春 13
腕の中にある心地いいものを引き寄せた。ふかふかして温かく、柔らかい。
もぞもぞと顔をうずめるとなんだかいい匂いがする。香水とかそんなんじゃなくてもっと優しい、人の匂い。
薄く目を開ければ、見慣れない部屋に一瞬自分がどこに入るのかわからなくなる。
部屋の中をぐるりと見渡せば、壁にはヘンな絵にボードに貼り付けたられた沢山のメモ。
すぐ目の前には萌葱色の手裏剣模様のはいった布団。
この模様には見覚えがあった。
朝、ここに座ってカカシさんに足に包帯を捲いて貰った。
(そうか。ここは・・・カカシさんの部屋・・・)
カカシさんは?と探すが、部屋の主はすでに出掛けたらしく気配は無い。
しばらくぼーっと部屋を眺めていた。昨日まで避けられてると思ったのに、今こうしてカカシさんの布団で寝ていることが不思議だった。
昨日までは考えもつかなかった現実に夢でも見ているような感覚に陥りそうになるが、目の前の光景が夢じゃないと教えてくれる。
足の指を曲げてみれば、ぴりりとした痛みが足の裏を走るし、布団の端から出してみるとちゃんと包帯も捲いてある。
夢じゃない。
「うわぁ・・・・」
徐々に意識が覚醒するにつれ朝の記憶も呼び覚まされて、かぁっと羞恥に体を熱くした。
すごく恥ずかしいことを言った。
おいていくとかなんとか子供みたいなこと。
あんなこと言うつもり無かったのに。
ずっと誰にも知られないように隠してきた、子供の頃から成長しきれていなかった部分を人に―それもカカシさんに曝してしまったということに耳まで熱くなる。
それに――、
『オレのことスキなくせに』
バレていた。うまく隠せてると思っていたのに。
「うぎゃぁ・・・」
頭を抱えて隠れるように布団の中に潜り込んだ。そうすると外の音が遮断されてドクドクと早鐘を打つ心臓の音が耳に届いて火に炙られたように体の表面がちりちりして、どっと汗が出る。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。それでも。
もう独りじゃない。
そう思うと羞恥に耐えようとする理性に反して、体はふわっと浮き上がりそうなほど幸福感に包まれる。それは今、この体を包む布団のように柔らかく心を満たす。
眠りに落ちる前、「ずーっと一緒にいようね」と、髪を梳きながら言ったカカシさんの言葉を思い出しては布団の中で暴れそうになる。嬉しい、嬉しいと体の中で何かが騒いでじっとしていられない。
こそっと布団から顔だけ出してみればカーテン越しに眩しいほどの光が入り込んでくる。風がカタカタと窓を揺らし、外の喧騒を運んでくる。葉が風に吹かれて重なる音や鳥の囀り。通りを歩く人の足音や荷車を轢く音。そこにジリリリと聞きなれた音が混じる。
「そっか。ここアカデミーから近いもんな・・・・」
・・・・・・・・・・・アカデミー?
「うわぁっ」
がばっと飛び起きて時計を探した。すぐそばの、窓際に置かれた時計を見れば、針はもうすぐ2時を指そうとしている。
(やっちまった!)
ベッドの上でわたわた慌てて、格好がパジャマだったのに気づく。服を探すがあるはずも無く。ゴムをどこかに落としたのか髪はぼさぼさ。
「どうしよう、どうしよう」
無断欠勤なんかしたことない。
焦りに泣きが入りそうになる。
「うぅー・・・あー・・・」
しばらく唸って、考えて、考え込んで――。
諦めた。
今から飛んで行っても授業に間に合う時間じゃない。
せめて連絡だけでも、とベッドから降りて式に変える紙を探して机を見ると、そこに手紙が。
『イルカ先生へ アカデミーには連絡しておきました 今日は寝てていーよ カカシ』
はぁーっと体から力が抜けてベッドに腰掛けるとそのまま仰向けに転がった。
目の前に手紙を翳してもう一度目を通す。起こしてくれたらよかったのにと、思わず恨みごとが漏れそうになるのを跳ね返すように今にも一つ一つが踊りだしそうなカカシさんの文字。
「へたくそ」
ふくっと笑うと小さく折りたたんでズボンのポケットにしまいこんだ。
それから、「よっ」と体を起こして立ち上がった。
布団を整え、玄関に向かう。一足だけ置いてあったサンダルを拝借すると玄関を開けた。
ドアの隙間から顔を出すと、外の光が廊下に窓の絵を描き出している。みんな出払っているのかしんと静まり返っている。誰も居ないのを確認して隙間から身を滑り出した。こんな時間、カカシさんの部屋から俺が出てきたのを見られたらきっと変に思われるだろう。
そうっとドアを閉め、
「あ・・カギ・・・」
どうしようともノブを捻るが開かない。そこには鍵穴すら無く。
(そういえば、昨日も開かなかった・・・)
なにかそういう術が掛けてあるのかもしれない。もう一度捻って開かないのを確認すると、大丈夫と判断してカカシさんの部屋を後にした。
「うわー、眩しーっ!」
上忍寮から外に出て光の強さに目を細めた。足早に寮から(というよりアカデミーから)離れて家路につく。
パジャマなのが気になったが、スウェットだしと言い聞かせた。足を前に踏み出すたびに、じんと痺れたが体は何故か軽い。酸素のいっぱい入った風船みたいにふわふわして、足が地面に着いてないような、そんな軽さ。
弾むように歩きながら、トンと地面を蹴って屋根に上がった。瓦を照り返す太陽の光に目に瞼を薄く開いてぴょんと隣の屋根に移る。
「あっ、ごめっ」
突然屋根に降り立った人影に驚いた鴉が羽を広げて空へと羽ばたいた。その大きく広げた翼の抜け落ちた黒い羽の隙間から青い空が覘く。鴉が飛び去ると目の前には澄んだ空が広がった。
「空ってこんな青かったっけ・・・」
しばし空を見上げていると柔らかい風に背中を押された。下から吹き上げる風に下ろしたままの髪に葉っぱが絡まり、指で梳くように取り除くと、指先には小さなイチョウの葉が残った。振り返れば若草色の小さな葉が風に吹かれて手を振るように揺れている。
「・・・綺麗だ」
何もかもが眩しく見える。見慣れた景色のはずなのに初めて目にしたように映って心が震える。
「カカシさん・・・」
気づいたら声が漏れていた。伝えたかった。カカシさんに目に映るものすべてのものを。
カカシさん、空が綺麗です。イチョウの木に若葉が生えてました。風が温かいです。
カカシさん。
カカシさん――。
この里のどこかで任務をしているカカシさんを思い浮かべて心の中で呼びかけた。一緒にこの光景を見て欲しくて、胸の中のカカシさんに話しかけた。
家に帰り着くと、開けっ放しのドアと外に転がった片っぽだけのサンダルに苦笑が漏れた。
「どれだけ慌ててたんだよ、俺」
思い返そうとしても思い出せない。
「でもカギぐらい閉めよーよ」
うちにはドアを閉めたら勝手にカギが掛かるような便利な機能はついてない。
カカシさんが帰ってきたら付けて貰うのもいいかもしれない。
――帰ってきたら。
そう自然に考えていたことに気づいてかぁっと顔が火照った。乱暴に落ちた靴を拾って中に放り入れるとサンダルを脱いで部屋に上がった。
部屋の中は夜、ベッドに入る前となんら変わらず何かが盗られた様子もない。もとより盗られて困るようなものなんて何も無かったが、寝室まで一通り見て胸を撫で下ろす。
そして、ふと目に付いた箱に胸が疼いた。
「カイ・・・」
もう会えない。
淋しさが込み上げて、箱を拾い上げると中の布を撫ぜた。
傍にいてくれてどれほど心の支えになってくれたことか。そのわりに自分が何もしてやれなかったのが悔やまれる。
窓際の日当たりのいいところにそっと箱を置いた。空っぽの箱の中に光が当たる。じっと見ていると布の中からカイが出てくるような気がして、――なにも変わらない。
(ほんとに消えたのかな?)
実際消えたとこを見てなかったし、カカシさんの言い方も曖昧だった(ような気がする)。
箱を片付ける気になれず、かといって目に付くところに置いておくのは哀しくてベッドの下にこっそり隠した。