春 11
息を吐くたびに目の前が白く曇り後ろへと流れた。朝の空気が肌を刺す。凍えそうだというのにそのくせ冷たい汗が背中を流れる。息が上がり、絡まりそうになる足を必死に前に出した。
確かめないと。
ただそれだけを思って青白い光の中を走った。
ドアの前に立って荒い息を吐く。ずっと握り締めていた手を開けば、じっとり湿った手のひらに冷たい空気が触れる。ぎこちなく動く手を持ち上げると目の前のドアにぴたりとつけた。夜の空気に触れたドアは固い感触を伝えるだけで中の様子は伺えない。
表札の代わりに出ている号数を確かめる。
前に『ここ』だと教えられていた部屋。
「カカシさん」
呼びかけると、中で空気が揺れた気がする。でもそう思いたいだけなのかもしれない。
すっと神経を尖らせて中の様子を探る。馴染んだ気配を求めて息を殺す。
ともすれば乱れがちになる意識を集中させると、耳障りな音が聞こえてきた。
カチカチと固いものが合わさるような――・・。
音の根源に気づいて歯を食いしばった。が、代わりに喉が振るえ、ドアに置いた手が震えてはめ込みのガラスがガタガタ揺らいだ。
「――っ!」
ふいにつま先から悪寒が這い上がってきてぞっと背中が震えた。
「・・・いないんですか?」
問いかけても返事はない。
――きっとここにはいない。
任務に出ているのかもしれない。
受付行ってカカシさんの任務調べて、それから――。
急き立てるように早く早くと頭の奥で鳴り響く。
きっとカカシさんの身に何か起こった。
どこか任務に出ていて、そこで――。
考えまいとしていたことが脳裏に浮かびそうになり頭を振って考えを消した。
すぐ傍にあるアカデミーに向かうためドアから離れた。2、3歩踏み出して廊下を歩くものもどかしくて、手すりを乗り越え外に出ようとしたところで、ギッと床の軋む音がした。
カカシさんの部屋のドアの向こう側で。
(誰かいる)
気配は無い。
カカシさんの部屋だからカカシさんだと思うけど、ちゃんと顔を見て確かめたい。無事ならいい。でも、無事じゃなかったら――・・。
「開けてください」
一向に開く気配を見せないドアに焦れてドアノブを回すが、カギが掛かってる。
「カカシさんっ!」
ガンッと一度ドアを打ちつければ止まらなくなった。
ドアの向こうで動けないカカシさんが思い浮かんだり、傷ついて横たわるカカシさんが思い浮かんで、そこが上忍寮だということも忘れて、ガンガンドアを叩いた。
「なんだ、うるせぇな」
カカシさんの部屋から3つ隣の部屋のドアが開いた。大柄な人影がドアの向こうに見え隠れする。助けを求めようと行きかけたところで、カチャ、とドアが開いて、出てきた手に腕を捕まれ中に引き入れられた。
暗い室内に視界を失い、声を上げようとして口を塞がれた。
「んん――っ」
「しっ、静かにして」
すぐ耳元で聞こえる声に息をつめた。口を押さえる手や、頬に触れる髪の感触。何より体から僅かに感じられるチャクラ。
――カカシさんだ。
はぁーっと体から力が抜けて壁に凭れかかると、外で悪態づく声とドアの閉まる音がした。
迷惑をかけてしまった。ごめんなさい、と心の中で誤っているとカカシさんの手が離れた。
ぱちっと廊下の明かりが点いて、突然の眩しさに目を細める。
カカシさんを見てみると、こんな時間だというのに忍服を着たままで、ところどころ土に汚れている。任務から帰ってきたばかりだったのだろうか。怪我は?と体に視線を走らせて、袖口に付いた赤いものに手を伸ばそうとして――、つい、とカカシさんがその手を避けた。
「カカシさん・・・ケガ・・・」
「してないよ」
いつにない冷たい声に伸ばしかけた指先が震えた。カカシさんが無事でほっと緩んでいた気持ちがみるみる萎んでいく。
「で・・、どうしたの?こんな時間に」
言われてはっとした。考えてみればすごく失礼なことをしている。人を訪ねていい時間じゃない。
漸くそのことに気づき、カカシさんが不機嫌な原因に思いが至る。
「カイがいなくなったから・・・それで・・・その・・」
はぁっとイライラしたように吐かれた溜息に肩が跳ねた。
「チャクラが尽きたんでしょう。長いこと会ってなかったから」
(そうか・・・。そうだったのか。)
なんて単純な理由。
それでもそのことを考え付かなかった。なんとなくカイはずっと消えないような気がして――カカシさんが消したりしないような気がして――・・。
「・・・すいませんでした。こんな時間に・・・」
「いいよ。上がって」
「え」
「オレも聞きたいことあったし」
聞きたいこと、といわれて心臓が跳ねた。足の裏がむずむずして居心地が悪い。
あれだ。
花見した日に言われたこと。
でも答えたくなかった。ここに来てまだ先延ばしにしたいと心のどこかで考えてる自分がいる。
「・・・いえ、帰ります」
「いーから」
一旦、部屋の奥へと入りかけたカカシさんが、俺が玄関でぐずぐず佇んでるのを見て引き返してきた。トンと片手を壁につくと見下ろすように聞いてきた。
「じゃあ、教えて。イルカ先生の答えを」
ぐっと眉間に皺が寄った。
聞かれてしまった。
言いたくなかったのに。
「俺は・・・カカシさんとは付き合えません・・・」
「あのね・・・オレが聞いたのはそんなことじゃないデショ?」
はあっと溜息を吐きながら言われたことに混乱した。
「え・・でも・・」
「もういいから上がって?」
長くなりそうだし、と腕を引くのに踏み止まった。
「帰ります」
ガシガシ頭を掻いたカカシさんが下を向いて、ちっと舌打ちした。その音に心臓が凍りつく。
「・・足」
えっと下を向くとどろどろの素足が玄関を汚していた。あっ、と足を引くと血の跡が筋を引く。
(・・それでさっきの舌打ち。)
「ごめ・・・申し訳ありません――」
――カカシさんが怒った。
そう思うと怖くなって逃げ出したくなった。これ以上玄関を汚さないように後ろでにノブを探し、腕を振り払って逃げようとすると、がくんと体が宙に浮いた。
腰から肩に担がれ、バランスを失って手足をバタつかせる。
「暴れないで」
「あの・・・わっ!」
乱暴な仕草でベッドに下ろされスプリングに体が跳ねた。
(汚れる!)
咄嗟に布団に足が着かないように踵を上げると、それを一瞥したカカシさんはくるりと背を向け、部屋から出て行った。