言わせたい 21
チャンスは翌年の春に巡ってきた。オレは十五歳、イルカは十一歳。このまま行けばイルカは今年の秋に卒業だった。
授業参観に参加する最後機会かもしれない。
オレは里外任務に出ていて、イルカはオレに気を使ったのか連絡箱に授業参観のプリントを入れてなかった。
知ることが出来たのは、上忍に欠員が出たから。暗部へ表部隊の補充要請が来て、その理由からアカデミーの授業参観を知った。
「あ、ダメダメ。オレもその日、里に戻るから」
「なにを言ってる、カカシ」
「イルカの授業参観があるの。それにオレ、ずっと休み取ってないし」
こんな時の為に有休は残しておいた。
「しかし…」
「そうだぞ、カカシ。有休を使うにしても申請は二週間前に…」
「鳥の娘って何組だっけ? 写真撮ってきてあげるよ」
「そうか。穴埋めなら任せとけ」
オレに説教しようとしていた鳥を買収すると、あっさり受諾された。
こうしてオレは里に戻った。
部屋に行って、暗部服を着替えてからアカデミーに向かった。イルカのクラスは『は組』だ。教室を探すとすぐに見つかった。
授業はすでに始まっていて、そうっとドアを開けて中に入ったが、何故か「きゃあ」と声が上がって、クラス中が振り返った。その中にイルカの姿を見つけて手を振った。
(イルカ!)
だけどイルカは照れているのか、むっと口を尖らせて前を向いた。
(どうして…?)
気になったけど授業が再開して、そっちに気を取られた。授業の内容はとても簡単で、印の並びを答えるものだった。
「分身の術を使う時、未、巳…次に結ぶ印が分かる者!」
先生の問いに、「はい! はい!」と勢い良く手が上がる。
(イルカ! 分かるよね! この前一緒にやったトコだもん)
だけど、イルカだけ手を上げなかった。机の上に置いた両腕を固く組んで俯いている。
(どうして?)
その後の質問も、他の生徒が次々と当てられていく中で、イルカだけ手を上げなかった。
(イルカはとても賢い子なのに…)
オレは不思議でならなかった。
(どうしてイルカは答えないのよ!)
ヤキモキしながらイルカを見守る。あんまり見過ぎて、イルカの背中が焦げ付きそうだった。
やがてチャイムの音が聞こえて、休み時間になった。教室の外へ出て行く生徒を掻き分けて、オレはずかずかとイルカに近寄った。
「どうしてイルカは手を上げないのよ!」
「うるさい、バカ! 黙れ! 今日は母親参観なのにどうして来るんだよ!」
イルカはそう言って、教室を飛び出した。心臓が止まりそうなほど痛い。改めて振り返ってみると、確かに女の人しか来ていなかった。
「イルカ…」
(どうしよう。イルカを怒らせた…)
オレは自分の失敗を悟った。
内心めそめそしながら教室を出て行こうとすると、お母さん達に囲まれた。
「イルカ君の父兄の方ですか?」
「イルカ君に、こんなカッコイイお兄さんがいるなんて知らなかったわ」
きゃいきゃいと賑やかな声が耳をすり抜ける。そんな中、先生の声だけ耳に届いた。
「イルカ君の保護者の方、ちょっといいですか?」
「ハイ…」
職員室に呼ばれて、イルカの進路について聞かれた。
「イルカ君は将来忍になることを希望されていますが、それでいいですか。中には忍の修行はここまでにして、家業を継ぐ子や、別も道に進む子もいるのですが…」
「そうですか…」
イルカに進路相談なんてされたことなんて無かった。
「イルカのしたいようにさせてやって下さい」
オレにはイルカの将来について口出しする権利はない。
「そうですか。では卒業試験後は下忍試験を受けさせますね」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げた。オレより、目の前の教師の方がイルカを良く知っているかもしれない。そんな気がしてくる。
「いや〜、今日ははたけさんに会えて良かった。イルカ君、なかなか会わせてくれなかったので」
「え…?」
急に砕けた口調になった教師に顔を上げた。
「父兄参観や家庭訪問の時も、はたけさんは任務で里の為に頑張ってるんだって言って…。自慢のお兄さんなんですね」
教師の言葉にぱあっと目の前が拓けた。
「…ホントにそう思ってるかな?」
「ええ、きっと」
「アンタ、良いヤツだーね」
「え?」
ぽんと教師の肩を叩いて立ち上がる。イルカを探しに行った。
アカデミーは広く、子供が多かった。他の子に混じってイルカの匂いが消えてしまい、個人での探索は諦めた。
口寄せでパックンを呼び寄せ、イルカを探させる。
「こっちじゃ」
パックンは成犬になり、今では他の忍犬達の頭にまで成長した。とても頼りになるし、イルカのことも良く知っていた。
短い手足を動かして、不器用に走る後ろ姿に付いていった。イルカはほどなく見つかり、数人の友人と一緒にいるようだった。…いや。
「やーい、イルカの母ちゃん男だってよーっ!」
五人ほどの子供に囲まれ、やーい、やーいと囃し立てられていた。
(イルカが虐められている!!)
しかもオレのせいで。由々しき一大事だった。
さっとイルカの後に瞬身して、俯いていた頭を抱き寄せた。
「なにしてるの?」
「カカシ!?」
「何だよ、お前! …あれ?…足が動かない…っ」
見つけた瞬間、ガキどもの足を地縛りの術で地面に縫い付けておいた。青ざめるガキにニヤリと笑ってみせた。
「オレのイルカを虐めて、ただで済むと思ってないよね? 他に言い遺すことはない?」
「ヒッ…殺され…」
「カカシ! もういいよ」
「えぇ〜、だってー」
「行こう」
イルカに手を引かれて、しぶしぶ引き下がった。でも術は掛けたままにした。
「イルカ、ゴメンね。今日がお母さんしか来たらダメだって知らなかったの」
「もういいよ」
呆れているのかと思った。しゅんと項垂れていると、イルカの肩が震える。
「イルカ…?」
泣いているのかと思った、だけど違った。
「ふふっ、あはは…っ、あーすっきりした。いつもアイツ等、俺に親がいないって馬鹿にするんだもん」
オレを振り返ったイルカは晴れ晴れと笑っていた。
「助けてくれてありがとな。カカシ」
全身から羽が生えるかと思った。そのぐらい嬉しくて堪らなかった。ふわふわと気分が舞い上がり、実際一メートルぐらい地上から浮いていたと思う。
「ううんっ! あれぐらい大したことじゃないよ!」
ぎゅーんと木星ぐらい鼻の先を伸ばしていると、
「でも、やり過ぎるなよな」
と、釘を刺された。
「ウン」
急いでさっきの術を解除する。イルカの気がすんだのなら、もうそれで良かった。
「そ、それじゃあ、オレ帰るね」
これ以上イルカに迷惑を掛けたくない。そう思ってイルカの手を離そうとすると、イルカがぎゅっとオレの手を握った。
「…まだいてよ」
「え?」
「まだ授業あるから…」
イルカの耳が真っ赤に染まっている。
「ウン!」
次の授業は作文だった。タイトルは『お母さん』。母のいないイルカに辛いタイトルだ。そう思った。でも。
「『俺のお母さん』うみのイルカ。
俺にはお母さんがいない。
バケ狐がやって来た時に、里を守って英雄になった。
だけど俺にはカカシがいる。
カカシは俺と一緒に住んで、ご飯を食べてくれる。
だから俺は寂しくない。
カカシ、いつもありがとう。終わり」
涙で海が出来るかと思った。
オレは教室の後から盛大な拍手をイルカに送った。