絶対言わない 8
アカデミーから病院までの僅かな距離がもどかしい。
もっと早く走れない自分の足がもどかしい。
注意を受けながらカカシのいるフロアまで駆け上がると、どんと強い殺気が漲った。
窓ガラスが震えてビリビリ音を立てる。
「いい加減にしてよ!」
紛れも無いカカシの殺気と声にほっとして膝から力が抜けそうになる。
だけどパックンの慌てようを思い出して、だったら何が?と不思議に思いつつ病室に近寄ると、中から白い包帯が転がり出てきた。
病室を覗きこんで唖然とする。
硬直したように立ち尽くす医師と看護婦。
床に散らばったピンセットや脱脂綿。
カカシに至っては上半身裸のままベッドの上で膝立ちになっていた。
「なにやってんだ・・?」
「イルカ・・!」
震えた俺の声には気づかず、カカシがぱっと表情を明るくした。
「聞いてよ、イルカ!この人たちしつこいんだよ。自分でするって言ってるのに傷を見せろとか体を拭かせろとか・・。そんなのいらないっていってるのに・・」
「しかしはたけ上忍――」
「アンタ、うるさいよ」
医師を見るカカシの冷たい目に、体の奥から震えが湧き上がってくるのを感じながら、医師と看護婦の間をすり抜けた。
「イルカ」
カカシが安心したようにすとんと腰を下ろす。
その頭上に拳を振り上げると思いっきり振り下ろした。
「ぎゃん!」
「キャッ」
「おい、キミ――!」
三者三様の声を無視して、もう一回カカシの頭を殴りつける。
「痛い!何するの!イルカ・・、・・・イルカ?」
両手で頭を抱えて涙目で俺を睨んだカカシの瞳から急に力が失われておろおろしだした。
「イルカ、どうしたの・・?あの・・睨んじゃったけど、怒ってないよ?怖かった・・?イルカ・・どうしよう・・、あの・・・」
伸びてきた手をばしっと振り払った。
ビックリした目で俺を見つめながらもその目はどこか痛々しい。
拳を握り締めて近づくと、カカシはしゅんと俯いた。
つむじが見えるほど項垂れる。
そのつむじがぶわっと滲んで見えなくなった。
「し、しんぱいするだろうが・・!パックンが・・あんな風に駆け込んできて・・、カカシになんかあったのかと・・思って・・俺・・」
「ゴメン、イルカ・・。ゴメン・・」
カカシの手が頬を拭う。
引き寄せられて、カカシの肩に顔をうずめると鼻を啜った。
カカシの手が背中を撫ぜる。
ゴメン、ゴメンと耳元で繰り返されて涙が溢れた。
今のカカシは服を着てないから顔から出た水分の行き場が無い。
自分の服の袖で顔を拭っていると廊下をちゃっちゃっちゃと小さな爪が叩く音が聞こえた。
「ふぅ〜っ、やっと追いついたわい」
「パックン・・、イルカに何言ったの?」
「まだなんも言っとらんわい。話ををする前に飛び出してしもうての。おぬしがキレそうじゃったから、その前に来てもらおうと思うたんじゃが・・。何があった?」
「うん・・・」
「・・・・・・」
顔が火を噴きそうになった。
言われてみればそうだ。
パックンはまだ何も言ってなかった。
俺が勝手に勘違いしてカカシが大変なんだと思った。
死にそうなカカシを想像して、一人でパニックになっていた。
恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
しん、と静まり返った病室に居た堪れなくなっていると、カカシがくすりと笑って背中を叩いた。
「ま、結果オーライ?」
「お・・お前があんなに騒いだりするから・・っ!」
「うん、ゴメンネ」
背中に回ったカカシの腕がきゅううっと俺を抱きしめる。
「大人しく治療を受けたらいいんデショ?」
「そうだよ!」
ぶっきら棒に答えるとカカシが笑って俺を離した。
少し距離をとると、カカシは自ら傷の上のガーゼを剥がした。
それを見た医師は近寄ると傷の具合を見て、「順調です」と言った。
ほっとした空気が病室を満たす。
傷に薬を塗り、ガーゼを当てられるとカカシは医者の手を拒んだ。
「後はイルカにして貰うからいーよ」
えっと思ったけど、医師からテープや包帯を差し出されて受け取った。
場所を変わるとテープを切ってガーゼを留める。
「よろしければ包帯を巻く前に体を拭いてあげてください。運び込まれてから一度も風呂に入ってませんから」
「あ、はい」
医師の何気ない言葉にひやりとした。
カカシがここに運ばれた時を想像して心が重くなる。
部屋を出て行く医師と看護婦さんにお礼を言って見送ると、パックンも腰を上げた。
「それじゃあワシも帰るぞ」
「うん、ありがとう。パックン」
ぽふんと煙が上がって消えるとカカシと二人きりになって、はあっと内心ため息を吐いた。
「・・ゴメン、イルカ」
「もういいよ。そのままじゃ寒いだろ。布団被ってろよ」
「うん・・・」
何か言いたげなカカシには気付かないフリして、洗面台に熱い湯を張るとタオルを浸けた。
固く絞って広げると使いやすい大きさに折りたたむ。
黙り込んでいるとカカシは不安そうな表情を浮かべて俺を見た。
「イルカ・・・わぷっ・・痛い!痛い!もう少し優しく拭いてよ!」
「うるさいっ、黙って拭かれてろ」
子供の顔を拭くみたいに後頭部を押さえつけてごしごしする。
わたわたするカカシを見ると少しは気が晴れた。
怪我をするなとか心配掛けるなとかそんなことは言いたくない。
擦られて頬や鼻を赤くしたカカシにぷっと吹き出して笑うと、カカシも安心したような笑みを浮かべた。
タオルを裏返して首筋や腕も拭いていく。
タオルを濯いで温めると腕や背中も拭いた。
「気持ちイイ・・」
「そうか」
うっとり目を閉じるカカシに安堵が広がった。
今、カカシは俺の目の前にいる。
――それだけで十分じゃないか。
言い聞かせて、カカシの世話に専念した。