言わせたい 13
父さんと二人で海野家に向かい、呼び鈴を鳴らした。とたとたと足を立てて近づいて来るのはイルカの足音で、ガラス戸の向こうに小さな影が映るとガラッと開いた。
「いらっしゃい!」
元気に言ったイルカは浴衣を着ていた。鼻の傷は抜糸が済んで、傷を覆っていたテープも取れた。傷はやはり残ってしまい、うっすらと鼻筋を横切っていた。
「とうちゃーん! 早く行こー」
イルカが家の中に声を掛けると、おじさんがやって来た。
「お待たせしました。行きましょうか」
今日は夏祭りの日だった。神社の境内に出店が出る。
玄関の鍵を閉めると、イルカは待ちきれないのかターッと走った。
「あっ、イルカ!」
「カカシ、そばにいて上げなさい」
「ウン」
すぐに追い着いてイルカの手を引いた。
「おにいちゃん、ボクたこ焼き食べる」
「そう」
「それからイカ焼きとかき氷と、リンゴ飴とわたがしも!」
イルカが名前を挙げながら小さな指を折る。イルカの小さな体じゃ、そんなに食べれないだろうと思ったけど口にしなかった。楽しみにしているイルカの邪魔をしたくない。
日の沈んだ境内はあちこちに釣られた提灯に赤く染まっていた。醤油の焼ける甘辛い香りが届いて、イルカがそわそわした。
「とうちゃん、たこ焼き買って!」
「ああ、いいよ」
屋台に並ぶ二人を後から見ていた。
「…コホ、コホンッ…、その、カカシは何か食べたいものあるかい?」
「えっ!?」
後から声を掛けられて驚いた。振り返ると、照れた顔をした父さんが、ポリポリと頭を掻いていた。
てっきりオレは子守りの延長線で、夏祭りに来ていると思っていた。
(違うんだ…)
そうと気付くと、かあーっと頬が火照った。オレは父さんと遊んだことが無かった。物心付いた頃から父さんはオレの師で、偉大な忍だった。
「あ…、う…ウン、トウモロコシ…」
指差すと、父さんは「よし」と屋台に向かった。そしてとうもろこしを二本買ってくると、一本をオレに渡して、もう一本を自分で食べた。
「旨いな」
「…ウン」
心臓がドキドキした。こんなにリラックスした父さんを見たのは初めてだ。心の底から湧き上がりそうになる甘えをぐっと堪えた。だって、今更父さんに甘えるなんて照れ臭い。
二人でトウモロコシを食べていると、たこ焼きを持ったイルカが戻って来た。
「イルカ、熱いから気をつけて。父ちゃんが冷ましてやろうか?」
「うんっ」
おじさんは屈んで、たこ焼きの舟の中にあった爪楊枝を取ると、たこ焼きを二つに割った。ゆらりと湯気が上がって、おじさんはふーっと吹いてそれを飛ばした。
「父ちゃん、まだ?」
「もう少し」
ふー、ふーっと息を吹きかける父に、イルカはじっと待つ。
「はい、いいよ」
冷ましたたこ焼きを口の前に持って行くと、イルカは大きく口を開けた。
「熱く無いかい?」
「ふん」
割ってもまだ大きなたこ焼きを、イルカははふはふと口を動かして食べた。その隣でオレもトウモロコシにしゃくりと齧り付く。
「おいしいっ!」
「そう、良かったね」
もう一度口を大きく開けたイルカに、おじさんは笑ってたこ焼きを入れた。余程美味しいのかイルカが満面の笑みを浮かべる。
「とうちゃんも食べていいよ」
「そうか? ありがとう」
おじさんがくすくす笑ってたこ焼きを食べた。
その後もいるかは宣言通り、イカ焼き、綿菓子、かき氷…と屋台に並んだ。おじさんは心得た物で、どれも一つしか買わず、残った分は自分で食べていた。
オレは父さんに唐揚げと焼きそばを買って貰って、お腹いっぱいになった。
そして、いっぱいになったのはお腹だけじゃない。初めての親子らしいふれ合いに、胸がいっぱいだった。
照明が落ちて空を見上げると、夜空いっぱいに花火が上がった。次々と上がる花火に周囲から歓声が上がった。
「わぁっ、きれい! おっきい!」
イルカが空を見上げて飛び跳ねた。上を見すぎてひっくり返りそうになるイルカをおじさんが笑って支えた。
火薬の匂いが風に乗って届いた。
帰り道、イルカはリンゴ飴片手に上機嫌で歩いた。おじさんと手を繋ぎ、顔の半分ほどもある大きな飴を振り回しながら、さっき見た花火の大きさを説明する。
「こーんなの! おっきかった」
「イルカ。そんなにしたら飴が落ちちゃうよ」
おじさんに言われて、ぺろりと飴を舐める。
父さんを見上げると、そんな二人の様子を見て口許を緩めていた。
オレは前の二人を見て、そっと父さんの手を握った。ハッとする気配が伝わり、慌てて手を引いた。子供っぽいと思われたかもしれない。だけど手がすり抜ける前に、父さんがぎゅっとオレの手を握った。
大きくて、乾いた手がオレの手を包む。かぁっと耳まで火照って俯いた。
照れ臭い。でも凄く嬉しい。
振り返ったおじさんが手を繋ぐオレ達を見て、そっと笑みを浮かべた。
帰るにはまだ早い時間だったから、おじさんに誘われて家に上がった。父さん達は酒盛りの準備をし、イルカは画用紙とクレヨンを持って来た。
「みて」
イルカが画用紙を開くと黄色いひまわりの絵が描いてあった。
「あ、咲いたんだ」
「うん」
ひまわりの隣には小さなイルカが描いてあった。以前のぐりぐりと違って、絵が上手くなった気がする。
クレヨンは減っていて、オレがいない時も使ってくれてるんだと嬉しくなった。でも黒いクレヨンがあまり減ってないのを見て提案した。
「イルカ、花火を描こうか?」
「花火? うん、描く!」
「じゃあ、画用紙に好きな色を塗って」
「どこでもいいの?」
「いーよ」
イルカがオレンジを取って何か描き始めるのに、オレは青を取って、ざっと色を載せた。イルカが吃驚した顔をしたが、オレの顔を見ると、ニカッと笑ってぐりぐりと丸を描いた。その隣を黄緑で塗りつぶす。
イルカと競うように画用紙を塗りつぶして、その上から黒いクレヨンで塗りつぶした。
「ぜんぶ無くなっちゃうよ?」
「ウン」
イルカは少し哀しげな顔を見せたが、オレが爪楊枝を取ってきて渡すと不思議そうに首を傾げた。
「見てて」
黒い絵を爪楊枝で引っ掻くと、下から色が現れた。小さな丸をたくさん描いていくと、真っ黒な夜空に花火が開いた。
「ボクもする!」
「ウン」
イルカがせっせと丸を描く。色取り取りの花火にイルカは夢中になった。
「スゴイね! おにいちゃん」
「ウン」
オレは花火の下に、イルカとおじさんとオレと父さんを描いた。みんな手を繋いで、夜空を見上げていた。
ひそひそと話す声で目が覚めた。いつの間に眠ってしまったのか、体の上にタオルケットが掛けてあった。
すぐ傍ではイルカが寝息を立てていた。
耳を澄ますと、声は縁側から聞こえて来た。見ると、父さんとおじさんが月明かりの中で酒を飲んでいた。
「今日はお祭りに誘ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。カカシ君が一緒で、イルカがとても喜んでました。カカシ君は良い子ですね」
「……親ばかと思われるかもしれないが、オレはあの子がとても可愛いんだ。妻を病気で亡くした時、あの子はまだ一歳だった。母親がいない分、オレがしっかり育てようと思った。でも何をしていいか分からなくて、結局自分が一番得意な忍術を教えた。
親が言うのも何だが、カカシはとても優秀で飲み込みが早かった。結果早く忍の世界に足を踏み入れる事になってしまった。…それが良かったのかどうか。オレはカカシに子供らしい時代を過ごさせてやることが出来なかった。
そのせいかカカシは力重視になりがちで、自分より弱い者に目を向ける事が出来なかった」
「そんなことないですよ。カカシ君はとても優しい子です。それでなければ、イルカがあれほど懐きません」
「うん…、君たち親子には感謝しているんだ。イルカ君と付き合うようになってからカカシは変わった。明るくなったし、周囲とも上手く付き合えるようになって、子供らしい一面も見せるようになった。
……今日、初めてカカシと手を繋いだんだ」
「ええ、見てましたよ」
「小さな手が可愛くて…、ハハ…可笑しいな、なんだか涙もろくなったみたいだ…。年のせいかな」
「年を気にするほど、サクモさん年取ってないじゃないですか。さ、飲みましょう」
「ああ」
杯を交わす父さん達から視線を逸らして目を閉じた。
父さんがそんな風に想ってくれてるなんて知らなかった。
(ダイスキだよ、父さん…)
そう父さんに伝えたいと思ったけど、照れ臭くて眠ったフリを続けた。