春 5
「うわっ!」
ふわっとサンダルからはみ出たつま先を柔らかいものが擽った。その突然の感触に足が跳ね上がりそうになるのを耐える。
覚えたての感触。
足を動かさないままそろっと椅子を引いて、机の下を覗き込んで見れば、やはりというか。
そこにハムスターが一匹。
腹をぺったりくっ付け、短い手足を動かして足を登ってくるところだった。
「カイ」
小さく名前を呼んで、よじよじ登ってくる体を掬い上げた。指先で頭や耳の後ろを掻いてやると気持ち良さげに目を細める。
「へへ」
かわいいな。
カカシさんはどこだろうと見回すが職員室の中にも入り口にもいない。
「おまえ一人で来たのかー?」
そんな訳ないよなと思いつつ、出来るかもとも思う。
カイは鼻をひくひくさせるだけで答えない。
(待ってるつもりかな?)
小さいから邪魔になるわけでなし、いいかと遊ばせておいた。
『カイ』はカカシさんが作った式だ。
露店でハムスターを見た日の晩、カカシさんが作ってくれた。
「これだったら世話の心配しなくていいデショ」
頭の上に乗っけられ、もぞもぞ動くそれを恐る恐る手に取るとカイがいた。
最初は「こんな事に術を使って」と怒ったが、注意しても術を解かず、目の前でうろちょろされてる内にすっかり情が移ってしまった。
はっとした時には手の上で散々撫で回した後で、にやにやとしたり顔で笑うカカシさんと目が合っても何も反論出来なくなっていた。
名前もカカシさんが付けた。その由来は聞いても曖昧に笑うだけで教えてくれなかった。
仕事を続けながら、ノートが引っ張られる感覚に目をやるとカイがノートの端っこを噛んでいる。
「あっ、カイ、ダメだよ」
慌てて体をノートから引き離すが、もぐもぐと口を動かして満足そうに頬を膨らましている。
カイは式だから餌を食べないのに、どういうわけか物を齧りたがる。食べても問題ないとは思うが、こっちは気が気じゃない。そんな訳ないのに腹を壊すんじゃないかと思ってしまう。
「こら、だめだって」
ふんふんと匂いを嗅いで口を開けるのに消しゴムを遠ざけた。カイがきょとんとこっちを見上げる。
その円らな目のかわいいこと!
「おまえ、それ反則・・・」
小さな指のついた手を広げて伸び上がって強請るような仕草に理性が崩壊しそうになる。つい構いそうになるが、だめだめ!と気を引き締めて仕事に戻る。
だが暫くするとカイが今度は鉛筆に向かって歩き出す。
それもダメだよーと指先でくりくり頭を撫ぜると、カイが赤い目をこちらに向けた。
「・・・まったく」
これじゃ仕事にならない。
でも憎めない。
やりかけの仕事を片付けてカバンを手に持ち、ベストのポケットにカイを入れると職員室を後にした。
何時もより早い時間に校庭を横切る。
ポケットから顔を出したカイが物珍しそうに辺りを見回した。ポケットから出してやると白銀の柔らかい毛が風に揺れる。
「イルカセンセ!」
目線を上げれば校門の向こうからひょこっとカカシさんが顔を出した。
「今日は早かったね!」
「誰のせいですかっ」
ぴしゃっと言えばカカシさんがきょとんと目を見開いた。それから手の平のカイを見て、ハハ・・と笑って誤魔化そうとする。
「・・・まったく」
しょうがない人だ。
「今日はお米の特売日だからカカシさんが持ってくださいよ」
「いいですよ。おかずは何に――っ!」
いつものように手を繋いでこようとするのをかわして、カイを頭の上に乗っけて同化させてやった。
ちょっとした意趣返しだ。
小さなカイはカカシさんの長い髪の毛に隠れてすぐ見えなくなった。驚いたカカシさんが立ち止まってわたわたと髪の中を探り出す。
「早く行かないと無くなっちゃうじゃないですか」
袖を引っ張って歩き出すと諦めたのか大人しくついて来た。