春 14





 窓際に座り込んで空を見ていた。急な休みにすることも無く、かと言ってじっとしてるのも落ち着かなくて洗濯をした。
 ぱたぱたと風にはためくアンダーの黒とその向こうの空を眺めていると、まだ青い空に浮かぶ雲がオレンジ色に染まりだした。
 もうすぐ日が暮れる。
(・・・カカシさん来るかな?)
 深く考えずにカカシさんの家を出てきたが、次に会うときはどうすれば良かったのか。自分から会いに行くのは気恥ずかしい。そもそもどんな顔して会いに行けばいいのか。
 明日、出勤すれば受付かどこかで会うかもしれないが、そんなんじゃなくて。
 頭の中ではご飯食べたりとか寛いでたりとか眠ってるカカシさんの顔が思い浮かぶ。にこっと笑いかけてくる顔を思い出しては、ふしゅーっと湯気が出そうなほど顔が火照る。熱くもないのに汗を掻いて袖で顔をごしごし拭いながら、やっぱり会いに行こうかと考えていたら、カンッとアパートの鉄の階段を踏む音が聞こえた。
(・・この足音)
 その音がカンッ、カンッと段飛ばしに上がってくる。
「うわ・・・どうしよう」
 カカシさんが来た。
 階段を駆け上がる音に心臓が早鐘を打つ。
 立ち上がりおろおろと歩き回り、たっ、たっと廊下に響く音に心臓が弾けそうになってベランダへと逃げた。
「イルカセンセッ」
 バンとドアの開く音がして洗濯物の後ろに隠れた。干して間もない服の皺を伸ばし形を整える。
「イルカセンセ」
 さっきよりも近い声に肩が跳ねた。
 すぐ傍に。
 カカシさんがいる。
 足早に近づいてくる気配に必死に平静を装うとするが、洗濯物の隙間から伸びてくる手甲を嵌めた手を見ると駄目だった。心臓がドキドキして体温が上がる。その手が腕を掴むとさらにかぁーっと熱くなって、腕を引かれるまま部屋に引き込まれたが足元がふわふわして覚束なくなった。
「帰ったらいなくなってたからすごく心配しました」
 額当てと口布を取り払ったカカシさんが僅かに眉を寄せて俺を見下ろした。
「どうしていないんですか。寝てていーよって言ったのに」
 あれはそういう意味だったのか。
「あ・・す、すいません・・」
 咎めるような口ぶりに思わず謝ったが足元どころか頭の中までふわふわで思考まで覚束ない。
「足は痛くない?なんだか顔が赤いけど・・・熱があるんじゃないですか?」
「そんなことな――」
 ないって言おうとしてるのに、心配そうなカカシさんがぺたぺたと顔を触ってくる。冷たい指先が頬や耳、それに首筋にまで触れてくる。大丈夫だからと顔を背けようとすると両手で頬を挟まれ動けなくなった。
「すごく熱くなってる」
 どこか怒ったようなカカシさんが顔を寄せてぴたっと額を俺に額にくっつけてくる。
「ちゃんと寝てないとダメじゃないですか」
「ちがっ、熱なんかないですっ」
 あまりの顔の近さにぐいーっとカカシさんの肩を押して距離を開けた。腕を突っぱねながら、まともに視線を合わせることが出来ずに俯いた。心臓がバクバクし過ぎて呼吸が苦しい。
 何故今まで平気で接していられたのだろう。
 正視に堪えられない。
 カカシさんが傍にいると、カカシさんに触れられると、どこもかしこもおかしくなってヘンになる。
「だ、大丈夫ですから。熱もないです」
 漸くそれだけ言って逃げようとすると手を掴まれた。
「そんな赤い顔で言われても・・・・・・・・」
 不意にカカシさんが黙り込んだ。それが気になって少し顔を上げると、ちょっと意地悪な感じで笑ってる。
「もしかして、照れてるの?」
 そうなの?そうなの?と顔を覗きこんでくる。
「うっ、うるさいなっ!照れてなんかないですっ」
 そのまま逃げようと手を振り払いにかかるが、カカシさんの腕が絡んで離れない。じたばたしているうちにすっかり腕の中に閉じ込められて大いに焦った。
「はなしてください」
「やーだ!これからは思う存分ぎゅーってするんです」
 ぎゅーっと言葉にしながら、宣言したとおりに抱きしめてくる。カカシさんの柔らかい髪が頬に当たり、背中に回された腕が痛いぐらいに締め付けてくる。カカシさんの胸と腕に胸が押されて呼吸が苦しい。苦しくてたまらないのに。
 それが何故か心地いい。
 とろっと溶けるように体から力が抜けそうになってカカシさんの背中にしがみついた。立っていられないほどの心地よさに膝がカクンと折れて、体がずり落ちそうになると、カカシさんがそれにあわせて床に下ろしてくれた。ぺたんと座り込んだまま髪や背中を撫ぜられる。その気持ちよさに目を閉じた。
 こんな風に誰かに抱きしめられたのはいつ振りだろう・・・?
 そう思うと瞼の裏に映るのはまだ小さかった頃の自分と両親。両親を失ってからは大切な人を作るのが怖くて誰の近くにもいかないようにした。
 でももう怖がらなくてもいい。
 カカシさんは特別。
 きっと両親よりも誰よりも俺の大事な人になる。
 もっと近くに寄りたくて、少しカカシさんの体を押すと背中を強く引き寄せられた。それに抗わず顎を上げてカカシさんの肩に置くと抱きしめられるまま体を凭れされた。

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