言わせたい 11
魚を綺麗に洗い、枝の中から適当な太さの枝を選んでクナイで先を削った。鋭角に尖らせた物を二本作ると、魚の口から突き刺した。
それから岩塩を石で削って振りかけた。それをたき火の脇に刺して炙った。山菜は沸騰したお湯の中に入れて、残りの岩塩も一緒にいれた。山菜の中にはあく抜きをしないと食べられない物もあるが、今日集めて来たものはそのまま食べられた。
出来上がっていく料理にイルカがワクワクしていた。魚がじゅうじゅう音を立てて、香ばしい匂いが上がると、涎を垂らさんばかりになった。
山菜に火が通ったのを確認すると、保存食で携帯している味噌を入れた。ぐるりと掻き混ぜて、山菜の味噌汁の完成だ。
リュックから器とおにぎりを取り出した。味噌汁を注いで、焼き上がった魚を火から遠ざけると、イルカと手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます!」
真っ先に魚にかぶり付いたイルカが、「おいしーっ」と声を上げた。
「ボク、棒に刺さった魚食べたの初めて」
「そう。熱いから気を付けて食べてね」
「うんっ」
味噌汁を飲んだイルカが、また何とも言えない顔をした。
「おいしい!」
オレも一口啜ると、山菜から良いダシが出ていた。
オレは一連の手順をあの中忍から教わった。聞いてもないのに、隣にやって来てべらべら喋ったのだ。あの時は煩いと思ったけど、イルカがこんなに喜ぶのなら感謝だ。
(…素直にそれを教えてやるつもりは無いけど)
食事を終えると火の始末をして、食器を洗った。イルカは川に足を浸けて、オレのすることを見ていた。
魚の血の付いたクナイを洗っていると、じっとイルカがオレの手元を見た。
「おにいちゃん、ボクにもクナイ持たせて」
「ダメだーよ。クナイはとても危ないんだよ。ちょっと触れただけでもすぐ切れる」
「知ってるよ! とうちゃんも触らせてくれないもん」
不満そうにぷーっと頬を膨らませると、じっとオレを見た。
「お願い。持つだけ」
「ダメだよ」
「おにいちゃん!」
イルカがオレの腕を揺さぶった。
(クナイは玩具じゃないよ)
父さんがそうオレに教えた。オレが初めてクナイを持ったのは三歳の時だった。
(イルカと同い年…)
「本当に持つだけだよ?」
「うんっ」
好奇心を抑えられない気持ちを知っていた。オレだって、父さんがクナイを操るのを見て、早く持ちたいと思った。
(イルカは忍志望だ…。それに誰にだって最初はある)
納得する理由をいろいろ見つけて、イルカにクナイ説明をした。
「持つのはこの部分。ここから先は刃が付いてるから気を付けて。絶対に触ったらダメ」
イルカはうんうんとオレの言う事を必死で聞いていた。イルカが理解出来ているか復唱させると、ちゃんと分かっていた。
「本当に持つだけだからね」
「うん」
イルカの方にクナイの柄を向ける。イルカは小さな手で受け取ると、ずっしりと来る重さを確かめた。
「重い…」
「ウン」
重力や遠心力を生かすようにクナイは重く作られている。
はっと気付いた時、イルカは柄尻にある輪に指を引っかけてくるんと回した。
止める間も無かった。
クナイの切っ先がイルカの顔を横切る。
ばっと当たりに鮮血が飛び散った。
「イルカ!」
オレの声に驚いたイルカがビクッと体を竦め、それから空いた手で自分の顔に触れた。赤く染まった手を見て顔を歪める。
鋭い刃で切った時、痛みは後から襲ってくる。
オレはイルカからクナイを奪うと、ポーチからさらしを取りだしてイルカの顔に巻いた。
荷物を置き去りにしたまま、イルカを抱き上げ、里に向かって走った。
(イルカっ、イルカ…っ)
「おにいちゃん、いたい…」
白かったさらしがみるみる赤く染まる。
「すぐに病院に着くから」
「…うん」
イルカが震える声で返事した。
オレは酷い後悔に苛まれた。どうしてイルカにクナイを持たせてしまったのだろう。
(顔に傷が残ったらどうしよう)
そう思いながら、恐らく残るで有ろう事は予測できた。
(ゴメン、イルカ。オレのせいだ)
痛みを堪えるイルカの手がぎゅっとオレの肩を掴んでいた。
病院に着くとすぐにイルカを医師の手に引き渡した。
「あっ、おにいちゃんっ」
オレと引き離されると思ったイルカが手を伸ばして、オレはその手を掴んだ。
「大丈夫だよ。そばにいる」
「うん…」
イルカの目が不安でいっぱいになっていた。
診察室に入るとさらしを取られ、イルカの傷が露わになる。くっきりと鼻を横切る痛々しい傷に目を閉じたくなった。あと少しずれていたら、イルカは失明していた。
「この傷は縫った方がいいですね」
「先生、なるべく傷が残らないようにしてください」
「分かっているよ。君はこの子のお兄さん?」
オレはゆっくり首を横に振った。
「友達です…」
「そう、この子の両親に連絡を取ることが出来る?」
頷くと、医師は看護婦に目配せした。
「それじゃあ、ご両親を呼んでくれるかな?」
「おにいちゃん、行ったらやだ!」
看護婦に促されて外に出ようとしたら、イルカが叫んだ。
「大丈夫だよ。すぐそこにいるから。イルカのお父さんとお母さんを呼ぶから。心配いらないよ」
オレがそう言うと、イルカが泣きそうな顔をした。
「…怒られるからやだ…」
「大丈夫だよ」
この責任はオレにある。
「麻酔の準備して」
「はい」
イルカの後で縫合の準備がなされていた。
「ゴメンね、イルカ。痛いけど、我慢出来る?」
恐る恐る振り返ったイルカが注射を目にして、引き攣った顔をした。それでもオレに向き直ると、気丈に頷いた。
「エライね、イルカ。イイコ」
オレは外に出され、イルカの両親と父さんに式を送った。
外で待っていると、イルカの悲鳴が聞こえてきた。
「ひーっ! いやーっ、いやーっ」
オレは耳を塞ぎたくなるのを堪えて頭を抱えた。
(ゴメン、イルカ、ゴメンっ)
走ってくる足音が聞こえて顔を上げると、おじさんと父さんがいた。
「イルカの具合は?」
「今、縫合してる…」
「あ、お父さんですか?」
「はい」
おじさんは看護婦に呼ばれて、診察室へ入っていった。オレは父さんと残されて、小さくなった。
父さんの手が持ち上がり、パンッと頬が音を立てた。遅れて、ジンと頬が熱を持った。
「あんな小さな子供にクナイを持たせるなんて、どういうつもりだ」
返す言葉が無くて、オレは奥歯を噛み締めた。謝って済むことじゃない。
「カカシ、何とか言ったらどうだ」
初めて聞く父さんの叱責に足下から崩れそうになる。オレは父さんの信頼もおじさんの信頼も裏切った。
今まで積み上げてきた物が後も残さず崩れていく、そんな感覚に陥っていると、診察室から出てきたイルカが走ってきた。顔に白い包帯を巻いて、憤る。
「おにいちゃんのこと、叩いたらだめ! おにちゃんのこと、おこらないで!」
「イルカ…」
イルカは小さな体で、どんっと父さんに向かって行った。父さんが困惑した顔でイルカの体を抱き止める。
「ボクが悪いんだもん! おにいちゃんがだめって言ったのに、ボクが言う事きかなかったんだもん…。おにいちゃんのこと叱らないで…おにいちゃんは悪くない……うっ…ひっく…、あーん…うわーーーんっ!」
イルカが大きな声で泣き出した。縫合している時ですら泣かなかったイルカが、オレの為に声を上げて泣く。
「イルカ…泣かないで。イルカ…」
言っている内に、みるみる涙が込み上げた。泣いたことなんて無かったのに、拭っても拭っても涙が止まらない。
不思議な感覚だった。哀しくて泣いているのと違う。
「イルカ、ゴメン。…オレがもっと、注意すれば良かった」
「おにいちゃんは悪くないもんっ」
抱き付いてきたイルカを受け止めて、二人して泣いた。
そんなオレ達を、診察室から出てきたおじさんが見ていた。
「あまり怒らないでやってくださいね」
「いや、本当に申し訳ない」
そんな会話を繰り返す大人達の前を、イルカを背負って歩いた。イルカは熱が出てきたのか、オレの首に両腕を回してぐったりしている。
「…おにいちゃん、ボクのことキライになってない?」
「ならないよ。どうして?」
「ボク、悪い子だったから…」
恐らくイルカはオレを真似たのだろう。クナイを手にした時、クルクル回すのはオレのクセだったから。
「イルカは悪い子じゃなーいよ。イイコだよ」
「ほんとう?」
「ウン。オレはイルカがダイスキだよ」
「ボクも! ボクもおにいちゃんがすき!」
イルカはそう言うと安心したのか、とろりと瞼を閉じた。重みの増した体を背負い直すと、おじさんが追いついた。
「イルカ寝ちゃったね。重いだろう? 変わろうか」
「いえ…」
おじさんの申し出に首を振る。ぐっすり眠ったイルカを起こしたくなかった。
「あまり気にしなくていいからね。イルカは男の子だし、忍になれば傷の一つや二つは出来るんだからね」
「はい」
イルカに傷を負わせて心が軽くなることは無いが、そう言ってくれることに感謝した。
「イルカは本当にカカシ君の事が好きだね。前はこれでも人見知りする子だったんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
出会った当初のイルカを思いだした。一人遊びの出来る、自立した子供だと思っていたが…。
「うん。両親が二人とも忍だからね、家を留守にすることが多くて、独りぼっちに慣れてしまったんだよ。でも最近はとても楽しそうで…。これからも仲良くしてやってね」
「はい」
それだけは変わらない。どんなことがあってもイルカのそばにいようと思った。