言わせたい 9
イルカと絵を描きながら父親が帰ってくるのを待っていたが、日が暮れても帰ってこなかった。
「……お腹空いた」
「ウン」
イルカが泣きそうな顔でお腹を押さえた。
(どうしたんだろう…。遅くなるなら連絡をくれそうなんだけど…)
そこまで考えて、いつの間にか随分おじさんを信頼していることに気付いた。
「うっ…ぐすっ…」
空腹に耐えかねたイルカが涙を零し始めた。焦ったオレはイルカの手を引いて台所に向かった。
「イルカ、なにか作ろう」
「ご飯…?」
「ウン」
そうは言ったものの、人んちの台所で途方に暮れた。料理なんてしたことない。いつも出来た物を温めるか、レトルトをチンするだけだ。
立ち止まっていると、イルカが冷蔵庫に向かった。
「ボク、うどんの作り方知ってるよ」
「えっ、そうなの?」
「うん」
驚いたけど、小さいことから任務に出ていた俺と違って、イルカは留守番が多いから、出来る様になったのかと思った。がさごそと冷凍庫の中から凍ったうどんを取り出すと、鍋を指差していった。
「あのお鍋でお湯を沸かして入れるの」
「そう」
イルカの背では届かない。オレの背丈でも難しかったが、手を伸ばして何とか取ると、水を入れて火に掛けた。
「これ入れてた」
イルカが醤油をテーブルに置いた。それからじっとオレをみつめた。
「えっ、オレが作るの!? …どれぐらい入れたらいい?」
「うーん…わかんない」
よくよく聞くと、母親が作っているのを見ただけらしい。
不安になりながら、鍋の中に調味料を入れた。
イルカが台所から出て行って、踏み台を持ってくるとコンロの前に置いて隣に並んだ。ワクワクと鍋の中を覗き込み、嬉しそうな顔をする。
「できた?」
「さぁ」
お玉を取って味見してみた。
(何か足りない…)
イルカにも味見をさせると、同じ事を思ったようで、う〜んと首を捻った。
「…これも入れてたかも」
台を下りると透明な液体を持って来た。背が届くようになったイルカは自分で液体を鍋の中に注いだ。
「アッ、待ってイルカ、それなに?」
待ったを掛けた時には遅く、ツーンと酸味のある香りが鍋から立ち上がる。
(…酢?)
過去に食べたうどんから、こんな匂いがしていただろうか?大きく道を外れた気がした。だけどイルカはご満悦だ。
「おいしくなった」
ホントかな? と思いながら味見すると食べたことのない味がした。
ほんとうにイルカの母はうどんの出汁に酢を入れたのだろうか?
(海野家秘伝の味?)
そう思ったが、イルカの顔を見ると違うらしい。
「なんか、いつもと違う…」
(そうか…)
ならこの酸味を消すには……砂糖だ。飴を作った時に使った砂糖を取って鍋に入れた。そして味見をすると、
「辛っ」
「からいー」
砂糖と塩を間違えた。良く見ると砂糖と塩の入れ物が同じだった。
(紛らわしい!)
人んちなのに文句を言った。
出汁はもはや修復不可能だ。
「……うどんを入れたらうどんの味になるのかも」
イルカが言った。本当かな? と思ったけど、イルカの提案に乗った。最初から作り直すには、二人ともお腹が空きすぎていた。
うどんを入れて煮込む。凍ったうどんが解れたら、火を止めて器に移した。
「いただきます!」
「……いただきます」
テーブルに運んでも、まだ酢の匂いがしていた。恐る恐る口に運ぶと、何とも奇天烈な味だ。最大限に譲歩して、温かい冷麺味と思えばいいだろうか。
イルカを見ると、眉間に皺を寄せながら、むぐむぐうどんを噛み締めている。
いつもは「おいしい!」を連発するイルカが無口だった。オレも黙ってうどんを啜る。
「……おにいちゃんのうどん、おいしいの?」
ぶほっと咽せそうになった。不味いとも何とも言わなかったから、そう思ったのか。同じ鍋からよそったのだから、同じ味に決まってるのに。
「……食べてみる?」
「うんっ」
イルカが嬉しそうに頷いた。余程うどんが不味いらしい。器をイルカの方へ押してやると、両手で受け取った。笑顔でうどんを掬うイルカを見守るが、口に入れた瞬間、気落ちした顔に変わった。
ふく、と腹筋が揺れる。
「……おいしくない」
ぽつりとイルカが呟いて、我慢出来なくなった。
「あはははっ」
声を上げて笑うと、イルカがぷーっと頬を膨らませた。
「ボクの事だました!」
「騙してなーいよ。イルカがそう思っただけデショ」
可笑しくて笑いが止まらない。お腹を抱えて笑っていると、イルカも「えへ」と笑った。オレの笑いが伝染して、イルカも笑う。
楽しかった。うどんの不味さが気にならなくなるほど。二人でどちらが早く食べ終わるか競争して、辛うじていっぱいになったお腹に満足した。
夜、イルカの布団で寝ていると、慌ただしい足音が近づいてきた。
(帰って来た)
寝ているイルカを起こさないように部屋を出ると、おじさんが申し訳なさそうな顔でやって来た。
「ごめんね、カカシ君。どうしても任務から抜けられなくて」
「いい。分かってる」
オレがそう言うと、おじさんはホッとした顔をした。
「ご飯買って来たよ。お腹空いてるだろう?」
「ウウン。台所借りた。うどんを食べたよ」
「そう。美味しかったかい?」
オレとイルカの名誉の為に頷いた。
「イルカは…?」
「寝てる」
横に退いて部屋の中を見せると、イルカが大の字で眠っていた。ほーっとおじさんが安堵の溜め息を吐いた。
「イルカは本当にカカシ君に懐いているね」
そう言われて、かぁっと頬が火照った。
「今日、初めて笑顔で手を振られたよ」
(それで寂しそうな顔をしたのか…)
出掛け際の表情を思い出して納得した。
「カカシ君、今日は泊まって行って。サクモさんには連絡しておくから」
頷いて部屋の中に戻った。イルカの隣に転がると、イルカはうっすら瞼を開いたけど、オレがいるのを見ると、眠りの中に落ちていった。