外れればビールグラスが貰える。俺としてはビールグラスの方がありがたいのではと思うが世の中は違うらしい。ポスター欲しさにビールを買い捲る女性が増えているそうだ。彼女も何ケースか買って(正確な数は教えてもらえなかった)挑戦したがまったく当たらず、そこで周りにも頼んでみることにしたらしい。新しいポスターにはあのCMの彼が写っていて、それはこのキャンペーン限定ということだった。
 話を聞いただけではちょっと信じがたい。そんなポスター欲しさにビールをたくさん買う人がいるなんて。と、言っても俺もそのポスターのために酒屋に向かっているのだが。ま、俺の場合はポスターはついでで、ビールが切れそうだったから買いに行くのだが。

「っらっしゃーい!!・・っと、イルカ先生!もうビール切れたのかい?」

 ガラス戸を引くと、威勢のいい声がして思わず笑みを浮かべた。駄菓子屋と酒屋が一緒になったこの店は子供の頃からの馴染みだ。

「ええ、まあ・・。青葉ビールが欲しいんだけど・・」
「あるよ!1箱でいいかい?」
「えっと、ポスターもまだあります?」
「あるよ。なんだいイルカ先生もポスターが欲しいのかい?」
「いえ、頼まれちゃって。じゃあ、くじが引きたいんで2箱ください」
「いいよ、いいよ。1箱で。ポスターはおまけしとくから」
「えっ!いいんですか!?でもそれってすごい人気なんじゃ・・」
「そうだよ。今月はこれですごい売り上げ伸びてるんだ。だから内緒な!グラスも付けとくから」
「わあ、ありがとうございます!」

 嬉しくなって全開で笑うと店のおやじも笑った。今度絶対お返しをしようを心に決める。
 あっさり手に入ったポスターを手に、ビールの箱に紐が掛かるのを待った。ビールはいつも配達を頼まず自分で持って帰る。待ってる間、なんとなく気になってポスターの筒を覗いた。だけど奥にまで光は届かず何も見えない。

「気になるのかい?」
「いや、う・・ん・・、まあ・・」
「あそこに張ってあるのがそうだよ」
「えっ」

 店の奥を指す指の先を辿って、固まった。ちょっと心臓が止まった気がした。それから急に胸がドキドキして体が熱くなった。

 信じられない!!

「普段は外に張るんだけどね、外だと勝手に持ってっちゃう人がいて・・。それで中に張ってるんだけど・・、あれ?イルカ先生・・?イルカセンセっ?大丈夫かい!?」

 おやじのでっかい声に我に返った。それほど食い入るようにポスターを眺めていた。

「えっ!あっ、なんでも・・、あ、ありがとうございます!ビール、持って帰ります!」
「ああ?うん・・、まいどありー!!」

 店を飛び出した俺の背中をおやじの声が追いかけた。ビールの重さも忘れて走って帰る。こんなに動揺してるところを誰にも見られたくなかった。
 家に帰りつくと息を切らしたままポスターを広げた。

「間違いない・・」

 そこには青空と麦畑を背景に、麦を抱えて微笑むカカシさんがいた。





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