春一番 5
それから数日後、カカシさんは里外任務に出た。単独任務に心配する俺に、「大丈夫だよ」と笑いかけるカカシさんを大門から見送った。小さくなっていくカカシさんに大きく手を振る。何度も振り返って手を上げるカカシさんの銀髪を太陽が照らした。
日差しはもう初夏だった。
一週間経って少し日に焼けたカカシさんが帰ってきた。焼けるといってもカカシさんは色白だから赤く火照ったみたいになってちょっと可愛い。でも痛がるカカシさんにそんなことは言えないから、冷たく冷やしたタオルを頬に当てて冷やしてあげた。
きゃいきゃいと職員室が賑やかだった。珍しくくのいちの先生方の声が廊下まで響いている。がらりとドアを開けると、輪になって話に花を咲かせているのが見えた。
「ねぇ、見た?新しいビールのCM」
「見た。一面麦畑のやつでしょ?」
「そう!一瞬だけど、すっごくカッコいい人出てなかった?」
「出てた!横顔がちらっとだけ・・、あれは相当男前よね」
「よねー!でもあんな人、芸能界にいたかしら?新人?」
「さあ?そんなに若いカンジじゃなかったけど」
「でもそこがまたいいのよね、落ち着いた包容力っていうか」
「わかるわかる。私もあんな風にぎゅっとされてみたーい」
きゃははっとハイテンションな笑い声を上げる彼女たちに圧倒されながら自分の席に着いた。
「どうしたんだ?あれ」
隣の同僚に話しかけるとうんざりしたように首を横に振った。
「見てないか?青麦ビールのCM。昨日から流れてるんだけど、内のやつもあれ見てきゃあきゃあ騒いで・・。アカデミーに来ても朝からアレでうんざりだよ」
『青麦ビール』と聞いて興味を持った。そこは春にビールを作ったところだ。見知ったところの名前が出て親近感が湧いたが、残念ながらそのCMは見ていない。うちは里営放送の木の葉テレビをよく見るからCMが流れない。「ふぅーん」とだけ相槌を打って朝礼に向かった。
トントントンと包丁がまな板を叩く音が響いた。味噌のいい香りが部屋を満たす。忍服の上にエプロンを付けたカカシさんの後ろ姿をちゃぶ台の前に座って眺めた。濃紺の服に白の蝶々結びがよく映える。包丁の音が止まると、カカシさんがグリルを引っ張り出して魚の焼き加減を見た。裸足の足が台所を歩き回る。
そんな姿に胸がきゅんとなって顔がデレデレした。前は奥さんを貰ったら・・なんて想像をしたが、目の前の現実はそれをはるかに上回る完成度で俺を幸せにした。じぃっと眺めているとカカシさんが振り返って俺を見た。慌ててチャンネルを変えてテレビを見ているフリをする。ぱちぱちと変えていたら青空が目に飛び込んでチャンネルを止めた。
澄み切った青空の下一面に広がる麦畑。
それを見て麦の里を思い出して懐かしくなった。
風に揺れる麦は押し寄せる波に似て、麦畑は海のように見えた。
そのずっと向こうに人が立っている。
案山子のように見えたその人は、穂を軽く撫ぜると歩き出した。
何故か心臓がどきどきする。
風に揺らぐ黒髪は光に梳けると茶色く見えた。
後ろ姿を追っていた映像がゆっくりその人に近づいていく。
麦を撫ぜる手を大きく映し出した。
映像が戻ってさっきよりもその人に近づいている。
背中から肩、俯いた首筋。
汗で首に張り付いた黒髪からその人の横顔へ映像が移ろうとしたとき、
「イルカセンセ?」
すぐ傍にいたカカシさんに名前を呼ばれて飛び上がった。
「は、は、はい!」
「どうしたの?そんなにびっくりして」
くすりと笑ったカカシさんがご飯を目の前に置いた。心臓が飛び出そうなほどドキドキしている。まさか他の男に見とれてたとは言えなくて、慌てて首を横に振った。
「何でもありません!」
「そう?もうすぐ魚が焼けるからね」
「はい!」
画面は他のCMに変わり、それもカカシさんの手によって木の葉テレビに戻された。目の前に並べられるおいしそうなご飯に罪悪感が湧き上がる。CMのことは頭から追い出して、カカシさんの手伝いに勤しんだ。